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第五十三話「屋敷に戻ってきた女中たち(上)」

「ご主人さま、じきに到着しますわ」

 耳の上から優しくささやかれたその声に、れいそくやわらかな体温の中ではっと意識をかくせいさせた。

(……ん? ここは?)

 とくんとくんと心臓の音が聞こえ、床下からはガラガラと車輪の回る音が伝わってくる。
 カツン――
 いましがた小石をねたようだが、その揺れはウィルの身体に届く手前で吸収された。
 視界をおおう膨らみを左右に押し拡げ、顔を上げると――

「よほどお疲れだったのでしょう。ぐっすりとお眠りでした」

 柔らかな谷間の奥からほほみかけてくる元乳母ナニーの顔が、薄暗がりの中ぼんやりと見えた。
 そこでようやく令息は、カーテンを締め切った暗い馬車の中、外出用のドレスに身を包んだトリスの豊かな胸に深々と顔をうずめ、上体を預けているのだと悟る。

(……あれ、ぼく、どうしていたんだっけ?)

 馬車に乗り込んだ後、マリエルからの伝言の件も含め、ルクロイの村で起きたことを説明したら、いままでの疲れがどっとぶり返してきたのを少年は覚えている。
 それで誰のふとももだったか忘れたが勧められるまま横になったら、どうも張り詰めていた神経が緩んでしまったらしい。
 さぞ泥のように眠っていたことだろう。
 賊とはいえ初めて人を手にかけ、屋敷とそこで働く女中たちを守る方策について夜通し悩み抜いていたのだから、まだ年若い令息には無理からぬところがあった。

(本当にいっぱいいっぱいだったもんなあ……ふあああ)

 トリスの大きな胸を枕にしてあくびをしていると、頬に触れた――糸が細く肌触りの滑らかな綿モスリンの黒い生地がべっとりと湿っていることに気がつき、

「あ、やっちゃった。ごめんよ」

 あわてて手の甲で顎のよだれぬぐう。

「お気になさらずともよろしいですのに。昔お世話をしていたときのことを思い出しましたわ」

 幼少期の令息に母乳を与え、おしめを換えていた元乳母はあでやかに微笑む。

(そんな風に言われたら余計に気恥ずかしいって!)

 おねしょでも見つかったようなバツの悪い気持ちになり、身体を離そうと腰を浮かしたところ、左右からにょっきりとトリスの立て膝が突き出していることに気がついた。

(ああ、どうりで寝心地が良いと思ったら……)

 腰までも女の長い足に挟まれ、手すりのついた揺りかごに眠る赤子のように揺られていたのだ。こんなきゅうくつな場所で眠ってどこも身体が痛くないのはそのおかげだろう。
 ガツン――
 ふいに先ほどより強く馬車が揺れ、ついその拍子に女のやわごしに自らの小さな腰を重ねた瞬間――

(おっと、うおっ!?)

 ビクンと少年ののうずいに敏感な刺激が走る。

(わ、わ、なんか、すんごいってる!)

 下を向かずとも、張りつめたとうがビクビクと小刻みに震えているのが分かる。それがトリスの下腹部を布ごしに押し上げているのだ。

(命の危険にさらされたせいかな?)

 はち切れんばかりの青い性欲が下半身にとぐろを巻いており、今すぐにでも腰の先端を差しれたくて仕方がない。
 おそるおそる頭上をうかがうと、主人の意向を受け入れるようにトリスのあかい唇が左右に吊り上がる。心なしか女のたいが嬉しそうにぶるっと震えたように思う。

(……んっ?)

 そこでなんとなく視線を感じた気がして、向かいの座席に顔を向けると、そこには銀髪のソフィアと赤毛のマイヤが座っているのが見えた。
 二人はまぶたを伏せており、互いに肩を借りるように持たれ合ったまま、寝息を立てている。

(ちょっと、びっくりしたかも。二人が寝ているうちに済ませてしまおう。だって、もう収まりがつかないもの)

 構わずそのままトリスに腰を押し付けようとした矢先――

「お目覚めですか、お兄さま」

 背後から綺麗な鈴の音のような少女の声がかけられ、少年はびくっと肩を震わせる。
 おそるおそる肩越しに背後を振り返ると、女学院の制服の胸元を大きく押し上げるふくらみが見えた。
 そこからさらに視線を上げると、長い黒髪を耳の左右で結い、すっと鼻筋の通った――いま体重を預けている女中長ハウスキーパーに良く似た――年若い怜悧な美貌が視界に映る。
 少女はその桃色の瞳をじっとうるませ、令息をぐに見つめてくるのだ。

(うわわぁ!? そ、そうだ! 馬車にはロゼも乗っていたんだ!?)

