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第十七話「経営危機」
気持ちの良い朝であった。窓辺からは日が差し込みはじめ、小鳥の鳴く声が聞こえる。
目が覚めたとき柔らかい女の肌はなかった。
(一緒に起きてくれてもいいのに……)
だが、それも仕方がないだろう。
女中の朝は忙しい。主人のために湯も沸かさないといけない。料理も作らないといけない。
調理女中はまだマシなほうで、家政女中にいたっては顔を見せるなと伯爵から厳命されており、夜が明けるまえに主だった屋敷の表側の清掃を済ませておかなければならない。
ウィルは目をこすりながら欠伸をする。
窓の外を覗くと、牛から乳を搾り終えた酪農女中が重い鉄のミルク缶を運んでいるところだった。
「よう、起きたか。おはよう」
ドアの向こうから、白いエプロンの上に盥を抱え持ち、よたよたとこちらに歩いてくる赤毛の少女の姿が見えた。
「うん、おはよう……て、あれ?」
マイヤのお仕着せが、汚れることを前提としたいつもの木綿地ではなく、目が細かく上質な黒いモスリン地に変わっていることに目を留めた。
「あ、そうか。ぼくの側付き女中になるんだったね……」
「おう。さっそく世話をしてやるからな。トリスのやつには連絡済みだぜ」
「行動が早い……」
ウィルは呆れるようにつぶやいた。いずれ相談しないといけないと思っていたら、もう話がついていたのだ。
赤毛の少女が歩み寄ってくるたびに腕の中の盥から湯気が立ち、ちゃぷちゃぷという湯音がした。朝はそれほど強いほうではないので正直とても助かる。
結構重いのであろうが、白い靴下で包まれた脚が少しガニ股になっている。少女は昨晩、生娘でなくなったのだ。
「あれ……? 靴下を白に変えたんだ」
「ああ。おまえの側付きなら、靴下くらい白いのにしないといけないと思ってな」
昨晩の黒靴下も良かったが、これはこれでまた違った艶めかしさがある。
「堅苦しいの着るガラでもねえから、こんくらいで勘弁してくれや」
その言葉どおりマイヤの服装は、同じ側付き女中のソフィアに比べると簡素なままである。
「ところで調理場のほうは大丈夫なの?」
それが気になった。
マイヤは優秀な調理女中である。四人いる調理女中が一人減る。ただでさえ忙しい調理場の負担は大きいだろう。
「あー。へへ…………たぶん」
幼なじみは気まずそうに目を逸らした。
(さては、なんとかなると思ってないな……)
赤毛の少女は少年の足下にどすんと重そうな盥を置く。軽く湯が跳ね、むわっとした湯気が立ち上ってきた。
「重かったらソフィアに運ばせていいからね?」
あの銀髪の少女も一応ウィルの側付き女中である。甲斐甲斐しくウィルの世話をするのは向いていないかもしれないが、力仕事なら任せられるだろう。
「おう。あの細腕で軽々と石炭バケツ担いでるの見て、びっくりしちまったぜ」
「うん」
さっそく銀髪の少女は働いてくれているようだ。
マイヤは鼻唄を歌いながら、少年の足の間にうずくまった。ウィルの寝間着のズボンの裾を、膝のあたりまでめくりあげる。
「その……、身体は大丈夫?」
「……実はまだ結構痛いんだな」
マイヤは顔を赤くして、照れ隠しにウィルの足をばんばんと叩いてきた。
「ね、マイヤ。いま、ぼくがあげた下着を着けてくれているんだよね?」
「見たいか?」
「うん」
「へへ……」
挑発するような笑みを浮かべてマイヤは立ち上がり、スカートを持ち上げる。
まず、白い長靴下が見えた。
その上には、頰ずりしたくなるほど白いふとももが続いている。
さらにその上のデルタ地帯を覆い包むのは、薄いベージュのレース生地。色合いは地味だが、縁の部分の刺繡飾りが細かい。ほんのりと赤い火のように生えた陰毛が透けて見えた。
ウィルはにんまりと笑みを浮かべる。
あまり華美な下着を選ぶとマイヤが落ち着かないだろうと思い、落ち着いた色とデザインのものを選んだのだが、肌に触れるものまで思いどおりにすると、いかにも少女を所有しているという実感が湧いてくる。
「ん、あれ? これって」
