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SIDE:フローラ「ご主人さまと約束を交わした日」

 ここのところご主人さまは、ムーア子爵家のご当主にあられたレベッカさま――呼び捨てなどできようはずがない――とご一緒に領地開発の立案に取り組まれている。
 少々こんを詰めすぎなようにも見受けられるのだが、領地開発には時間がかかるらしく、今のうちから段取りを決めておかないと来年の種まきに間に合わなくなってしまうのだとか――
 このわたし――フローラは、今日も早朝に銀のトレイをもって書斎のドアをノックする。

「ご主人さま、お茶をお持ちしました」

 しばらくお返事を待ち、できるだけ柔らかい音に聞こえるよう心がけて、もう一度だけノックをして、わたしは静かにドアを開ける。
 不作法ではあるが、勝手に入って良いとご主人さまから事前にご許可をいただいているのだ。
 そのままドアの隙間から向こう側をそうっと覗き込む。
 昨日と同じように絨毯の上には伯爵領の地理を示した大きな地図が広げられていた。ところどころ赤い線が引かれておりそこの部分については、土地の測量をやり直したり面倒な利害関係の調整をする必要があるそうだ。
 門外漢のわたしに詳しいことは分からないが、なんでも代々伯爵家に仕える小作人たちによる慣習が役得として既得権益化しており、なかなか一筋縄ではいかないと仰っていた。
 わたしはそのお話にただただ感心し、ご主人さまを頼もしいと感じるしかない。

 室内に足を踏み入れると、床に広がる大きな地図の向こうで机に突っ伏しているご主人さまのお姿が見えたので、思わず頬を綻ばせてしまう。

 なんといとしいお顔なのかしら――

 涎を垂らした馬鹿面などとマイヤさんは言っていたが、ただのノロケと自慢にしか聞こえない。
 顔を赤らめながら「(女中長ハウスキーパーに)滅茶苦茶怒られたから気をつけたほうがいいぜ」と教えてくれたとおり、どうやら女中は主人と朝まで臥所ふしどを共にすることはできない決まりになっているようだ。
 そういうわけで、こうして連日ご主人さまの寝顔を拝見できるのは、わたしにとってなによりの役得である。
 紅茶の湯気を漂わせながらご主人さまのところまで絨毯を踏みしめていく途中、ふと地図の隅に女物の下着が置かれていることに気がついた。

「お、――」

 落ち着くのよ、フローラ。
 このようなものがここにあるということはつまり――
 伯爵家の次期当主なのだから、《《そのようなこと》》も当然おありだろう――最近やや割り切れるようになってきたのだが――このような重責を担う殿方にはひとときのなぐさみも必要である。
 とは言え、湧き上がる感情を完全に消し去ることなどできやしない。半目になりながら用心深く周囲を見回したが、レベッカさまのお姿は見当たらない。ここにはいらっしゃらないようだ。

「……ん? ふああ」

 そのときご主人さまは顔を起こし、大きなお口を開けて欠伸あくびをした。

「あら、ご主人さま、お目覚めですか? お紅茶をお持ちしましたわ」

 わたしは、銀のトレイから紅茶のポッドとティーカップを机の上に載せる。
 そしてポッドからカップに注ぐと、紅茶の湯気に顔を当てられたご主人さまは、まだ眠そうな顔のまま頬を緩めた。

「フローラ。いつもありがとう。んん? フローラ、なんか妙に表情が硬いんだけど……」

 あら、いけない、いけない。
 できるだけ気持ちの良い笑顔で微笑みかけたつもりだが、つい黒い感情が表に出てしまった。

「ご主人さま、そこにお忘れものがありますわ……」

 つい、いじましく床に顔を向けてしまった。
 大きな地図の上に広げられた女物の下着は、レースの刺繍飾りが細かく入っており、改めて見ると結構な高級品であることがわかった。
 特に股のところは花びらが透かし彫りになっており、上品な可愛らしさと性的な果断さが両立したような、レベッカさまのお腰をいろどるにふさわしい見事なデザインであろう。

「あ、出しっぱなしだった。フローラに似合うと思ったんだけど、気にいらなかった?」
「ええ!? これ、わたしのためにご用意くださったものなのですか?」

 一瞬にして感情が裏返り、火照った頬を押さえる。
 やだ、わたしったらなんという勘違いを――
 あからさまに広げられてて恥ずかしいが、思わぬサプライズに嬉しい気持ちを抑えきれない。

