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第五十五話「隠し部屋」

 ゆっくりと停車しようとする馬車の中、れいそくはスカートを握りしめ、降り立つタイミングを見計らっていた。

(うわあ、姿は見えないけど、見られている気配をひしひしと感じるよ。この中に出て行くと思うと緊張するなァ)

 玄関前の中庭に居合わせた下働きの女中たちからすれば、馭者台に見知らぬ男が座っており、目印となる紋章の刻まれたカンテラまで外されているのだから馬車の素性が分からず、さぞ対応に困っていることだろう。
 貴族の客人であれば午後の黒地の女中服で出迎えなければ非礼にあたる――もしも帰ってきたのが父親のマルク伯爵であった場合、朝のプリント地の女中服のままかつに顔を出そうものなら即クビになりかねない――出るに出られない状況なのだ。
 令息はそれを気の毒に感じつつも、

(さあ今のうちだ。行こう!)

 意を決してドアを開け、まだ完全に停車していない馬車から飛び降りる。
 黒地のスカートと白いエプロンが、ガーターベルトを履いた細腰と白い長靴下のまわりでふわりと舞い上がった。

(うわ、こんなにも広がるものなんだね)

 女中服の全円スカートの布面積の広さを実感しつつ、令息はおそるおそる馭者台の方をうかがった。
 そこに座る痩せ身の小作人カインはまだ背中を向けており、ルクロイの村で忠誠を誓ってくれたこの男には、

『命をねらわれており、どこかで身を隠すから途中でいなくなっても驚かないように』

 事前にそのように言い含めてあるのだが、すぐに屋敷の令息だと見抜かれないか不安な心持ちがして仕方がない。
 やがてカインはくるりとこちらを振り返った。
 見覚えのない女中が立っていることに男はおやっと首をかしげ、しばしの間ウィルに目線を留める。

(ううっ……)

 ふいに、どういうわけかほほましいものでも見るかのように口元を緩ませ、馭者席で馬を落ち着かせる仕事に戻ったのだ。

(あれ、いまの怪しまれたというより、なにもそんなにいて降りなくてもって感じのあきれるような目だったよね?)

 木の葉を隠すなら森の中――ロゼを含め六人のシャルロッテの女学生とルクロイの村で合流できたおかげであろう。

(たぶんぼくのこと、屋敷で働けるのが嬉しくてたまらなくて、うっかり先に着替えちゃった気の早い新入り女中だと勘違いされてるよ!)

 いつかカインがウィルの変装に気がつく日が来るかもしれないが、夜通し馬車を走らせてくれたこの小作人は、マリエルの伝言によるところの、

『屋敷に連れ帰る使用人、あるいはお手付き済み以外の女中に存在を知られたときには――』

 伯爵家に土地を借り畑を耕している広義の意味での『使用人』に相当するはずで、ウィルだとかんされても差し支えはなかった。

「さあ、ウィルマ。参りましょう」

 背後にはいつのまにかトリスが立っており、それで周囲に馬車の素性が明らかになった。
 動揺していた女中たちの気配が、監督者である女中長ハウスキーパーの目を意識した規律だったものへと変わる。
 おそるおそる手伝いに来ようとする中庭の女中たちには、トリスは手の甲を払い、不要というぐさを示した。
 それで遠巻きに見守っていた女中たちも手持ちの仕事に戻りはじめる。

(はやく屋敷内で安全な場所を確保しなきゃ!)

 身長差のある主従は急ぎ足で馬車から離れ、屋敷の正面玄関前の階段へと向かう。頃合いを見計らって走りはじめた。
 こういうときに女中たちの規範となる女中長が、スカートのすそを揺らして走るのはみっともなく、不必要な注目を浴びることになる。
 どうしてるのかと思って隣に顔を向けたところ――

(うわ、なにそれ?)

 女中長はまるで湖面を切って泳ぐ水鳥のように、スウッと静かに並進してみせるのだ。
 肩や腰をほとんど上下させず、歩幅に合わせてスカートを揺らしたりもしない。レールの上をすべっていくような動きである。
 おそらく見る者には、上手く言葉で説明しづらい奇妙な優雅さだけが印象付けられ、隣を走る小柄な女中のことまで頭に残らないのではなかろうか。

「……トリス、それどうやってるの?」
「こういう歩法がバレエにあるのです。ウィルマをスカートの中に匿ったまま歩くこともできますわよ?」
「え、嘘!?」
「こうして走れるのですから、あなたを踏まないようにするくらい目をつぶってでもやってのけますわ」
(トリスは大丈夫でも、ぼくの方が四つん這いで上手く歩ける気がしないよ……)

 そうこうしているうちに玄関前の階段にさしかかる。
 目の前には羽を広げるように、ぐるりと左右に展開された白亜のいしだたみの階段が見えた。
 もう少し到着時間が遅ければ、玄関前の階段には何人もの若い女中たちがうずくまり、軽石を擦り付け白く磨き上げていたことだろう。
 そのまま段を飛ばしながら階段を駆け上がっていく。
 そのとき令息の顔のすぐ横で、いままで身じろぎもしなかった布の張り出しが、たぷんたぷんと揺れはじめた。

(わわわ、さっきまでと違って、トリスの胸、すんごい暴れてるや!)