ふとももの付け根のベージュの下着のクロッチの隙間から、ほんの少しはみ出した布きれに目を留める。
白いガーゼのようだ。
眠ったフローラの股間に挟まっていた当て布を思い出したが、マイヤの生理はまだ先のはずである。
ウィルは首を傾げた。
「おまえがいっぱい出しすぎたんだよ! 塞いでおかないと、こぼれちまうんだろうが!」
少女はわざとらしく顰めっ面を作りながらも、ひくひくとその頰を震わせていた。
「ご、ごめん」
「謝んなって。褒めてんだよ。つき合い長えんだからそのくらい分かるだろうが」
腕まくりをして再びウィルの股間の下にしゃがみ込んだ。
そこで少女は、いまさらのようにおやっと顔を上げ、すぐ目の前の布の盛り上がりに視線を留める。
さきほどから男性器が収まり悪く寝間着を押し上げていた。
この体勢だと、昨日マイヤに咥えさせたことを思い出してしまうのであった。
「まだ収まんねえか。なあウィル。一発抜いたほうがいいか?」
あまりにさばさばした態度で言われたので、少年は苦笑を浮かべる。
「いつでもオレに抜かせるように言えよな? 遠慮して自分で抜きやがったらただじゃおかねえからな」
「……あ……うん。そっか」
もう一人で自慰をする必要がないのだと、ウィルは思い至った。
もうこの赤毛の幼なじみはウィルが望んだときに股を開いてくれる。愛のある性行為だけでなく、男のやむにやまれない性欲処理にも理解があるのがとてもありがたい。
マルク家の側付き女中の主人への距離の近さは女主人以上かもしれない。もっとも貴族家の細君は、こんなふうに甲斐甲斐しく主人の世話を焼いたりはしないのだが――
湯に浸かり足の血管の広がる感触に気持ちよさそうに、じーんと顎を震わせたとき、
「あれ……?」
入り口の左右から、小さな黒い頭がひょっこりと顔を覗かせ、じいっとこちらを見つめていることに気がついた。
蒸留室女中のリサ・サリである。相変わらず黒い前髪で目許を隠している。
「昨晩はお楽しみでしたね」
ふいに片方が口を開いた。
小動物のように陰から覗いているだけかと思っていたので、ちょっと驚いた。
「マイヤさんはお手つき済みと――メモメモ」
もう片方が手帳を取り出し、びっと線を引く動きをした。
「なんだこいつら……」
振り返った赤毛の少女も戸惑っている。
「わたしたちは」
「今日から」
社交ダンスのように、左右に両手を取り合い、部屋のなかに足を一歩踏み出すと、
「「ご主人さま付きなのでーす」」
優雅に横に手を伸ばしステップを決めてみせた。トリスの仕込みなのか妙に上手い。
「ご主人さま? ウィル付きか、オレと同じだな」
赤毛の少女は立ち上がると、双子のほうに振り向いた。
背はマイヤのほうがほんの少し高いだろうか。年少の皿洗い女中を除くと、屋敷のなかで一番背の低い女中たちである。
「「はい。よろしくです」」
こうして小柄な女中が三人集まり、会話しているだけで、なんとなく愉しそうな雰囲気が漂ってくる。
「といっても」
双子は手を繫いだまま、
「肩書きは蒸留室女中のまま」「ですし」
くるくると回りはじめる。少々テンポの早い円舞であろうか。
「トリスさまの仕事も」「こなさないといけないので」
「倍忙しいのです」「のです……」
さらに回転が速くなった。
「「目が回るうぅ――」」
双子は、ふわりとスカートが舞い上がりそうになったあたりで輪が弾け、ベッドの縁で湯に足をつけるウィルの左右にぽんと転がった。
相変わらず目許は前髪で隠れて見えないが、どうやら本当に目を回しているようだ。
「おまえら、そういう性格だったっけ?」
ウィルも同感である。
「これまではトリスさまに」「情報収集の妨げにならないよう」
「不用意に親しくしてはならないと」「きつく釘をさされていたのです」
左右から山びこのように互い違いに声が響き、少年は目を回しそうになる。
「なんかおまえら自由だなあ。オレもひとのこと言えないけどさ」
孤児として屋敷に引き取られてきた少女は、奴隷として買われてきた双子にそう言ったのだ。
「まあ、オレも来たのがウィルのところでよかったぜ」
マイヤの言葉に、左右のリサ・サリが「「えへへ」」と顔を赤らめ、少年を見上げた。
