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第二十八話「男爵家の友人」

 マルク家の客間のソファーで、

「ウィリアム様、内覧会オープンハウスの参加予定者が七十人を超えました」

 ギュンガスが櫛で赤い髪をでつけながら、そう呟いた。

「え! ホント!」

 ウィルは弾けるような笑みを浮かべた。
 近日、中流階級を招いて開催する内覧会の打ち合わせをしていたのである。
 終わってみるまで安心できないが、これで領地のカントリー屋敷ハウスの方の予算不足がほぼ解消したことになる。
 なにせ一人当たり一万ドラクマもとっているのだから、ざっと七十万ドラクマの収入となる。
 王都のタウン屋敷ハウスのほうはどう対処するのか分からない。
 使用人を何人かクビにするか、もしかしたら先祖伝来の文物をいくつか処分するのかもしれない。

女中メイドの給料を元に戻せないかな」

 ウィルはそんなことを呟いた。
 女中たちには給料の二割カットをんでもらっている。

「それには反対です。いまは王都のお屋敷に、あまり羽振りの良いところを見せないほうがよろしいです。心証というものがございます。こちらの予算をさらに削っても大丈夫だと思われると困りますから」

 ギュンガスは、面倒ごとはご免とばかりにそう言った。
 たしかに農地の管理を引き継いでから、王都の屋敷とは微妙な立場関係にある。
 加えて、ギュンガス自身もウィルの直属とはいえ、男性使用人のなかで一人だけマルク領の屋敷に留まり続けているため、王都の執事バトラーとの関係も微妙になりやすい。

「そうだねえ。もうしばらく我慢してもらうかあ」

 少年はためいきをついた。
 すると、ちょうど部屋に入ってきたトリスが、

「代わりに臨時の手当を多めにむくいるのはいかがでしょう? 内覧会もありますし。ついでに働きに応じて給料が変わるように、少し給与体系に手を入れようと思いますが、よろしいでしょうか?」

 そう言ったのだ。

「良い案だ。任せるよ」

 ウィルは、トリスの言葉にうなずいた。
 元々、女中の雇用はトリスに一任されている。
 ウィルの返答を聞いて、トリスは妙になまめかしく、にっこりとほほんだ。

「ご主人さま。ご友人のカヤック様が屋敷にいらっしゃいました。いまフローラが案内しております」
「お。来た来た」

 トリスの言葉に、ウィルは懐かしそうに破顔した。

「ではわたしはこれで」

 トリスは頭を下げて退出した。

「あ、ついでにギュンガスも出てって」

 ウィルは、残念そうにしているギュンガスを情け容赦なく追い払った。
 久しぶりに旧友に会うのには、どう考えても邪魔であった。
 だが、側付きウェイティング女中メイドのソフィアとマイヤは、べつに邪魔だと感じないので追い払わない。
 そして、しばらくしてソファーに座って、

「ようウィル! ホント、久しぶりだな」

 そう気安くこちらに声をかけてきたのは、寄宿学校時代の友人のカヤック=ヨハネである。
 かつて、マルク家とヨハネ家は近しい関係にあったので、以前は頻繁に訪ねてきたものだが、今日は一年ぶりくらいの再会となる。
 やけに体格の良いこの男は、だらしなく座った姿勢でもウィルよりも頭半分ほど高い。
 刈り上げた茶髪に無精髭を生やしているものだから、テーブルを挟んだ目の前の男は、酒場で飲んだくれている傭兵のような雰囲気がある。
 客間パーラー女中メイドのフローラがそっと金色のまつまぶたを伏せて一礼をし、優雅にカップに紅茶を注いでいく。
 今日のフローラは見るからにつんと冷たい顔をしている。そして、気持ち、金色の眉を震わせていた。
 カヤックが、ひゅうっと口笛を吹きながら、フローラの顔や胸、尻を、好色な視線でめ上げていた。
 前回、来たときもフローラをそんなふうに見つめていた気がする。
 今回は、おまけにスカートの中をのぞくように、身体の姿勢を低く倒し、首を曲げている。
 カヤックは、フローラが部屋から退出するまで、たっぷり女の尻を追いかけた後、自身の両膝を何度も打って、興奮を表わした。
 さすがに少しイラっと来る。