 長身の女はなんとか押さえつけようと奮闘するも、圧倒的な胸の肉量の前にどうにもならない。
 馬のくらに縛りつけそこなった――たっぷり中身の詰まった皮袋のように無残に跳ね回る有様である。

「……シャルロッテ時代を思い出しましたわ」

 もはや足運びの技術では暴れ馬のような胸を制御しきれなくなったのか、トリスは滅多に見せない途方にくれた表情を浮かべていた。
 どうにもならないとしの嘆きが若い令息の欲情をそそる。

(そりゃバレエも止めることになるよ。やっぱりトリスのおっぱいって大きいなァ! 腰もキュッって締まってるし!)

 屋敷で匹敵するのは、元チルガハン侯爵家の女主人――現在屋敷の乳母ナニーを務めている金髪のアラベスカくらいであろうか。

(あ、想像したらムズムズして、たまらなくなってきちゃったや!)

 足を動かすたびに、少年の硬く張り詰めた性器が同世代の少女ロゼの下着の留め紐で押さえつけられ、妙にヌルヌルと湿った感触で裏筋が摩擦される。
 令息は下半身に込み上がってくるものを必死にこらえながら、女中長とともに一気に階段を上りきる。
 そのまますぐに正面玄関のドアの前へと到着した。
 背後を振り返ると、なぜかトリスはその場に立ったまま身じろぎせず、静かに令息を見下ろしてくる。

「開けてくださるかしら?」
(あ、そうか、ぼくが開けないと不自然に思われるんだ)

 主と従の入れ替わった立場をしみじみと実感しながら、いっかいの女中であるウィルマは重いドアを開け、目上の立場になった女中長を先に通す。
 令息も身体を中に入れた。
 閉まろうとする玄関のすきの向こうから、

「おい! おまえら遠くでボサっと見てないで、こっちに来て手伝ってくれよ! 大変なんだ! 馭者の爺さんが撃たれたんだぜ!」

 中庭からマイヤの、さも切迫した声が響いた。
 おあつらえ向きに、後続の馬車と思われる馬のいななきも続く。
 これから広がるであろう喧騒が、重い玄関ドアによって一枚蓋をされたのだ。

(やっとぼくの屋敷に帰ってきたけど――)

 改めて振り返った新入り女中ウィルマの目の前には、過去に多くの貴族の客人を迎え入れた屋敷の誇る壮麗な玄関ホールが待ち構えていた。
 見慣れた景色がいつもとまるで違って見えて、感慨よりも戸惑いの方が大きく、踝まであるスカートの足元が妙にスウスウして感じられる。

(女中の立場でこうしてここから見上げると、思っていた以上に圧倒されるものだなあ……)

 大理石の太い支柱が立ち並ぶ頭上には天使画が描かれており、天界に通じる橋でもかかっているかのように赤じゅうたんの道が高くそびえている。
 あの大階段こそが、階上の世界アッパーステアーズ階下の世界ビロウステアーズへだてる象徴なのだ。
 下っ端女中になって、幼少期に初めて会ったときのマイヤが目を回していた気持ちが、いまの令息にはよく分かった。

「いま一番顔を会わせたくないのは、主人不在の屋敷を徘徊している家政ハウス女中メイドたちですわね」

 トリスは新米女中にそっと耳打ちしてくる。

「いつもみたいに向こうから避けてくれたりしないかな?」
「むしろ新入りの女中と見たらここぞとばかりに寄ってきますわ。話し相手にも飢えておりますから。捕まったらこの上なく面倒ですよ」
「うわぁ、どんな子か分からないから怖いんだけど……」

 主人の前に顔を出さないよう厳命され、長年昼夜逆転の生活を強いられてきた屋敷の家政女中たちとは、令息はほとんど面識がない。
 女中服姿の令息は慎重に周囲を窺いながら、白と黒のタイルで装飾された床を横断し、柱の後ろに隠れた。
 長身の女中長も影のように続く。