妙にほんわかした気分になったのも束の間、双子姉妹がすうっと左右から唇を寄せてくる。
「ご報告なのです。本日、リッタさんとトリスさまが口論なさっていました」
「もちろん結果はトリスさまの圧勝なのです。最初から勝負になりません」
急に耳元に報告されるとびっくりする。
「リッタさんは、以前買いすぎてしまった人参を腐らせてしまったことを責められてました」
「それで経費削減を理由に、マイヤさんを取り上げてしまったというわけなのです」
(へえ……)
それでマイヤがここに来ることができたというわけだ。
料理人は屋敷の主人の直属の使用人で、男性使用人の頂点に立つ執事にも、女性使用人の頂点に立つ女中長にも属さず、言ってみれば第三の勢力にあたる。
リッタは縄張りを主張するようなタイプではないが、調理女中を取り上げるにあたって名分が必要だったのかもしれない。
「今ごろリッタさんは、えぐえぐと泣きながら料理を作っていますよ」
「今朝の朝食はちょっとしょっぱいかもしれませんね」
この双子の報告には、幾分かの野次馬根性が混ざっている気がする。
リサ・サリの報告に、赤毛の幼なじみは何とも言えない居心地の悪そうな表情を浮かべていた。
「冗談はさておきマイヤさん抜けて調理場がちょっと大変そうなのです」
「だよなあ」
そうマイヤはつぶやき、ぎゅっとウィルの寝間着の袖をつかんできた。
「そういえばフローラさん、今日で生理終わりましたよ」
さも自然な感じで、リサ・サリのどちらかが耳元に囁いてきた。
唇を寄せてくる双子姉妹はとても可愛らしい。報告を聞いているうちに、なんだかちょっかいをかけたくなった。
小さな尻を後ろから撫で上げると、
「「ひゃん」」
リサ・サリは綺麗にシンクロするように背をそらして立ち上がる。
「ご主人さま、意地悪です」
「意地悪です……」
エサをもらっている途中におどかされた小動物のように、二人は顔を赤くしてぱたぱたと去っていった。
ウィルは、昨日、この双子姉妹が見せてくれた濡れそぼる下腹部の蕾を思い出していたのだ。
‡
ウィルは屋敷で一番広い空間――使用人ホールへと向かう。
一人だと寂しいので、客人でも来ていない限りは、使用人たちと一緒に食事を取るようにしているのだ。
途中、廊下でフローラとすれ違った。
あからさまに不自然に、ちらちらとこちらを横目で見ながら、顔を真っ赤にして会釈をしてきた。
ぽんとウィルが肩を叩くと、フローラは、はにかんだ。
悪戯をする時間はない。
ウィルが行かないと、使用人たちが食事を始められないのだ。
使用人ホールのテーブルにつくと、隣にソフィアとマイヤが座っていた。
トリスは今朝はなにやら忙しいらしい。
目の前には、――焼きたてのパンに、絞りたてのミルク、目玉焼きに、ポテトサラダ。
ウィルは食事を見て、少し首を傾げた。
メインの皿が足りない――
いつもはこれに工夫を凝らした皿が一品加わっているはずだが。
きっと朝準備をする時間が足りなかったのだろう。
ふと食事をするテーブルが影になったかと思えば、
「ウ、ウィル坊ちゃま。すみません。わたしに罰をお与えください――」
瞳に涙を溜めた短い金髪のリッタがテーブルのまえにいて、ぎょっとした。
リッタの身体は小柄なのだが、胸の膨らみは大きい。
その胸の前には両手が合わせられており、親指の先でいじいじと爪を弄っていた。
「ほら、リッタって、腕はいいんだけど、メンタルが弱いから――」
そうマイヤがウィルの耳元で囁いた。
ウィルが一皿残すと、どうしてこの皿がいけなかったのであろうと、半日そのことでぐちぐち悩むと、さきほどマイヤが言っていた。
(――な、なんか。めんどくさい……)
しかし、ウィルはできるだけ誠実そうな顔を取り繕う。
マイヤがいなくなったせいで料理が遅れたとか、そういうことを一切口にしないだけ好感が持てる。
「リッタ。いつも美味しい料理を作ってくれてありがとう。今日はそんなにお腹が空いてないから大丈夫だよ。昼もまた美味しいご飯を頼むよ」
そういうと、ソバカス混じりの顔がぱあっと明るくなり、「ウィル坊ちゃま、わたし次は頑張ります」と弾むような足取りで去って行った。