「昨晩はフローラをこの部屋に呼ぼうかとも思ったんだけど、起こすのも可哀想だなって思ってたら、いつのまにか寝落ちしちゃってたんだ」
「気にせずお呼びくださればよろしいですのに……」
「さすがに側仕えの子たちも寝ているし、夜中に使用人ベルを鳴らすのも気が引けてね。もしそうするとしたら、ぼくが直接フローラを起こしに行くことになるけど、それでもいいの?」
「あら、ご主人さまがじきじきにわたしのお部屋に? ヘンリエッタ共々、喜んでお迎えしま、すわ……あれ?」

 ウィルの言葉の意味するところがとぎのご指名であり、それに対し自分は喜んで――しかも相部屋のヘンリエッタまで巻き込んで夜這いに応じると表明していることをいまさらのように悟った。
 仮にも――最近本当に仮な気がしないでもないが、淑女としてそれはどうなのだろうか。

「でも寝ているところを起こすのはさすがに可哀想だなァ……」
「できればきちんと起こして、ご主人さまのお部屋にお招きいただく方が……」

 ご主人さまはわたしのさりげない要望を無視してポンと手のひらに拳を落とした。

「そうだ。フローラが眠っているときは、なるべくフローラを起こさないようにお手つきするってことでどうかな?」

 ど、どうしましょう――
 あまりに予想だにしないご提案にわたしは動揺する。
 隣のベッドには屋敷の修道女シスターとなったヘンリエッタが寝ているのだ。修道女に情事を見られたくなどない。無理だ。
 翌朝目が覚めたときに、身に覚えのない情事の痕跡を発見したらゾッとするどころの騒ぎではない。ご主人さまにみさおを立てている身としては、ご主人さま以外との情事の可能性など想像したくもない。無理である。
 わたしにできることならなんでもしてさしあげたいしご期待にも応えたいが、受け入れられることと受け入れられないことがある。
 ゆっくりと紅茶を味わいながら、なぜかほくそ笑むご主人さまのまえで、わたしは百面相をしていたように思う。考えに考え抜いて結論を出した。

「二つお願いというか、絶対に守っていただきたい条件があります」
「え、いいの!? まさか受け入れてくれるとは思わなかったんだけど」
「条件を聞いてからご判断くださいませ」

 わたしは少しだけ意地の悪い表情を浮かべる。

「まず一緒のお部屋に寝ている人を絶対に起こさないと約束してください。ヘンリエッタは眠りが浅いのか、わたしが咳をするだけで起き出してしまうんです」
「うん、分かった。ヘンリエッタに迷惑はかけない」

 ヘンリエッタを起こさないことなどまず不可能だと思われるのだが、ご主人さまはあっさり了承してくださった。
 そこでふと思い出した。修道女になったヘンリエッタが礼拝堂の居室に寝室を移すかもしれないという話が出ていたことを――
 ど、どうしましょう。目を覚ましやすいヘンリエッタのためを思えば、静かな礼拝堂に寝室を移したほうが良いのでしょうけど。

「二つ目は?」
「も、もしわたしにお情けをくださったのなら、目が覚めたわたしにそのむねを真っ先にお知らせください!」
「あ、そうか。だれにお手つきされたか分からないと不安だものね」
「はい。申し訳なさそうにされるとかえって傷つきますので、男らしく堂々とわたしの身体を使ったとお伝えください」
「そ、それだけでいいんだ!?」
「そ、その……もし、わたしで満足いただけたのなら、そう仰ってくださると嬉しいですわ」

 顔を赤らめながらそう口にしたとき、ご主人さまはゴクリと喉を鳴らした。まだ口の中の渇きが癒し足りないのか、わたしがお淹れした紅茶のカップをグイッと飲み干した。

「その二つ、守ると誓うよ。でも、フローラの想定とちょっとだけ違っていても失望しないでね」

 失望などあろうはずがない――
 わたしはご主人さまに微笑みかける。
 たとえ意識があろうとなかろうと、ご主人さまに身をお捧げし、ご満足いただけるなら決して嫌ではない。思い人と結ばれているのだから嬉しく思わないはずがない。
 そして叶うことなら目が覚めたときに、生まれたままの姿のご主人さまが隣にいてくださったら、どれほど嬉しかろうとわたしは夢見るのだ。


「ふ、不本意ですわ!?」とフローラに言わせたい。
短編でフローラ視点にしてありますが、どちらかというと本編寄りの話です。
ちなみに第十一話「女中の使い方」で眠ったままヤっちゃう展開も用意したいと思ってこの話を書きました。

要望多かった洗濯女中の短編はいつかそのうちに書ければと思ってます。



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