「ちなみにその二人は結婚退職できず、中流階級にも引き取られなかった二十代の女中たちで、仕事の腕と器量自体は悪くありませんが、やさぐれており口が悪く、後輩いびりをしかねないほど性格も悪いのが難点ですが……」
「難点ばかりじゃないの! うちの屋敷で性格の悪い女中なんて初めて聞いたよ!?」

 小声でそうささやき返しながら主従は、大理石の柱の間を早足で進む。

「しかも使用人ホールでは、住み込みで働いていると出会いがないといった愚痴を他の女中たちにまき散らしております」
「それぼくが一番困るやつだよ!」

 だが、置かれている境遇を考えれば性格がゆがみもしようものだ。これまで手を差し伸べられなかったこともあり、同情は禁じえないと令息は感じている。

「早急に手を打つ必要があります。わたしも困り果てていたところですが、あら――」

 トリスがくるりと振り返り、わざとらしく見つめられたので嫌な予感がした。

「そうですわ! せっかくウィルマが後輩として配属されるのですから、二人のはウィルマに託しましょう」
(いまさらっと丸投げされたよ! どのみち二人のことをらないといけないんだけどさ!)

 ウィルはなんだかなという表情である。

「ふふ、先々なんとかしてもらうとして、さしあたり家政女中が近くに来たら、すぐにこの中にお隠れなさい」

 そう言って、トリスはスカートの左右を軽くまみ上げる。
 ウィルは玄関ホールを振り返り、きょろきょろと見回した。

「あ、あのさ、それって結構バレると思うし、バレたときに言い訳のしようがないんだけど……」

 国の要人すら迎えられる場で、そのような紳士にあるまじき――女中服姿なのだが――行為に及ぶのはいささか躊躇ためらわれる。

「あら、たとえ中にもぐり込んでいるのが見つかっても、靴下留めガーターが外れたとでも言えば、みな納得しますわ」
(あっ!)

 それを聞いて、とある伯爵家夫人が社交界で靴下留めを床に落とし嘲笑された逸話を思い出した。
 足をあらわにすることが不作法だとされている淑女レディたちは、緊急時に女使用人をスカートの中に潜りこませるしか方法がない。

(そっか、いまのぼくの立場は女中なんだ……)

 足首から上を見せることのはしたなさをつくろうためならば、しもの世話を含めてあらゆる不合理は正当化され、不都合な部分は見て見ぬふりをされるのであった。

「わたしもときどきリサ・サリをスカートの中に入れております」

 トリスは、さらりとそう白状し、あの双子の蒸留室スティルルーム女中メイドがどこにでも現れ、いつのまにか消えている秘密の一端が思わぬ形で判明したのだ。

 そのとき突如として、
 カツカツカツ――

(ち、近づいてくる! ど、どうしよう!?)

 急ぎ足でぐこちらに向かってくる足音が聞こえて来た。

「早速ですわ。ウィルマ、すぐにスカートの中にお入りなさい」
「で、でも――」
「早くなさい!」

 紳士としての習性が抜けきらず躊躇するウィルに、女中長は女中に命令口調で促した。
 女中服を着た少年は女中長の言葉に逆らいきれず、動転しながら大理石の床石に膝を突き、トリスのスカートの裾をめくり上げる。
 黒い長靴下に包まれたふくらはぎをのぞかせるスカートの裾に頭を潜らせる。

(め、目の前にトリスのお尻が……)

 窓から差し込んだ日の光を磨かれた床石が反射しており、さきほど馬車の中のときより視界が明るく、黒いした穿きの刺繍まですぐ目の前に見える。

「ご主人さま、恐縮ですがもっと腰にお顔をくっつけて、なるべくスカートを膨らませないようにしてくださいまし」

 言われるがままに顔を寄せると、女中長の黒い下着の尻の谷間に鼻先を埋めることになった。
 一瞬、ぶるっとトリスが身を震わせた。

「とてもよろしいですわ。お顔を強く押し当てたまま身動きしないようにしてください」
(こ、これ本当に大丈夫なの!?)

 後から気がつくことになるのだが――しくも、腰の後ろを盛り上げて蟻腰を強調したバッスル・スタイルのドレスシルエットの出来上がりであった。
 駆けつけてきた足音が主従の前で急停止する。

「あ、トリスさま!? 馬車が撃たれたと聞きました! ご主人さまは、ご主人さまはご無事なのですか!?」
(あ、フローラだ!)

 その声を聞いた瞬間に、金髪の客間パーラー女中メイドであると分かり、ウィルは思わず尻の谷間に鼻を埋めたままあんためいきをついてしまう。

(わ、わざとじゃないよ?)