「ああいうの、めんどくせえだろ。良い上司なんだけど、めんどくせえんだな。まあ、今朝、人手が足りないのはオレがいなくなったせいだろうけどよ」
赤毛の短髪を振ってマイヤがそんなことをぼやいた。
もっとも割りを食ったのが、そのほかの使用人たちであろう。
ウィルの食事ですら一品足りないのだ。
使用人たちの席のまえには、硬いパンに、オートミールのようなものが並んでいる。食糧の滞った軍隊のような有様になっていた。
ウィルはそれを見てとても嫌な予感を感じていた。
‡
朝食後、ウィルは調理場に向かった。
なかを覗くと、水の流れる音がして、二人の皿洗い女中が、踏み台のうえに足を載せて、せっせと食後の皿を片付けていた。
二人ともウィルの胸ほどの背丈しかない。いま調理場には、この二人の幼女しかいないようだ。
こんこんと入り口の開いた扉を叩くと、
「あ、ウィルさま!」
なかでも一番年若い、舌っ足らずの金髪を後ろに縛った幼女が、踏み台からジャンプするやいなや、ウィルに突進してきた。
「うぷっ」
全力でぶつかってこられたので結構痛い。
なんとかお腹で受け止めた。
「こら! ニーナ。みっともないことしない」
「いたた。ごめんなさい」
ニーナは金髪の広いおでこを押さえている。
そうやって後ろでお姉さんぶっている長い黒髪のルノアも、実は、二年前同じことをしていた。
「リッタいる?」
「リッタ? たしか業者とお話をしているはずです」
ルノアは、すましてそう答える。
業者というのは、屋敷の食糧を納品する出入りの商人のことである。
「ウィルさま。また来てねー」
「お待ちしております。えへへ」
ニーナとルノアにウィルは手を振って応え、調理室を後にした。
(なんで、リッタは業者と話なんかしているんだろう……?)
ウィルは首を傾げた。
「「ご報告します」」
「うおっ!」
「「きゃあ」」
完全に気を抜いていたので、左右から響くリサ・サリの声にとてもびっくりした。
リサ・サリのほうも、ウィルに大声をあげられて驚いている。
「調理女中の子が屋敷の裏に呼び出され、洗濯女中の人たちに締め上げられて、ぼろぼろ泣いています!」
「ええ?!」
(どうりで姿が見えないと思ったら……そんなことになっているのか)
ウィルは頭を抱えた。
「泣かしたのはジュディスさん、泣かされたのはジューチカさんです」
ウィルは、黒髪を後ろで縛った調理女中の生真面目な顔を思い出す。
「どうして?」
「賄い飯の質が低下していることに、いたく腹を立てたようです」
(ああ。ジュディスは仕事に厳しいから)
よその職場であっても職務怠慢と判断したのだろう。
使用人の賄い飯を提供するのは調理女中の仕事である。
おそらくは席を外していたリッタの代わりに、ジューチカが矢面に立たされているのであろう。
「たしかに以前よりご飯は美味しくなくなっています」
「ご主人さまが、マイヤさんを引き抜くから……」
リサ・サリまで思わずぽつりと口にした。
飯の不満とは恐ろしいものだ。どう処理しようかとウィルが頭を悩ませたところに、
「ご主人さま――大事なお話があります」
トリスがやってきた。
聞いたことないくらい硬い声だったので、びっくりした。ウィル以上に、リサ・サリがぴんと背筋を伸ばしている。
「あなたたちはもういいわ。監視を続けなさい」
「は、はい」「はい!」
リサ・サリがすっと左右別々の方向に去って行く。
その二人の背後を女中長はじっと見つめていた。
「あの子たち、少し調子に乗りはじめていますね。ご主人さまが手折ってはっきり上下関係をお示しにならないものですから――」
トリスはため息をつくようにそう口にしたのだ。
「大事な話って洗濯場と調理場の揉めごとについてかな?」
「それよりもずっと重要度の高いお話です。ここではなんですので、あちらのお部屋に」
促されるまま空き部屋へと入った。
女中長は重い木の扉を閉める。ここならば誰にも聞かれる心配はないだろう。
部屋の真ん中で、女中長と向かい合う。
「さきほど旦那様から、このお屋敷の運営費を減額するよう指示がきました」
寝耳に水である。トリスの言葉はさすがに予想もしていなかった。