 令息は女中長の肢体から身を跳ね起こした。
 こうしてカーテンの閉め切られた薄暗い馬車の中、三人並んで腰をかけることになる。
 一回り以上も年上の女性と、その歳の離れた妹である同年代の少女に、布ごしに左右のふとももが触れ合う間合いで挟まれ、真ん中の令息は気まずそうに座席に背筋を伸ばして座っていた。
 隣に座るトリスはというと、いくつか外されていた胸元のボタンを合わせながら、まるで情事後のようなだるとしの色香をただよわせた視線を令息に投げかけてくる。
 一方、ウィルを挟んだ反対側で、トリスの若かりし頃をほう彿ふつとさせる、すらりと手足が長く胸の大きな黒髪の少女ロゼは――年頃の少年ならただ隣に座っているだけでも、しっとりと大人の色香を放つようになった少女の存在を意識してしまうというのに――こちらの横顔にじっと長いまつと潤んだ薄桃色の瞳を向け、従順に兄の返事を待っているのだ。
 二人に左右から挟まれた状況で、いつもよりもどこかスウスウする少年の下半身からは、依然として布地を押し上げた亀頭がヒクヒクと揺れてこすれる感触が伝わってくる。

(うう……居たたまれないよう)

 以前、せいをしてトリスに下着を検分されたときとはまた違ったしゅう責めにっている気分である。

(さ、さっきから全然収まる気配がないんだけど!?)

 視線を下げれば左右から二人の大きな胸で挟まれていることをいやおうなしに意識させられてしまい、ウィルとしては勃ったままの股間から意識を遠ざけるように馬車の低い天井を見上げるしかなかった。
 向かいの座席では、赤毛の幼なじみと銀髪のが持たれ合い、目を閉じたまま身じろぎ一つしない。
 途方に暮れかけて、

(あ、そうだ!)

 伝えるべきことがあったのをハッと思い出した。
 令息は妹分の少女の方にくるりと顔を向ける。

「ロゼ、シャルロッテの首席おめでとう! 凄いや! ごめんね、もっと早くお祝いしてあげるべきだったのに、ろくに話もできないまま意識が飛んじゃって」

 股間をこわばらせていることを忘れ、茶色の瞳を綺麗に輝かせながらくったくのない笑みを浮かべる――この令息にはそういうところがあった。
 黒髪の少女は、その薄桃色の瞳をひとしきり丸くしてまたたきを繰り返した後、

「まあ、お兄さまったらちっともお変わりにならない。大好きなお兄さまのままですわ」

 目の端に涙を浮かべながら、心底おかしそうにクスクスと笑った。

「お手紙でも申し上げたとおり、非才のロゼが首席で卒業できたのはひとえにお兄さまのお力添えがあったおかげです。お兄さまこそ王立学院の首席卒業生ではありませんか」
「いやあ、ぼくの方こそ、たまたまだって。知ってるだろうけど、王立学院は貴族の子弟どうしのサロンの意味合いが強いから、シャルロッテよりだいぶんぬるいと思うよ?」

 無論ウィルも努力をしたが、これまで家庭教師ガヴァネスのトリスに受けた王立学院の上級家庭教師チューター顔負けな教育による恩恵がかなり大きかったように思えるのだ。

「しかも、ぼくのときは競争相手の子が自滅しちゃった感じで。どういうわけか、その子にはいまうちで働いてもらっているんだけどね」
「レベッカさまのことは存じ上げております。ムーア子爵家の経営状況がよろしくないということは聞き及んでおりましたし、マルクの屋敷においてはわたしの競争相手になるかもしれないお方ですから」
「あ、そうか。下調べくらいしてるよね。シャルロッテなんだし」
「はい。みな、少しでも良い勤め口を見つけようとまなこになっておりましたので」