 さすがのトリスも布越しの女の尻穴めがけて息を吐きかけられ、ほんのわずかに身じろぎし、むわっとした女のしょの匂いが鼻先に広がった。
 下着が左右に引っ張られているせいか、女のふとももにつうっとなにか粘着質なものが垂れ落ちる気配がしたように思う。

「フローラ、落ち着きなさい。ウィル坊っちゃまはに身を隠しておられます」

 すると、すとんと石畳に膝をつく音が聞こえ、スカートのカーテンがフワリと揺れたのだ。

「ああ、良かったァ…………」

 フローラは盛大な溜息をらしている。
 ぐすぐすっと鼻を鳴らす音まで聞こえてきた。涙まじりになっているようだ。
 まるで戦地の夫の無事を聞かされたような安堵のされ方であろう。
 これが身も心も手折った女中が主人の身の危険に際して示す反応なのだ。業の重さに、身もだえするような心持ちにさせられる。

「いずれお戻りになり、必ずあなたの前に元気なお顔を見せてくださいますわよ」

 涙ながらにウィルの無事を喜ぶフローラの向かい側には、

(こんな状況でつなという方が無理な注文だよ!)

 当の令息は豊かな尻の谷間に顔を埋め、股間を元気にさせていた。

「すみません。ホッとしたら、なんだか腰が抜けてしまって……」
「腰を抜かしている暇があったら、あなたも早く表に出て、介抱するのを手伝ってあげてちょうだい。ご主人さまはご無事でも、馭者が撃たれたのよ」
「ええ!? それは大変ですわ!」
「命に別状はありませんが、運ぶのに人手がほしいところね」

 慢性的に男手が不足しているこの屋敷では、力仕事はみなで協力しあうものなのだ。

「分かりました! ご主人さまが大変なときこそ、お役に立たなくちゃ!」

 フローラは腕まくりでもするかのようにそう言って、立ち上がる。
 ウィルはスカートの裾を摘まみ上げ、玄関口の方にトコトコと立ち去っていくフローラの尻を眺めていた。
 ウィルの言いつけどおり、金髪の客間女中はコルセットを付けておらず、触ったときに楽しめるようお仕着せの内側にスカートを膨らませるパニエも穿いていない。

(ぼくはいま、フローラを支配しているという手ごたえを実感できてゾクゾクとしているよ)

 いつでも主人を受け入れられる尻の谷間が、布ごしに浮かび上がっているのが見えるのだ。

「もう大丈夫ですわ」
「……あのさトリス、思ったんだけど、フローラだったらべつに無理に隠れなくても良かったんじゃ?」

 スカートの裾の隙間から、フローラの去って行った方向を指をくわえるように見つめながら、ウィルはそう問いかける。

「あら、余計なことにお気づきになられましたね。女中のスカートの内側は主人の治外法権ですのでウィルマではなくご主人さまにご返答させていただいておりますが――」

 先ほどからウィルに対する呼びかけが変化しているのは、そういう使い分けであったらしい。

「もしお顔をお見せになったら、あの子きっと涙を流して抱きつきますわ。込み入った事情を説明するのはひと苦労ですし、みなの前で安堵されても困ります。打ち明けるのは、せめてフローラの仕事がひと段落してからにしてくださいまし」
「あ、そうか。フローラには客間女中としての仕事があるもんね」

 屋敷をはじめて訪れる初回だけは、たとえ労働階級の女中であっても玄関ホールに通される客人であり、フローラは接客に当たらなければならない。
 いつのまにかスカートが早い雲のように頭上から消え去っており、

「ウィルマ、早くこちらにいらっしゃい」

 めまぐるしく変わる天気のようにウィルへの呼びかけも変わった。
 あわてて起き上がり、トリスの尻を追いかける。
 長身の女中は、立ち並ぶ荘厳な大理石の柱を後にして、どんどんと普段立ち入らないような奥まった場所へと進んでいく。
 そして突き当たりで立ち止まると、トリスは大理石の壁を静かに押した。
 壁に亀裂が入ったと思ったら、それが奥へと引っ込み、ぽっかりと空いた空間に薄暗い廊下が姿を覗かせる。

(あ、ここ勝手口なんだ。こんなの絶対に分かりっこないよ!)
「少しだけ段差があります。転ばないように足元に気をつけなさい」

 女中長の言葉どおり、五段ほどの下に降りる短い階段が繋がっている。
 扉をくぐり振り返って見上げると、反対側の面には緑色の厚手のベルベット生地が裏張りされており、ドアの縁をぐるりと重々しく鋲留めがされていた。
 先ほどの赤絨毯の大階段が、選ばれた者だけが登ることのできる象徴的な境界ならば、この緑ベルベットのドアは、女中たちにとってもっとも身近に利用している具体的な境界と言えよう。
 ドアを締めると、外から聞こえる音が一気にさえぎられ、しんと静寂が広がった。