「え? ぼく先日奴隷市場で、ギュンガスとソフィアを買ったばかりだよ?」
二人の奴隷を買うのに三五万ドラクマもはたいたのだ。
ざっと平民三十五人分の年収相当である。
「ええ。旦那様は中央の政変で急なお金がお入り用になったのかと……。わたしも見通しが甘うございました。このままいくと、女中を解雇せねばなりません」
トリスはそう言って眉間に皺をよせた。
女中を解雇――
その言葉にウィルも衝撃を受けた。
マルク領の屋敷に女の使用人が多い理由の一つは、男に比べて女の使用人が安いからである。
その女の使用人ですら数を減らさねばならないのだから、よほどの危機に見舞われているのであろう。
もしかすると今朝の食事が一品少なかったのも、人手が足りないだけでなく、そういう事情があったのかもしれない。
「減額になった金額は二百万ドラクマ――年間経費が三分の一カットです。大変に厳しい予算カットです。王都にいる執事と負担金額の分担について話し合いを続けておりますが、おそらく女中を三分の一から場合によっては半分まで減らす必要が出てきそうです」
それも場合によっては半分も――
たちまち職を失って途方に暮れる女中たちの姿が頭に浮かんだ。
「……ギュンガスを売り飛ばせないかな――」
ウィルの口から、思わずそんな言葉が出た。
三十四万ドラクマで買ってきたのだ。元は取れないかもしれないが、それなりの金額で売れそうな気がする。
ウィルのギュンガスに対する扱いはかなりぞんざいであった。
「男の使用人の解雇については執事と掛け合わないといけません」
「あっ……そうか」
マルク家の人事担当は、男と女で、執事と女中長に分かれている。
一応、ギュンガスはウィルの直属で、ウィルに雇われている形式になっているが、事実上判断するのは伯爵の意向を推し量る執事である。トリスでは権限が及ばないのだ。
「それに、あの男はソフィアの妹の捜索に必要になるでしょう」
ウィルはううんと首を捻った。
悔しいが、あの男が有能であることは今のところ疑いようがないだろう。
「年輩の女中から整理の対象としてリストアップしています。年をとっている分、給料もあがっていますから。年若い女中を解雇するのは、できるだけやりたくありません」
年輩の腕のいい女中なら、多少条件は悪くなるかもしれないが、問題を起こしたわけでないことをきちんと説明して、推薦状さえ持たせてやれば、次の勤め口には困らないだろう。
だが、年少の職業能力の未熟な皿洗い女中などは、たちまち路頭に迷ってしまうに違いない。
この年端も行かない少女たちには身よりがいない。立場的には昔のマイヤに近いかもしれない。
親を疫病で亡くした二人は、将来、美人になることを見込まれてトリスに拾われたのだ。ウィルはそう確信している。
伯爵家の女中長は、慈善事業で女中を雇うほど甘い性格をしていないが、屋敷に連れてきた責任は感じているようであった。
「すみません。仕事の続きがありますので、ひとまず、これで失礼します」
トリスは頭を下げて退出する。
さすがの女中長も、顔から疲労の色が透けてみえた。
‡
昼、ソフィアの妹の捜索を進めるために屋敷の書斎に立ち寄った。
この部屋に入った者の目を引くのが、壁面を埋め尽くす膨大な数の書物であろう。
これらの本は、蒐集してきた歴代の当主の知識欲を満たすだけでなく、屋敷の調度品のように富の象徴であり、持主に鑑識眼があることを示す狙いがあるらしい。
もう十年ほど伯爵が領地に戻ってこないので、ここはもう令息の私室のようになってしまっている。トリスと相談するときに使うことが多いだろうか。
ウィルは、広い書斎の隅に置かれた湾曲したひじ掛けをもつ長椅子の一つに腰をかける。
傍らに立つ従者ギュンガスを見上げると、優男は相変わらずの気障ったらしい薄笑いを浮かべながら、手鏡で自分の顔を見ながら櫛で赤い髪を整えていた。
(なんでそんなに自分の顔が好きなのかな。まあいいや。奴隷らしくないのはギュンガスだけじゃないし――)
銀髪の少女がウィルの座る長椅子の横に立つと――先日までの煤まみれの姿しか見ていないのだろう――ギュンガスがひゅうっと口笛を吹いたのだ。