「ほえー。やっぱマルク家の女中はレベルが高い。あの愛想ない感じがいいね」
「いや、べつにフローラは愛想ないというわけでは……」

 間違いなく、今日来た客があまりにも下品だから辟易しているのだろう。

「なあ。あの金髪ちゃんとはもうヤッたのか?」

 カヤックは、軽く開いた拳のすきを、すこすこと反対の手の人差し指で出し入れした。

「ああ。この男、まるで変わってないよ……」

 ウィルは、ソファーに座ったまま首を振るが、その内心はどきりとしていた。
 背ばかり高く、好色で下品。忍耐力がないからか、地頭は悪くないのに成績は最下位。寄宿学校時代のカヤックは、そんな男であった。

「後ろの二人も可愛かわいいな。特に銀髪ちゃん。でも、おっぱい無いな」

 カヤックの言葉に、ウィルはもうあきれを通り越して笑ってしまった。
 ソフィアは、胸の無さを指摘されたのがよほど腹に据えかねたのか、

「ぶん殴ってもいいか……?」

 ウィルにだけ聞こえる声でぼそりと呟き、

「まいったな。オレも可愛いって」

 一方のマイヤのほうは素直に喜んだ。
 カヤックの後ろには、中肉中背で胸の大きな女中が控えており、「あーあ」とけんを指でんでいた。
 カヤックの連れてきた女性は、癖の強いくすんだ長い金髪を後ろで結んで広い額を露わにしていて、その鼻筋にはそばかすが見えた。
 必要以上に飾ることのない、親しみやすい人柄を感じさせる女性である。
 初対面でもマイヤと気が合うものを感じたのか、なにやら肩をすくめるようなジェスチャーを取り合っていた。

「後ろの二人は、まだ歳が若いから」

 ウィルは一応、という感じでそう付け加えておく。

「そうか、いまは青い果実でも、もう一、二年もしたら摘みごろだ。いまから楽しみだろ?」
「まあね」

 ウィルとカヤックは笑いあった。
 二歳年若いウィルとカヤックでは、女性の守備範囲が違う。
 一、二年後どころか、マイヤのほうはすでにお手つきが済んでいた。
 そしてソフィアのほうにも、売約済みのシールを、くどいほどぺたぺたと貼り付けていくつもりであった。

「オレもこいつの胸が育つのを一日千秋の思いで待ってたんだ」

 カヤックはそう言って、肩越しに後ろにいる金色の髪の女中のほうを親指で差した。
 ウィルのほうも、さきほどのフローラのお返しとばかりに、ニヤニヤと無遠慮に見つめた。
 性格の根っこの部分で、ウィルとカヤックは相通じるものがある。

「な、ななな……」

 金髪の肉感的な女中は、意外に純情なのか両手で胸を隠している。
 ややフリルの大きめなエプロンの上からでも、フローラよりも一回りくらい豊かな胸をしているのが分かる。

「あれ?」

 ふと、ウィルはそばかす混じりの鼻筋に目を留めた。

「君はもしかしてキッセン?」

 すると、ヨハネ家の女中は、大きく口を開けて、

「まあ? 伯爵家の御曹司がわたしの名前をご存じで……!?」

 そう言った。

(あ、しまった……)

 それは驚くだろう。
 ウィルは口に出すべきではなかったと少し後悔した。

「あ、ああ。カヤックからうわさで……」

 すごく言いづらそうにウィルが言うと、キッセンの顔がぼんと赤く染まった。
 カヤックは、図書館で見つけた性の教典カーマ・スートラを参考に、女中の口に無理矢理くわえさせて、顔にひっかき傷を作ってきたことがある。
 実家に帰省する度に、少しずつ、だが着実に性行為が進展していったようである。