「へー、こんなところあったんだ……」

 降り立った薄暗い木張りの廊下には、ポツリポツリと壁に明かりが設置されており、廊下の左右には小部屋がいくつも並んでいるのが見えた。廊下の側にドアが一斉に開け放たれているのは清掃中だからであろうか。

(ん? あれ、この感じ、どっかで見たことがあるかも……)

 令息はきょろきょろと廊下を見回した。
 この辺境領の屋敷において、貴人の部屋はいざとなればドアを押してふさげるよう内開きになっているものだ。立て籠もりにくい外開きということは使用人の使う部屋なのだろう。
 段差は浅かろうとここは階下の世界であった。
 ただ、廊下に絨毯は敷かれていないものの床は木の寄木細工になっており、使用人通路にしては妙にしっかりした作りになっているのが気にかかる。

「ウィルマ、ウィル坊っちゃまはまだお小さいときに、ここにいらしたことありますわよ?」
「あ、やっぱりそうなんだ。もしかしたら隠れんぼのときかな?」

 何百年もの間、増改築を繰り返してきた領地の屋敷の部屋の数を令息は把握していないし、立ち入ったことがあるか定かでないような部屋も結構な数存在した。

「当時はここを使う女中がおらず、すぐにお飽きになったのでしょう。昔からウィル坊っちゃまは女中のいる場所がお好きでしたから」

 通り過ぎる左右の部屋の中を覗くと、小さなベッドに小さな机など必要最低限の家具が配置されているのが見えた。
 ベッドの上に置かれた折り畳まれた白いシーツは明らかに支給品である。
 室内は簡素ではあるものの女中たちの寝室はいつでも使えるように綺麗に片付けられているようだ。

「うわあ……すごいや。ここしかないって場所だよ」

 ほかの階下の世界から隔絶されたこの場所なら、女中の一人として隠れ住むにはもってこいだ。

「ここはロゼや他の子たちの部屋で、あなたの部屋はこの奥に用意してあります。このような粗末な部屋ではありませんから安心なさい」
「え? ぼくの部屋の用意まであるの? トリス、いくらなんでも準備良すぎない?」

 令息が不思議そうに問いかけると、女中長は廊下の途中でピタリと立ち止まった。

「あら、わたしとしたことが。たしかに説明不足ですわね」

 トリスは暗がりの中、ウィルをおおい隠すように身体を寄せて、ボソボソと耳元に語りかけてくる。取り繕ってはいるものの、トリスの息がほんのわずかに荒いのは気のせいではないだろう。

「あなたも知っているとおり、先日ウィル坊っちゃまにご縁談の話がありまして――」

 ウィルが主人として語りかけても、あくまでトリスは一介の女中ウィルマに対して返事をするつもりらしい。

「お相手となる新大陸の資産家のご令嬢が屋敷に滞在する際には、ここを使っていただこうと準備をさせておりましたの」
「え!? そこまで話が進んでいたの!?」

 ウィルは驚いた声を上げる。

「いいえ、わたしが余計な気を回しただけですわ。令嬢は途方もないお金持ちではあるけれど、どなたかの紹介を待たず、いきなりレノスの街にお越しになるなど、貴族社会の暗黙の了解というものをご理解いただけていないようでしたので」
「あ、それで慣れてもらうために、ここに部屋を用意したってこと?」
「ええ。階上の世界にほど良い距離感で接し、淑女としてのマナーを身につけていただくための時間と居場所が必要だと思いましたの」

 女中長の深謀遠慮には毎度のことながら畏れいるが、素朴な疑問も感じてしまう。

「あのさ、トリス。なんでそこまで相手の令嬢に肩入れしているの? いままでそんなことなかったよね?」

 ウィルの問いかけに、女中長は「使用人が口にするにはおそれ多い話ではありますが――」そう前置きをした。

「新大陸で財をした大富豪が爵位持ちの貴族家に嫁入りした事例はこれまでに国内外に千件以上ございまして」
「え? そんな数になってたんだ……」

 身分差を財力で埋め合わせるような縁組をあちらこちらで聞くようになったが、千件というのはウィルの認識よりも遥かに多い。

「しかも意外なほど上手くいくことが多いのです」
「え? なんでだろ? 新参者が貴族社会に入ってくると、どうしても風当たりが強くなりがちだよね?」
「結局のところ金食い虫の領地の屋敷を成立させているものは財力ですから」

 女中長のふたもない発言にウィルは苦笑を浮かべる。
 産業構造が変わり、ただそこにあるだけの土地が以前ほど価値を持たなくなり、領地を束ね中央への野心を示す権力の館としての領地の屋敷カントリーハウスが、もはや費用対効果に見合わなくなってきているのだ。


