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SIDE:マイヤ「髪を結い勝負に挑む日」
次の日、調理場はひどくギスギスしていた。
リッタのやつはまだブスったれているし、ジューチカもリッタの世話に疲れたのか目の下に隈ができている。
「オレ、裏口行って野菜取ってくるわ」
「え、ちょっ……」
年下の第二調理女中の後輩たちや皿洗い女中のチビどもが、一斉に非難の目を向けてくるが、そっと視線を逸らし、気まずい空気の中に後輩どもを置き去りにした。
今日だけは許せ。ウィルのやつに告白すると思うと気が気じゃねえんだ。
屋敷の裏口まで行くと、いつもどおりドアの下に籠が置かれており、そこには出入り業者が入れた新鮮な野菜が詰まっていた。
「うんしょっ」
どうにかしてウィルと二人っきりになる必要があるだろう。
籠を胸に抱えながら歩いていると、廊下の向こうに当のウィルが姿を見せたのだ。
おい、いきなりかよ。お、落ち着けオレ――
とりあえずにへらっと笑いかけてみた。
トリスのやつがウィルの横を歩いているのが見え、オレはすぐに真顔になる。チッ、一人じゃねえのかよ。また別の機会を窺うしかねえか。
そそくさと横を通り過ぎようとして、そのすれ違いざま、オレの尻がそっとなぞり上げられるのを感じた。
オレは「ひゃうっ!」とよく分かんねえ声をあげたと思う。背筋が震えた。
ウィルのやつ、オレのケツを触りやがった! 信じられねえ。
ワタワタと動揺し、籠からトマトをこぼす。あ、やべえ。
ウィルが素早くキャッチしてくれたので事なきを得たのだが、動揺のあまり――
「オレのケツくらい、いつでも触らしてやるんだから、時と場合を選べ!」
そんなことを口走った気がする。
オレはウィルの元から足早に歩き去り、廊下の角を曲がった瞬間、どっと壁に背を持たれかけさせる。
うおおお、恥ずかしい。恥ずかしい。いつでも触らせてやるってなんだよ。ほとんど愛の告白じゃねえか。
アイツ、オレの身体に興味あったんだな。ふへへへ。
オレはその場でドンドンと壁を叩く。
少し呼吸が落ち着くのを待って、高鳴る胸の鼓動を抑え、雲の上でも歩くような心境で調理場のドアをくぐった。
「あ、マイヤ! 野菜取ってきてくれたんだ。ありがとねー。えへへ、ちょうど使いたかったんだァ!」
どういうわけかリッタのヤツは朝の不機嫌さをかなぐり捨てて、嘘のように仕事にやる気を見せていた。
「るららー、働くって素晴らしいわ。期待されてるって素晴らしいわ」
この謎のハイテンションはいったいどういうことだ。変なヤクでもキメやがったか?
いまにも躍り出しそうだと思っていると本当にくるりと一回転しやがった。危ねえ。いま鍋に当たりそうになったぞ。その無駄にデカいチチとケツを振り乱すな。
「ジューチカ、アイツなんか悪いもんでも食ったのか?」
「そんな食べ物があるなら教えてほしいわよ。さっきウィル坊ちゃんが来て、リッタを激励してくれたの」
「激励? いくら激励したところで普通、ああはならんだろ?」
「う、マイヤにはちょっと言いにくいんだけど……ウィル坊ちゃんがリッタのお尻を触ったらしいのよ」
「な、んだと……」
ウィルのやつ、女だったらだれでもいいのかよ……
「――ねえ、マイヤ、マイヤ! 人に見せちゃいけないような憤怒にまみれた表情しているわよ。女の子がそんな顔しちゃダメだったら!」
ジューチカがオレの肩を揺さぶってなにか言っているが、さっぱり耳に入ってこない。
くおお、尻を触られたくらいのことでなにをオレは舞い上がっていたのか。
やっぱりヤルところまでいかねえとダメだ。この身分違いの恋を成就させる最終着地点はそこしかねえ。
‡
リッタがやる気を出したことによって、無事に昼の賄い飯を出し終わり、調理場は午後の小休憩に入っていた。
オレは今日サボってばかりだったというのに、リッタはグイグイと仕事を片付けていく。いつもこうあってほしいものだ。