 ロゼの返答に、令息は「だよね」と少し気の毒そうな返事をする。
 シャルロッテ女学院はその教育の質の高さで知られているが、その受け皿となる就職先は世の中に限られている。
 お家事情から極端に男性使用人が少なく、トリスやレベッカをはじめとした女性使用人に領地経営に携わる機会まで与えられているウィルの屋敷は、シャルロッテの女生徒たちにさぞ魅力的に映ったことだろう。

「可愛い子をいっぱい連れてきてくれたよね。ロゼにはなにかご褒美をあげなくちゃ」

 ロゼが尽力してくれたおかげで――おそらくは別の馬車に乗って屋敷に向かっている――女学院の上澄みとも言える女生徒たちを迎え入れることができるのだ。
 ロゼも含め、ずらりと七人並んだ姿を思い出す。
 まだろくに話もできていないが器量が良いことは間違いない。どの子も歳のわりに身体つきが大人っぽく胸が大きい。同年代であれほど発育の良い少女はこれまで屋敷にはいなかった。
 ウィルは口を開きかけ、そこではっと我に返る――

(あれっ……ぼく、いまなんの話をしようと……)

 実の家族のように大事にしていた妹分の少女と、男性器を勃たせたままお手つきの相談をしようとしていたのである。
 動揺する令息の耳元に黒髪の少女は唇を寄せてきた。

(うっ……)
「みな望んでやってきており、お兄さまのどのようなご命令でも聞く子たちばかりです。このロゼも含めて――」

 くぐもるような声で囁きかけ、そしてその歳のわりに相当に豊満な乳房を少年の腕にぎゅっと押しつけてきたのだ。

(わっ……や、柔らかい)

 再会したばかりのときにはロゼの成長に動転するばかりであったが、この声を潜めて囁き合う静止した車内においては、少女の柔らかい体温をじっくりと意識させられてしまう。
 三年前に触れたとき、ロゼの胸はすぐに胸板に当たってしまうほど平らだった。それが、いまやたしかな厚みをもって、ウィルの腕をむっちりと挟みこんでくるのだ。トリスほどの大きさはないが、柔らかく弾力がある。

「昔とどう変わったか隅から隅まで検分してくださると嬉しいです。ロゼの身体は全部お兄さまの物ですから……」
(――ッ!? 隅から隅まで……)

 耳元に囁きかけられたその声にウィルの脳髄がしびれる。
 言葉の意味するところは明らかだ。トリスの代わりに自分にお手つきしろ――そう主張しているのである。
 青い果実の放つ甘酸っぱい芳香に少年は懊悩せざるを得ない。

(だ、駄目だよ。たとえ血は繋がっていなくてもロゼはぼくの妹なんだから!)

 もしウィルが血の繋がった家族の愛情を知っていれば、ここまでの心理的抵抗はなかったかもしれない。
 幼少期の屋敷の使用人たちをを巻き込んだままごとのようなきょうだい関係が、父親から一顧だにされないウィルの孤独をどれほど癒してくれたことか分からない。お兄さまと呼びかけウィルを支えてくれた宝物のような思い出をけがしたくはなかった。
 頭を抱える気持ちでしゅんじゅんしていると、隣からトリスが諭すように令息の顔をのぞき込んできた。

「ご主人さま。らちがあきませんので口を差し挟むことをお許しください。今後はロゼを屋敷の令嬢のように扱うのはおやめください。あまり特別扱いしすぎると、ほかの女中たちの管理にも支障が出てまいります。子爵家の女当主であったレベッカですら屋敷ではいっかいの使用人として扱われているのですから」
「……そ、それはそうだね」

 女中長の発言が道理であることは認めざるを得ない。
 だが令息は言いつのるべく口を開く。

「で、でも、ロゼがぼくのことをお兄さまって呼んでくれるのだけは変えてもらいたくないんだ」

 すると、横合いからより一層強く少女の胸が押しつけられた。

「ロゼはこれまでどおりお兄さまのことをお兄さまとお呼びさせていただきます。ですが、この身はお兄さまにおささげし、生涯お兄さまのどのような言いつけにも従う女中であるつもりです。それならばトリスお姉さまにもご納得いただけるのではありませんか?」
「あら小賢しいこと」