「令嬢は圧倒的に財力が頭抜けている上に、名誉や家柄を買い入れて社会的成功を誇示したいという動機が明確です。もしウィル坊っちゃまがご結婚なされば湯水のごとく屋敷に資金を投入してくださることでしょう」

 さすがはマリエルに『屋敷で一番背の高い女の指示に従うなら、あんねいなる日々が約束されていることでしょう』と書かれるだけのことはある。
 革命の波が押し寄せる中、大貴族と縁組して中央の政争にいやおうなく加担させられるよりは、成り上がりたい中流階級に階上の世界に通じる階段を上らせてやる方が、より確実に家名を保てることだろう。

「さらに付け加えるならば、貴族の令嬢ほど気位も高くなく、自らレノスの街にお越しになるくらいバイタリティにあふれておりますから、なんとしてもこの屋敷を守りたいと望むウィル坊っちゃまとの相性も良いのではないかと思われましたの」

 もはや女中長が有能すぎて舌を巻くしかない。

「ちなみに彩色されたお写真を拝見しましたが、お歳の近い、いかにも勝気そうな美人なお嬢様でした。ウィル坊っちゃまのじゃじゃ馬ならしを拝見したい気持ちはございましたわ」

 それに対し令息は、元乳母であり元家庭教師ガヴァネスであり現女中長の顔をじいっと見上げ、

「そうだったんだ。トリス本当にありがとう。でも、ごめんね」

 心底申し訳なさそうに、それでいて悪びれずにっこりと微笑む。
 ウィルはトリスに人生をゆだねるのではなく、『帰るべき草原もテングリの加護も失った銀狼族のしゃ』となり、トリスの人生を支配する道を選んだのだ。
 ウィルはレベッカを手足として使い領地経営を軌道に乗せ、トリスの手を借りず自力で領地の村まで守ってのけた。
 女中長はどうにも意のままにならない令息にしばしの間、いんに浸るように自身の熟れた身体を抱きしめ苦笑を浮かべた後、先を急ぐように早足で歩きはじめる。
 そのとき令息は、急にはっと思い出してトリスの背に言葉を投げかける。

「そうだ、問題はギュンガスのヤツだよ!」

 レノスの港街に残ったギュンガスは資産家の令嬢と対面して、ウィルと結婚したらどのくらい持参金を引き出せるか探るよう伯爵から指示を受けていると聞く。

(このまま縁談がうやむやになってくれないと困るんだけど……)

 あの奴隷市場で大枚をはたいて買った奴隷は、ここぞというときに不必要な有能さを発揮しそうな気がしてならない。
 女中長はカツカツと先を急ぎ、背を向けたまま、

「まあ、常識的に考えるのであれば、賊の出る危険な辺境領は嫁ぎ先として敬遠されるでしょうし、なによりもウィル坊っちゃまがお会いにならないことには婚姻話は進みようがありません」

 令息の内心の不安に答えるようにそう口にした。

「現時点で一介の女中であるウィルマが、あれこれ心配しても仕方がありませんよ。もう少し他の女中たちを組み敷き地盤を固め、屋敷内で偉くなってからお悩みなさい」

 そう突き放すように言ってトリスが突き当たりに足を運ぶ。
 その横に掃除道具の置き場に使えそうな空間がこじんまりと広がっており、その壁には五段ほどの短い登り階段が繋がっていた。

「さあ、ここまで来たらもう大丈夫でしょう。ウィルマ――いえ、ご主人さま。どうぞお入りください」

 そう言って、トリスは階段の面する壁を押し込んだのだ。
 その先には思っていた以上に広い――ウィルの寝室よりは小さいが、マイヤがヤリ部屋と呼ぶ旧倉庫部屋より遥かに広い、ごうしゃな空間が広がっていた。

(うわあああァ! すっごいや!)

 高い天井からはシャンデリアがぶら下がっており、壁はリンネルひだ飾りの付いたオーク材の鏡板張りパネリングが施されており、暖炉まで備わっている。
 部屋の様式に古めかしさが感じられるものの、職人の細工の仕事も細かく、ここは明らかに階上の世界に属する者が使うあつらえであった。

「この部屋では、いつものお洋服を着ていただいても大丈夫でしょう。どのみちここから先は服をお脱ぎにならないとはじまりませんもの」

 ウィルに促されるようにして、ささやかな階上の世界に至る階段を上る。

「やはりご主人さまには、主人に相応ふさわしい堂々たるベッドにて、女中をとぎにお使いいただきたいものですわ」

 耳元で囁かれたその言葉どおり部屋の奥には、狭い廊下を運ぶのが物理的に無理だと思わせるような、柱の太い豪壮なてんがい付きベッドが置かれていた。

(うわ、でっか! ぼくの寝室のベッドよりも大きい。五人でも六人でも楽々寝られるよ!)