頭上に見えるソフィアの意志の強さを感じさせる横顔は、はっとするほど整っており、黒と白の際立つ女中服に、梳きあげられた銀髪がよく映える。
ソフィアの顔の隣には、女中服で包まれた大きな胸が庇のようにせり出しているのが見えた。トリスであろう。
「集まったね。さあ、みんな座ってよ」
ウィルがそう切り出すと、頭上の二つの山が返事をするように揺れる。
長いテーブルを囲むようにして、ウィルの左右の椅子にトリスとソフィアが座り、対面の長椅子にギュンガスが腰をかけた。
「えっと、ソフィアの妹の名前はたしかマリエルと言ったね?」
ウィルが確認すると、ソフィアはこくりと頷いた。
「リサ・サリのように、あなたたちはそっくりなのかしら?」
トリスの言葉に、銀髪の少女は白い顎先に指をかけて思案した。
「……顔は瓜二つなのに中身は似ていないと言われるな。妹はもう少し女らしいというか、おしゃまなんだ」
(おしゃま……)
ソフィアの武骨さを好ましく思っているが、同じ顔をした女の子らしい性格のマリエルも見てみたいと思った。
「そもそも本当に生きているのですか?」
不協和音のような声を発したのは、対面に座るギュンガスである。
ソフィアは赤毛の優男を睨みつけ、
「わたしたち双子の姉妹は、特にお互いの繫がりが深い。近くにいたら言葉によらずとも互いの意思を察せられるくらいだ。だからなんとなく妹が生きていることも分かる」
確信をこめた調子でそう言ったのだ。
ウィルは顎に手を当てて思案する。
――たしかに屋敷の女中たちも、令息がなにも言わずとも察してくれる。特にトリスには、頭の中が読まれているのではないかと思うくらいだ。
テーブルの向こうでは付き合いきれないとばかりにギュンガスが肩を竦めていた。
「はっ。『なんとなく生きてることが分かる』ね、ウィリアムさま、こんな小娘の思い込みを信じるんですかい? 現実に起こりえることを話しましょうや」
隣からソフィアが目線を寄越してきたので、ウィルは頷いて承諾した。
何をするつもりなのかは知らないが、口の達者な男には行動で示したほうが早いだろう。
ソフィアはやれやれという感じで、ギュンガスの横にしゃがみこんだ。
「ん?」
怪訝そうに眉を顰めるギュンガスをそのままに、銀髪の少女は男の座る長椅子の足の一本を握りしめ、
「い、いいー!?」
それを高々と持ち上げて見せたのだ。
ギュンガスを載せた長椅子が、壁にかけられた大判の絵にぶつかりそうになっていて、ウィルはヒヤリとする。
「うお、神が目の前にあらします!」
赤毛の優男は長椅子にしがみきながら悲鳴をあげる。
たしかその絵は父親が高名な画家に描かせたものだ。金箔がふんだんに使われていて神々しい。
足の一本だけでギュンガスの重さを支えているため、長椅子の骨組みがいやな軋み音を立てていた。
「ウィル、こいつを壁に叩きつけていいか?」
「ダメダメ!」
ウィルは即座に拒絶する。
「その絵、傷付けるとギュンガスの首が五人分は飛ぶよ!」
「百七十万ドラクマ!? ひええ。分かりました! 分かりました! 降参です。下ろしてください!」
動揺しているわりに男の計算は早かった。さすがは三十四万ドラクマで買われてきた知識奴隷だけのことはある。
ギュンガスを載せた長椅子が絨毯の上に降ろされた。
胸を撫で下ろそうとした赤毛の優男はソフィアを見て、ぎょっと目を見開いた。
片手で持ち上げられていたのを知ったからだ。
どんな力持ちでも、あのような持ちかたでは大人が一人座った長椅子を支えることはできない。
ギュンガスはさらにぎょっと目を見開いた。片手で持ち上げられていたのを知ったからだ。どんな力持ちでも、あのような持ちかたでは大人が一人座った長椅子を支えることなどできない。
「あ、ありえないくらい力も強いと思っていたのだが、檻に閉じ込めておいて正解だった……こんな化け物じみた小娘、一生手足を鎖で繋いでおくべきなんですよ」
「貴様ァ……」
力を見せつけられてもソフィアを幽閉するように主張するあたり、元奴隷商人の手先なだけあって肝が据わっていると言うべきかもしれない。