それにしても、どうやったら邪魔の入らない場所でウィルに会えるかねえ。
そう頭を悩ませていたとき、コンコンと調理場の扉がノックされ、銀髪の少女がモジモジと顔を赤らめて立っていたのだ。
「……マイヤ、腹が減った」
正直「またかよ」とも思ったが、おあつらえむきであることに気がついた。
「寝坊して、昼飯まで食いそびれちまったんだな? 仕方のねえやつだな」
いつにないくらいウィルのやろうは性欲を持てあましているらしい。だったらせっかく買ったソフィアの様子を見にくることは、まず間違いないだろう。
ただウィルにアプローチをかけるのに調理場は少々具合が悪い。
もうじき調理場の女中たちが休憩から戻ってくるだろうし、色んな意味でリッタのやつが邪魔である。
「トマトのシチューが余ってんな。ほぐした鶏の胸肉でも足すか」
手早く味を整えてシチュー皿によそい、ソフィアを連れて廊下を移動する。
その途中、リサ・サリのどちらかとすれ違った。
「おい、もしウィルのやつが探してたら、ソフィアは使用人ホールにいるって言っとけ」
「はいです。こちらとしても助かるです」
助かる? 確実にウィルが顔を出しに来るということか――
相変わらずコイツらはよく分かんねえ仕事してるなと思いつつ、調理場とほど近い――もっぱら使用人たちの食事の場として利用されている使用人ホールへと到着した。
ソフィアはテーブルに座ると、スライスしたパンとシチューの目の前にして「食っていいのか」とオレの方を見上げてくる。
「おまえにやったんだ。遠慮なく食っていいぜ」
ソフィアはシチューをパンに塗りつけて、嬉しそうにペロリと平らげていく。
「それだけじゃ足りねえだろ? 調理場から、もっと他にかっぱらってきてやるよ」
「マイヤ、おまえは本当に良いやつだな」
「なあにいいってことよ。困ったときはお互いさまだ」
――マジで。だから気にすんな。
調理場に戻ると、金髪の料理人リッタが機嫌良さそうに夕食の下拵えをはじめていた。
オレは調理場の鏡の変わり映えのしない自分の顔をじっと眺める。
そのときふいに勘のようなものが働き、いままでどおりの友人関係から男と女の関係に変わるためには、これまでとは違うなんらかの変化や目新しさのようなものが必要なんだと感じた。
オレはなんとなく赤い癖毛の片方だけを短い三つ編みにまとめてみる。
いいんじゃねえの?
両方ともそうしようかとも思ったが、うちには両方とも長い三つ編みを垂らした赤毛のジュディスがいるし、髪を左右に結ったロゼとの違いは作っておきたかった。ちょっとした意地だ。
「リッタ、オレ、ちょっと抜けるわ」
「いいわよん」
「牛乳とヨーグルトもらってっていいか?」
「いいわよん」
鼻歌まじりで絶対に聞いちゃいないと分かっているが、とりあえず上司の許可は得た。
ちょうどそこに大きなパンを何本も腕に抱えたジューチカが通りかかったので、行きがけの駄賃とばかりに一本引き抜いてやった。もうやりたい放題である。
この親友は傍若無人な振る舞いに苦情を言いかけて、オレの耳の近くにぶら下がっている短い三つ編みを見て目を見開いた。
「マイヤ、頑張ってね」
「おう」
オレの生まれはひどいものだったかもしれないが、幸いにも人の縁に恵まれて良いやつらに囲まれている。
周囲の人に恵まれていたら上手くいかなくても泣く必要はない。それは孤児院の院長先生の口癖だったっけな。
いや、上手くいかなかったら泣くぜ。そりゃ、わんわん泣くさ。
調理場から出て廊下を歩いていくと、ちょうどウィルのやつが使用人ホールに入っていく後ろ姿が見えた。
さあ、ご覧じろ。
孤児院に拾われ伯爵家に拾われたちっぽけなオレの、身分をわきまえない一世一代の大勝負がはじまるのだ。
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