「ど、どのようなことを聞いておられますか?」

 かなり不安そうに眉間に皴を寄せ、女中はそうたずねてきた。
 カヤックは明け透けな男で、ごうかん同然でキッセンを抱いたことや、どんなテクニックを試してみたか嬉々として語ってくれた。
 そして、その埋め合わせで、カヤック付きの女中にしているとか。

「おそらく全部、かな?」

 隠しても仕方がなかった。
 ウィルの返答に、ヨハネ家の女中は、いままで繰り広げた痴態を思い起こしたのか、恥辱ちじょくと怒りで赤く頰を震わせながら、わなわなと主の後ろの空間で両手を震わせ、

「し、絞め殺してやりたい……」

 そんな剣呑なことを呟いたのであった。
 だが、カヤックは、ぽりぽりと鼻の下を掻きながら、

「尻の穴を使ったのはまだ話していないぞ。こいつの無茶苦茶具合いいんだわ」

 そんなことを呟いたのだ。

「な、な、な……!」
「さっきの金髪ちゃんと交換なら、一発ヤラせてあげてもいいぞ」
「キィーー!」

 キッセンは、逆上して、カヤックの首を後ろから絞めようと手を伸ばしにかかる。

(気持ちは分かるんだけどね……)

 ウィルは、それを鬱陶しいなと思った。
 カヤックの女中を気の毒だと思う気持ちもあるが、それとこれとは別問題だ。
 もみ合うように、痴話喧嘩を始めた男女に、

「……おい。ぼくの屋敷で暴れるな」

 ウィルは、自分でも意外なくらい冷たい声を、唇から発した。
 ウィルの鋭い眼光がキッセンの顔を射貫くと、他家の屋敷で暴れている自分にようやく気がついたのか、カヤックの髪を掴むキッセンの手がぴたりと止まった。

「……は! す、すいません」

 ジュディスの一件で、女中に好きに振る舞わせると、あとがいろいろと面倒だと学んでいた。

「ああ。わりい……。それにしても、おまえなんか変わったな」

 カヤックが抜け毛を気にするように乱れた髪を整えながら、そう言った。

「そうかな?」
「ああ。以前のおまえは、どこか人の良い優等生っぽさがあったけど」
「けど?」
「肝が据わったというか、ドスを利かせられるようになった気がする。なにがあったか知らんが確実に男として成長しているよ」

 カヤックはそう持ち上げたあと、

「外見は相変わらずチビだがな」

 とすかさず落とした。
 ウィルはそれにヘソを曲げた。

「ぼくはおまえよりも二歳も年下なんだぞ。背が低くて悪かったなあ」

 教育熱心な家庭の子息は、ウィルのように早めに入学することもあるのだから、カヤックの言いようは公平でないと感じていた。
 カヤックは慌てて両手を上げて、なだめにかかった。

「悪かった。悪かった。成績最下位の僻みと思って勘弁してくれ。おまえは一番だったもんな」

 ウィルは寄宿学校の首席であった。
 実際、かなりの努力をしたが、半分は入学前のトリスの指導の賜物だと思っている。
 入学時点でかなりの差がついていた。これが一番大きかった。
 血筋も良く、素直で向上心も強い。そして増長することもない。
 おそらく一番教授陣に気に入られていた生徒であろう。

(嬉しいけど、正直、あんまり成績関係ないんだよね……)

 同じ最高峰の学院でも、シャルロッテ女学院の生徒は、今後の進路に卒業時の成績が重要になるため鎬を削っているが、貴族の場合、最初から卒業後の身の振り方が保証されているため、どこかのほほんとしている。
 目の前のカヤックなどは、寄宿学校を人脈作りの場と、最初から割り切っていた。