「あのね、ギュンガス。立ち会ってないから知らないだろうけど、ソフィアは自分で鎖を千切り、鉄格子を左右に引っ張って、あの檻をこじあけたんだよ?」
「えっ。あの猛獣用の檻を?」
ウィルがこくりと頷くと、ギュンガスの顔からさっと血の気が引いた。
「わたしはそんな危険な猛獣を飼っていたのか――」
「一度たりとも貴様に飼われていたつもりなどないわ!」
即座に銀髪の少女はそう吐き捨てる。
「そこまで凄いならもっと上手い売り方があったというのに。もっと良い条件で――いや待ってください。ということは本当に預言の力なんてものが実在すると?」
「ぼくも最初は信じなかった。ソフィアがぼくに出会ったのも預言の力によるものらしいんだ」
ようやく納得させられたと思ったら、
「ほお……なるほど。ふうん……予言の力ですか。上手く利用できれば、そいつは面白い! 面白くなってきましたな!?」
こちらが期待した以上にギュンガスは食いつき、鼻息を荒くしている。
そんな赤毛の優男を、まだ立ったままのソフィアが不快げに見下ろしていた。
「予言というものが実在するならば、それを利用してマルク家の勢力を拡大することもできますな。王家にとって代わることすら不可能ではないかもしれません」
「王家にとって代わるって、そんな気はまったくないんだけど」
呆れたように言うウィルの声には耳を貸さず、ギュンガスは顎に手を当てて、ブツブツとなにかをつぶやきはじめた。
「なにが分かればもっとも利に繋がるか――王位争いの勝者に取り入る方法か、それとも商いの相場か。なに、当たるというなら全部予言させれば済む話だ」
おおよそ考えていることはそういうことらしい。
かつて『神の力を私利私欲のために使ってはならない』と口にしていた銀狼族の神子は、いまにも飛びかからんばかりの怒気を帯びてたたずんでいる。
今度は椅子の足の代わりにギュンガスの首でもつかみかねない。
少女の女中服の尻がググッとこちらに向けられ、飛びかかる予兆を察したのでとっさに少年が撫で上げると、
「んぎゃっ!?」
ソフィアは、尻尾の付け根でも撫でられた猫のように、背を反らし肩を跳ね上げる。
「なな、なにをする!?」
「奴隷売買についてはギュンガスが一番詳しい。この男に協力してもらうしかないよ」
ウィルが宥めるように口にすると、少女はしばし固まった後、しぶしぶと着席した。
「――まず、マリエルを掠った人物について詳しく教えてください」
ギュンガスは、俄然やる気が出てきたのか、さきほどまでの態度の悪さが噓のように仕切りはじめた。
「ソフィア、説明してくれないとはじまらないよ?」
ウィルは、口を開くのを躊躇している銀髪の少女にそう促す。
「むう……分かった。妹はドブレと名乗る商人に連れて行かれた。中肉中背、黒髪黒髭。口許には立派なカイゼル髭。片目。眼帯をつけていたと聞く。だが、直接見たわけではない。すべて伝聞だ」
ソフィアの情報に、ギュンガスは「偽名ですね」と断じた。
「国の軍隊に商いをしている酒保商人の中に、わたしの知らない名前があろうはずがありません。ご存じのとおり、わたしの前の主人は奴隷商人であり、奴隷の仕入れルートは生命線でしたから」
さすが蛇の道は蛇というべきか――
「商人の外見的特徴は参考になるかな?」
「難しいですね。偽名を使っていたということは、人から知られたくないということですよ。髭は剃ってしまえばいいし眼帯をつけていたからといって、片目とは限らない。変装の可能性があります。手がかりはないに等しいですね」
ここでウィルは考えた。
予言の言葉のとおりに進むとすれば、ソフィアがウィルのもとに身を寄せたということは、いずれ妹のマリエルを見つけるための手がかりが見つかるはずなのだ。
知恵を絞って当たりをつけるしかないだろう。
「だったらぼくは世の中の変化から調べるしかないと思う。未来が分かるということは、マリエルを手にした勢力は急拡大するんじゃないかな」
「ふむ。ならば急激に成長した中流階級の成り金を片っ端から調査しましょう」
とギュンガスはそう答えた。