 ベッドの前まで歩み寄ってみて改めてそう感じた。
 細工も華やかさより重厚さに重点が置かれており、少し時代がかっているだろうか。
 天蓋から垂れ下がる赤いカーテンもやたらに分厚い。

(ここって昔から使われてきた隠し部屋なんだね。多分、この部屋ができたのは玄関ホールよりずっと前なんだ!)

 ふと、天蓋を支える木の支柱に刀傷のようなものが走っていることに気がついて、ギョッとした。

(あ、このベッドって元は荘園領主の館マナーハウス時代に、かつての大広間――いまの使用人ホールに置かれていたやつなんじゃ……)

 平和になった父親の代には忘れ去られたが、こうした大掛かりな避難部屋を作らざるを得ないほど、領主の一族とその家臣団が身を寄せ合うように暮らしていた開拓時代のマルク領は危険だったのだ。
 やがて、ベッドの周りを歩き、つぶさに点検していたトリスは、

「よろしいですわ。ご苦労さま」

 ベッドメイクの出来に満足するように、だれもいない足元に向かってそう口にした。
 するとベッドの下から、

「お帰りなさいませ。トリスさま!」
「お部屋、使えるようにしておきましたです」

 蒸留室女中の双子が、あおきにニョキニョキッと生えてきた。

(おわああ!? び、びっくりしたあ!)

 いつも登場が唐突な二人だが、今回ばかりは心臓が口から飛び出るほど驚いた。

「ベッドの下の清掃もバッチリです」
「これでいつでも隠れられるのです」
(なんでベッドの下に隠れること前提なんだよ!)

 改めて屋敷に戻ってきたなあという実感を強くする。

「あれ、その方は?」
「新入りの女中さんですか?」
「この子はウィルマです。の女中ですから、あなたたち二人も仲良くなさい」

 トリスはウィルの両肩を押して、ベッドの前に立つリサ・サリの方に突き出した。

(う……バレても問題ないけど、バレたらなんか気まずいなァ)

 そう意識してしまい、思わずモジモジとうつむいてしまう。
 すると、二人はくみやすいと判断したのかくばせをしあい「「ほほお」」と声を揃えたのだ。

「「ウィルマさん、リサ(サリ)なのです」」

 そして双子姉妹は値踏みをするように、ぐるぐるとウィルの周りを回りはじめた。

「あれ、どこかで見た子なのです」
「だれかに似ている気がするです」
「きっと屋敷のだれかの妹なのです」
「きっと、そうなのです」

 納得したように、二人の視線は首から下に降りていく。

「あまりお胸は大きくないのですね。リサと同じくらいなのです」
「あまりお尻も大きくないのですね。サリと同じくらいなのです」

 どんどんと女の値踏みまで始め出した。

(それって自分たちに胸や尻がまったくないと言ってるも同然なんだけど、分かってやってんのかな?)

 既視感のようなものを感じずにはいられない。
 たしかリサ・サリと――いまウィルが穿いている下着の持ち主であるロゼは、主人不在の屋敷で半年くらい共に過ごしているはずで、面識があったことに思い至る。

「分からないことがあったら、なんでも教えてあげるのです」
「その代わり――」

 そこでウィルの周りを回る二人は立ち止まり、

「「リサ(サリ)の方が先輩だってこと忘れないようにするのです!」」

 えっへんと小さな胸を張ったのだ。

「へえ、リサ・サリって、初対面だとそうやって先輩風を吹かせるんだ。意外だったなあ」

 その言葉にギクリと双子姉妹の肩が跳ねる。

「そ、その声は……」「ま、まさか……」
「うん、二人ともただいま」
「「ご、ご主人さまァ!?」」

 にっこりと微笑みかけるウィルに、二人は素っ頓狂な声を上げたのだ。

「な、なんでこんな意地悪するですか!?」
「せっかく子分ができると思ったです!」
「いや、べつに二人を騙そうと思って着替えたわけじゃ……ていうか子分!?」
「この子たちに初見で気がつかれなければ、まず問題ないでしょう。というかこの子たち、案外大したことないですわね」