「俺なんかとても敵わないよ。やっぱり天才と凡人の違いかなあ」

 カヤック=ヨハネは、昔から無理な頼みごとをするときに、相手を必要以上に持ち上げる癖がある。
 ウィルは胡乱げに目を細めて、

「ヨハネ男爵。なにを企んでいるの?」

 そう爵位で呼びかけたのだ。思ったよりも硬い声になってしまった。
 ヨハネ男爵――
 低いテーブルを挟んだ向かいに座る昔なじみは、親の急死に直面し男爵位を継いでいた。

「いや、べつになにか企んでるわけではない」

 男爵は参ったという感じで鼻の頭をいた。
 ウィルは、そろそろ頃合いだと判断した。

「ヨハネ家が王兄派から王弟派に鞍替えしたから、マルク家は急な費用を捻出する羽目になった。なにせ、ヨハネ家はうちの傘下と見られていたからね」

 ついに口火を切ったのだ。
 これまでの友情を考えるならば言いたくないが、立場上なにも言わないでいるわけにはいかない。
 マルク領の屋敷で客を迎えるならば、ウィルが伯爵の名代となる。
 王都はいま、王兄派と王弟派に別れての勢力争いのまっただ中であった。
 ウィルの父親は王兄に肩入れしている。
 カヤックは深く溜息をついた。

「ヨハネ家を継いだばかりの俺には金が必要だった。親父の葬式をあげる費用すら事欠く有様だったからな」

 王立学院時代に宿題をやってなくて教師に𠮟られているときですらニタニタと笑っていた男が、いまは心底困った顔を浮かべていた。

「だからって百万ドラクマで転ばないでくれ」

 誰が資金提供したのか分からないが、目の前の男が王弟派に鞍替えしたことで、マルク家はメンの維持にその何倍もの金をばらまくことになった。
 ここしばらくのマルク家の緊縮財政は、カヤックに端を発していたのである。

「一応言い訳させてくれ。マルク伯爵に金を貸してもらうよう要請したら鼻でわらわれたんだ」
「父さんらしいね……」

 あまりにも貴族らしくないカヤックを、貴族然としたウィルの父親は門前払いしたのであろう。

「一応、おまえにも手紙は出したんだが……その様子だと知らないみたいだな」
「……受け取ってない」

 たとえ知らされていても、ウィルにはどうすることもできなかったであろう。
 二人のあいだに気まずい空気が流れる。

「なあ。俺もウィリアム殿って呼んだほうがいいか?」

 これは二度と来ないほうがよいかという確認であった。
 カヤックの言葉に、すぐに首を振った。

「やめとこう。君のとばっちりを食ったのは事実だけど、親友は失いたくない。実を言うとぼくは王都の権力争いになんか、これっぽっちも興味ないんだ」
「……違いない。俺もだ」

 そう、くくっと笑いあった。

「ぼく思うんだけどね。百年前ならともかく、もう王権争いでいがみ合っても仕方がないと思うんだよ。もうそんな時代ではないよ。貴族は多かれ少なかれ、みな市民革命におびえている」
「大陸の西は革命続きだしな」

 歳の近いカヤックとは考え方も合う。
 力を増していく中流階級の扱いを考えなければ、いつか国をひっくり返されてしまう日が来るかもしれない。

「お父上のことは気の毒だったね……」

 そう言ってウィルは少しの間、もくとうささげた。
 前ヨハネ男爵は、さすがカヤックの父親と思うような明朗かったつな人柄の人物で、ウィルは故人に良い印象を抱いていた。

「あんなに元気だったのに、なんで急に死んだのか、いまでも分からん」

 カヤックはそう溜息をついて首を左右に振ったのだ。
 ある日、何のちょうこうもなく突然胸を押さえて苦しみはじめ、そのまま帰らぬ人となったと聞いている。

「葬式にも行けなくてゴメン」
「なあに、仕方がないってことよ。陣営を替えたのは俺のほうだしな。葬式には、顔も知らない王弟派の貴族がいっぱい来て、たんまり御花料をもらったぞ。あれほど胸くそ悪い葬式はなかったな」