 妹分の少女は、トリスに対し自分が使用人としての分をわきまえていると強調するていで、ウィルの望みをかなえると同時に自分へのお手つきを促すことまでやってのけた。

「そうですね。マイヤの言葉遣いも改めさせていないことですし、表面的な呼び方については差し出口しないことに致しました。ですがご主人さま――」

 そこでトリスは釘でも刺すように淡褐色ヘーゼルでウィルを射抜く。

「この子の手が使用人の手であることをお忘れなきよう。今後、ロゼにはご主人さまの寝室まわりの仕事を任せるつもりですので」
「まあっ!」

 トリスの言葉に、ロゼは喜色を爆発させる。

「え……ぼくの寝室まわり?」

 令息の方は内心ぎくりとしている。
 ここのところウィルの寝室への女の出入りは激しい。ベッドメイクを担当するなら、ときに情事の痕跡もあらわなシーツを交換する羽目になるだろう。

「あ、あの、トリス。ロゼに寝起きのだらしない姿を見せたりするのは、ちょっと気が引けるかな、なんて思うのだけど……」
「そういうところにございますよ。それと寝室まわりというのは、なにもご主人さまの身の回りのお世話に限定する話ではありません。ご主人さまのねや――どの女中をとぎにお使いになるかなども含めてロゼにすべてお世話をさせます。今後ロゼにはリサ・サリとも情報を共有してもらいますので」
「え、ちょっ、ちょっと待って! それは困るよ!?」

 ウィルは血相を変える。
 リサ・サリの持つ台帳が手渡されようものなら、いつどこでどの女中を抱いたのか、これまでのウィルのご乱行が一つ残らずロゼに知られてしまうことになるだろう。

「お兄さま、ロゼにはお任せいただけないのですか?」
「い、いや、あのね、ロゼに不満があるとかじゃないって。ねえ、トリス、その辺のことはこれまでどおりトリスに相談させてもらうんじゃダメなの?」
「そうしたいのは山々なのですが、わたしが頻繁に屋敷にいないはずのご主人さまの寝室に出入りしていたら、ご主人さまがお隠れになっていることはたちまち内外に知られてしまいますわ」
「あ! 考えてみればそうだ!」

 ウィルはパシッと口元に手のひらを宛てがう。
 女中たちは常に監督者である女中長の目を気にしており、もしトリスがこれまでのように大っぴらにウィルの元に足を運ぼうものなら、すぐに怪しまれてしまうに違いない。

「わたしがご主人さまに個人的にお会いする時間はもちろんお作りさせていただきますが、それはあくまでお忍びでという話になります」

 ならばトリスの代わりにうまく立ち回り、令息の夜の生活を支援することのできる世話役が必要になるではないか。

「お兄さま、どうか、どうかロゼを信じてください。ロゼは全身全霊を尽くしてお兄さまのお役に立ちますから!」

 血のつながらない妹は、真剣な表情でそう訴えかけてくる。

(ロゼの能力は疑ってないけど、夜伽のセッティングとか後始末とか、汚れ仕事そのものじゃない――ロゼはぼくと歳の変わらない女の子なんだよ? でもなあ、他に適役がいるかというと……)

 考えれば考えるほど、ロゼに任せるしか選択肢がないように思えてくるのだ。
 ウィルが目を回さんばかりに頭を悩ませていると、隣に座るトリスが肩をすくめながらためいきをついた。

「もうまどろっこしいので進言させていただきます。現実問題さっさとロゼをお抱きになった方がよろしいかと存じますわ」
「ぶっ!?」

 ついに女中長は自分の歳の離れた血縁者にお手つきするよう勧めてきたのだ。

「まさかトリスお姉さまに後押ししていただけると思っておりませんでした」
「なにもあなたに肩入れしているわけではございません。ご主人さまをお守りする上で、その方が都合が良いと判断しただけです。背に腹はかえられませんから」

 するとロゼはウィルの方に上体を向けたまま、心を決めるようにその大きな胸の上に手をあて、一度深呼吸をした。

「でしたらお兄さまの身の安全のためには、このロゼは一刻も早く晴れて身も心もお兄さまの所有物になった方が良いということですね。お兄さまのためですもの――」

 少女はするりと腰を上げ、少年に覆いかぶさろうとしてきたのだ。

つつか者ですが、どうかロゼをお兄さまの性の捌け口の一つにお加えくださいませ」
(ちょ、ちょっと待って! 性の捌け口の一つって、なに言ってんの!? し、しかも、いまこの場でってこと?)