 そうトリスに指摘されると、二人して血相を変えてウィルにすがりついてきた。

「お顔だけをじっと見つめていたら気がついたと思うのです!」
「前髪で目元を隠しているから確認しづらかったです!」

 令息は分かった分かったと二人の肩を抱く。

「自分たちより胸が大きいか、まず気になるです!」
「胸がなくて安心してたのです!」

 促されるように感じて、左右のエプロンの隙間に手を差し入れ、二人の胸をにぎにぎと触る。

「ひゃん!」「いきなり!」

 この二人は発育の良い女学院の女生徒たちを目にして、持てる者と持たざる者の悲哀を味わい尽くすのではなかろうか。

「二人ともちゃんとおっぱいあるから心配しないで」
「なんでちょっと慰めるようなんです!?」
「帰ってくるなり人の胸をみしだいておいてひどい言い草なのです!」

 二人は顔が触れそうな距離にまでウィルに詰め寄ってくる。

「「責任とってちゃんと可愛がるです!」」
「「リサ(サリ)の方が先輩なのですから!」」

 そのとき、横からすうっと息を吸い込む音が聞こえてきた。

「リサ・サリ! これからこの部屋で行われることは一切他言無用にすること。万が一のために外を見張りなさい!」

 有無を言わさぬトリスの怒号が飛んだのだ。

「「は、はいです!」」

 リサ・サリは考えるより先に部屋から退出させられていく。
 さきほどのトリスの大声は吸い込まれるように分厚いカーテンや壁の中に消えていった。このくらい大声を出しても大丈夫な場所のようだ。

「あら、わたしとしたことが。ご主人さまのご意向をうかがう前にあの子たちを退出させてしまいましたわ」

 いつのまにかトリスは、ベッドの上から垂れ下がるカーテンのドレープを隔てた向こう側に立っており、しゅるりと衣擦れの音が聞こえてきた。

「少しだけお待ちを。思う存分、女中を抱きたいというご用命でしたので、女中服に着替え直すまでお待ちいただけますか?」
「き、着替えるくらいなら待ってあげるけど、いまさらお預けとかぼく絶対許さないからね!」

 つい上ずった声でそう声をかけたら、

「お預けなど滅相もございません! すぐに着替えを済ませますわ!」

 それ以上に強い口調で返事をされた。
 ベッドの近くのソファーにさっと長い腕が伸び、トリスの外出用のドレスがかけられる。一瞬だけ、黒い下着の透けるスリップが露わになった。

(トリスがこんなにあわてて着替えているの初めて見た。いつも気がついたら、いつのまにか着替え終わらせて澄まして立っているもんなァ)

 ひと回り以上も年増の女中長が珍しく、歳下の令息に抱かれるために、行動の端々に焦りや興奮を匂わせてくるのだ。
 壁の燭台に照らされて絨毯に落ちる影が、長身の女中がお仕着せに頭を通しはじめたことを知らせてくれる。
 なんでわざわざもう一度服を着て身体を隠すんだと言いたくもなるが、女中服の抑制的な色香自体は嫌いではない。

「着替え終わりましたわ」

 トリスは、胸元の部分が幅狭になったいつものエプロンを着けた女中服姿で、赤い天蓋カーテンの向こうから姿を現した。
 それに対面する令息の手には、目の前の女中長の血縁者であるロゼの下着が握られていた。
 トリスが着替えている間に脱いだのだ。

(トリスとロゼは歳の離れた姉妹なのか、母娘なのか――)

 そのことを確かめずにはいられない。
 押さえるものがなくなったスカートの股間が、船のマストのように帆を張ることになる。
 誇示することで、自分の方が主人であると強調したかったのだ。
 トリスはそれに応じるようにこちらに歩み寄ってくる。
 長身の女中の白いエプロンの左右からは黒いお仕着せに包まれた胸のやわにくが令息の顎の高さではみ出しており――それら胸の張り出しが真っ直ぐウィルの顔に向けられた。

(ようやく、これから思う存分、トリスの身体を自由にできるんだ……)

 張り詰めたマストの表面を焦らすようにレース生地が擦れる中、身長差のある主従がいまにも触れ合いそうな距離で向かい合う。

「ご主人さま、さきほどおっしゃられた『お預け』というのは、いまのご主人さまがお使いになる適切なお言葉ではございません」
「……」

 ウィルはわずかに小首を傾げた。

「村を守り、領主の一族としての義務を果たされたご主人さまには、ぜひとも支配者然としたお言葉づかいをしていただきたいものです」
「だったら、どうしたらいいかな、いや、どうしてほしいか言ってみて」
「荒々しくお命じください――股を開けと。今後なかなかお会いできない分も含め、たっぷりとご主人さまの性欲の捌け口にしていただきたいのです」
(……ト、トリス、いま、すっごい表情してるよ!?)

 屋敷の女中長は頭ひとつ分も背の低い令息を前に、抑えきれないほどの情欲を露わにしたのであった。

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第五十五話「隠し部屋」へのコメント:
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