 長身の男は、そう言って笑った。

「それで頼みごとはなにかな? 聞ける範囲で聞こう」

 ウィルはそう言ったのだ。
 だが、同時に聞ける範囲というのはとても狭いだろうなと思った。

「領民を百ほど移住させてやってほしいんだ。マルク伯爵家なら、百の住民を増やす領地くらい、いくらでも余っているだろ?」
「へ?」

 ウィルは、カヤックの言葉に首をひねる。
 農地の経営権を受け継いだいまなら出来ないことはない。
 正直、金や利権がらみの相談だと思っていたので予想外であった。

「なんでまた?」
「俺、親父が死んで、男爵家の領主になっただろ? 調子に乗って初夜権を行使しまくって、結婚前の花嫁食いまくってたら、怒れる領民に押しかけられたんだ」

 あまりに斜め上な展開に、マルク家の御曹司は、ぽかんと口を開けた。
 初夜権とは、領民の結婚時に、領主が新郎よりも先に新婦と性交する権利のことを指す。
 処女の血を悪魔が好むという迷信があり、力の強い領主にゆだねることで悪魔を寄せ付けないようにする風習らしい。
 どちらかというと結婚税のような形で、形骸化して久しい制度であったが、好色なカヤックはきっちり権利を行使してしまったらしい。
 そのときに、どんっと扉が左右に開け放たれ、リサ・サリが飛び込んできた。

「ご主人さま。館の門の前に続々と人が集まってきております!」
「その数、百はいるかと」

 リサ・サリのもたらした情報に、ウィルの顔が瞬時に青ざめる。

「暴動か!?」

 財政が苦しくなっていても税率を上げたりはしていない。
 なんでという気持ちがある。

「い、いえ。マルクの領民ではないようです」
「家財道具一式運んできています。敵意はないようです」

 その返答に、ウィルはいくらかほっとした。
 ならばみんか難民であろう。近隣で戦があると、人が流れてくるのはそう珍しいことではない。
 そのとき、カヤックが、

「もう到着したのか」

 少し居心地悪そうに鼻の頭をぽりぽりと搔きながら、そう言った。

「カヤック、君の差し金か」

 ウィルは学友をにらみつけた。

「すまん。領民から突き上げられて、マルク伯爵領に移住させてやると約束したんだ。善政を敷いていると評判だしな」
「悪質にもほどがある。追い返して」

 ウィルが冷たく言うと、カヤックは血相を変えた。

「俺とおまえの仲だろう。頼むよ。約束を違えたら俺は殺されちまう! あいつら流民と違って性病なんてもってないし、俺が選んでお手つきした女たちだから、それなりに容姿も整ってるぞ。頼むよ。な? 俺は一発やって飽きたから、好きにしていいぞ。あっちの具合も良かったし……」

 ウィルは、座るカヤックの襟首を掴み、すうっと息を吸い込む。

「おまえはアホかァあああ!?」

 カヤックとは親友だが、穴兄弟になるつもりは全くなかった。
 それでも結局、ウィルはヨハネ家の住民百を受け入れることにした。
 敵側にいる男爵の頼みを聞いてやった一番の理由は、

「本当は口止めされていて、言わないつもりだったんだけど……」

 そのもたらしてきた情報にあった――

「つい最近までムーア子爵家はイケイケだったろ?」

 カヤックは、窓の下で見上げている領民に手を振っていた。

「ムーア子爵家?」

 どこかで聞いたことがある。
 ウィルも釣られて窓の外を見ると、手を振り返している女もいる。
 カヤックに抱かれて情が移ったのだろうか。この辺りの感性はよく分からない。
 ウィルが姿を見せたので黄色い歓声が上がる。
 しまったと呟いて、仕方がないので鷹揚に手をあげて応えてやった。