ひとことで中流階級と言ってもピンキリである。たとえば近年の急激な工業化の波に乗った中流階級の上層の新興成り金ともなると、その財力は上流階級以上となる。マルク伯爵家を凌ぐ莫大な収入を得ていることさえ珍しくはない。
「どうやって?」
ウィルは薄々感づいて、嫌そうな顔をしながら手段を問うた。
「ここに格好の餌があるではないですか」
「餌――?」
嫌な雲行きになってきたと思った。
「ご存じのとおり、金を手に入れた中流階級が次に求めるものは成功者としての名誉であり、上流階級の仲間入りを果たすことです。彼らが喉から手が出るほど欲っするものは爵位と貴族家の伝統です。彼らは貴族の生活様式を何から何まで真似ようとしているのですよ。縁談を餌に誘い出しましょう」
ギュンガスはウィルの知っていることをくどくどと説明した。
特に縁談というくだりに、ウィルは本格的に顔をしかめる。
「蟻の巣に砂糖を投げ込むのは賛同しかねます」
そこで、いままで壁の花のように気配を消していたトリスが口を挟んできた。
トリスはトリスで、いま考えることがいっぱいあるのだろう。
「こちらから縁談という名目で呼び出すと、万が一、力のある大金持ちが食いついたら、針を外すのが一苦労ですよ。先方はどれだけ足蹴にされようが、こちらの差し出した手を放しませんから」
トリスの言葉にウィルはこくこくと頷く。
相手の面子を傷つけずに縁談を断わるのはとても面倒なのだ。当方から誘いをかけたのなら、なんらかの埋め合わせが必要になるだろう。
「ですが、そうでもしないと忙しい新興成り金たちを呼び出すのは難しいですよ」
「彼らの興味をひく催しをすればよいのです。内覧会を開きましょう。彼らは貴族を真似たくて仕方がないのですから、真似させてやればよいのです。幸いマルク家の使用人は質が良いことで知られています。彼らはマルク家の女中を欲しがるでしょう。これぞと目をつけた中流階級には女中を譲り渡してもよいのではありませんか」
この時代に、明確な中流階級の定義というものがある。
――それは最低一人以上の女中を雇っていることだ。
そのため、薄給の教師や王国の公務員ですら、生活を切り詰めてまで、孤児院から女中を一人雇い入れるくらいなのである。
「女中たちの近況がどうなっているか連絡を保ちましょう。新しいお屋敷でちゃんと幸せに働いているか気になりますもの。もちろんここまで手厚く手助けするのですから幾ばくかの手数料はいただきます」
トリスはふふっと笑う。
それがトリスの金策であった。
「なあ。ウィル。一体何の話をしているんだ?」
ソフィアが不思議そうにそう問いかけた。
「いまぼくの外堀が着々と埋められているところなんだ。近日、屋敷にお客さんが大挙して押し寄せるらしい。ぼくは夜会なんて嫌いだっていうのに」
伯爵家の子息ともなると、ときどきやりたくないこともやらねばならない。
マルク家にとってメリットがあって、それによって屋敷が円滑に回るなら、ウィルに断わるという選択肢はないのであった。
「ご主人さまに内覧会のホスト役をお願いすることはどうしても不可欠ですが、まずその前に――」
トリスの言葉にウィルはドキリとした。
「緩みかけた屋敷の女たちの心を主人の元へ引き戻さねばなりません。屋敷の女中が心の底から主人を慕い、主人に忠誠を尽くすことで、中流階級の羨む貴族家の屋敷というものが成立するのです。言って聞かないならば身体で分からせるしかありません。まずはご主人さま、屋敷の女中たちを意のままに動くようお躾けくださいませ」
◇ 屋敷の女性一覧 ◇
女中長 1人 (トリス◎)
蒸留室女中 2人 (リサ△・サリ△)
洗濯女中 6人 (第一:ジュディス)
(第二:イグチナ・ブリタニー△・シャーミア)
(第三:アーニー・レミア)
料理人 1人 (リッタ)
調理女中 3人 (ジューチカ)
皿洗い女中 2人 (ルノア・ニーナ)
酪農女中 3人
客間女中 1人 (フローラ△)
家政女中 12人
雑役女中 8人
側付き女中 2人 (ソフィア△・マイヤ◎)
計41人
お手つき 2人 (済◎、途中△)
第十七話「経営危機」へのコメント:
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