「おまえ、本当に周囲の貴族家に興味ないのな」

 ふと見上げると、今度はカヤックのほうが呆れた表情を浮かべていた。

「下手に関心を示すと結婚の話に繋がりかねないから面倒なんだよ」

 そうウィルは言い訳をした。
 特に最近は、屋敷の中を掌握するのに必死だった。

「とにかく、ムーア家はさいえんの活躍もあって、ここ最近は小麦の商いでボロ儲けしていたんだよ」
「ムーア家の才媛?」

 もう少しで記憶の糸が繋がりそうな気がする。のど元まで出かかっている感じだ。

「レベッカだよ。結局おまえに勝てなかった、万年二番の!」
「あ、レベッカ!」

 ウィルは、ようやく思い出した。

「おまえのそういうところが、レベッカの反感を買ってるのだと思うぜ」

 カヤックはそう言った。
 ウィルをいつもライバル視していた、金髪で長身の冷たい美貌の女性だ。
 レベッカは、とびきり頭はいいのに、なぜか、肝心なところでツメの甘い性格をしていて、予定調和のようにケアレスミスがたたり、ウィルの後塵を拝していたのだ。
 試験結果の発表のときには、いつも歯噛みするように睨みつけてくるのが怖かった。
 正直、いつ成績で抜かれるかと覚悟していたら、結局、卒業までそのままでウィルが首席だった。

「だが、いまムーア子爵家は小麦相場で大火傷して没落寸前にあるらしい。俺のところまで金を借りに来たくらいだ」
「ええ!?」

 それを聞いて、本当にびっくりした。
 あの見るからにプライドの高いレベッカがカヤックに頭を下げに来るなんてとても信じられなかった。

「ああ。頭下げさせておいて金がないっつったら、穴が空きそうなほど睨まれた」

 カヤックはケタケタと笑った。

わいそうに……」
「でも、ウィル。良かったな」

 男爵はニヤリと好色な笑みを浮かべた。

「どうして?」
「だって、金貸してやったらヤレるだろ?」

 世の中、パトロンには逆らえないものである。
 だが、マルク伯爵家とてそれほど金があるわけではない。

「あーあ。俺もあの氷の美貌とヤリたかったけど、残念ながらそんな金はないんだよな」
「たしかにレベッカはれいだけど、胸も結構あったよね」
「ああ。おっぱいは大きいほうがいい。なにより俺はああいう冷たい顔をした美人が好みなんだよ。気品があるというか。蔑まれてかえってそそるというか」

 小柄なウィルを背に、背の高いカヤックは窓の外の空を見上げながら、自分の好みの一端を語った。

「手をつけるなら早くしたほうがいいぜ。レベッカの選択肢は限られているからな。おまえだって、どうせなら最初にヤリたいだろ」

 そんなとき、ちょうど話を聞いていたかのように、

「お話中に失礼します。ムーア家のレベッカ様より、ご招待の手紙をお預かりしております」

 後ろからトリスがそう言ってきたのだ。
 最近、トリスの口からムーア家の名前が出ていたような気がする。

「ほおおお。中流階級よりもマルク家に頼るほうを選んだか。まあそりゃそうだろ……う」

 そう言いながら振り返った男爵は、トリスを見て彫像のように固まった。
 裏方のトリスが客のまえに顔を出す機会はそれほど多くない。初対面だったことにはじめて思い至った。
 大きく突きだした胸。流れるような大きなカーヴを描く尻。そして白磁のような冷たい美貌。
 膝を折りカーテシーのおをして退出するまでの間、ずっとカヤックはトリスのほうを見つめて固まっていた。
 どうやら好みのど真ん中だったらしい。

「ええっと。トリスがどうかした……?」

 ウィルは一応そう訊ねてみる。
 長身の男が、ウィルの両肩を掴んで揺さぶる。

「トリスさんと言うのか。俺にくれ! 頼む!」
「だめ」

 たとえ親友であろうとも、それだけは聞けない頼みなのである。





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