 熱い吐息をらし上体を寄せてくる少女に、いまもぼっの収まらない令息が、心の中で悲鳴をあげながら仰け反り、隣に背中を預ける。

「ちょっと待ちなさい、ロゼ」

 そこで、けしかけた当人である頭上のトリスから静止の声がかかった。

「屋敷の女中たちを預かる女中長としてこれだけは聞いておかねばなりません」

 この場をどう収めてくれるのだろうかと期待ながら、少年は見守る。

「ロゼ、あなた、避妊の用意はできているのかしら?」
(ぶっ!?)

 トリスはどこまでもトリスであった。

「てっきりご用意いただけるものとばかり思っておりましたが。トリスお姉さまならお持ちでしょう?」
「もちろん用意がありますが、まあそう不服そうな顔をせずお聞きなさい。不粋な避妊具など着けずに済む方法もございますの」

 はっとなにかに気がついたようにロゼの瞳が見開かれた。

「ええ。あれが完成しましたの。薬の効き目は実際に飲んでいるわたしが保証いたします」

 トリスはさらりと生々しい言葉を口にして、歳の離れた血縁の少女に余裕の笑みを浮かべてみせた。
 もはやウィルを置いてきぼりにして、頭上で話が進んでいく。

「ただし、いつから薬が効きはじめるかは生理の周期によりますの。屋敷に着いたら診てあげてもよろしくてよ?」
「……お意地が悪いですわ」

 妹分の少女は座席に座り直し、無念そうにぎゅうっと目をつぶった後、

「トリスお姉さま、お薬の処方をお願いします。お兄さま、ご不便をおかけしますが、お腹の準備が整うまでお待ちください」

 はらのあたりをさすりながら、申し訳なさそうに言ったのだ。

「ちょ、ちょっと待って。不便とかそういう自分が道具であるかのような言い方、ぼくはロゼにしてもらいたくないんだけど――」
「いいえ、われわれ女中はご主人さまの道具であり、ご主人さまのお役に立てることが道具としてのきょうにございます。ご主人さまには、そういうものとして受け入れていただく他ございません」

 トリスにピシャリと言い放たれる。

「お兄さま、ロゼもお兄さまのお役に立ちとうございますわ。ロゼの人生はそのためにあるのですから」

 女中長を目指す少女からも、同意見であるという主張がやんわりとされる。この二人は本質的に、時を挟んだ合わせ鏡のように似た者どうしであった。

(あっ……これ、ひっくり返せないっぽい)

 階上の世界アッパーステアーズ階下の世界ビロウステアーズに分かれた領地のカントリー屋敷ハウスは、主人と使用人の間に明確な上下関係があると同時に、ときに上位に立つはずの主人が手足となる使用人の意を汲まずには回らないあたりが貴族家の屋敷内の力学であり妙理と言えた。

「話がまとまったところで、そろそろソフィアにも起きてもらいましょう」

 トリスは手袋をめた手で馬車の厚手のカーテンに指をかけ、

「マイヤも寝たフリご苦労さま」

 そう言い添える。
 すると、赤毛の少女がビクッと肩を跳ねさせ、顔を上げた。

「き、気づいてやがったんならさっさと言いやがれよ。おめえらがロゼとゆっくり話するのを邪魔しちゃいけないと思って黙ってたら、話がどんどん変な方向に向かうもんだから――」

 口の悪さの割に性格の良さに定評のある赤毛の幼なじみがブツブツと不平を漏らす中、トリスは厚手のカーテンをさっと引く。

(うわ、まぶしっ……もう朝だったんだ!?)

 露わになった窓の向こうには丘が見え、日の光が射し込んできたのだ。その頂きに、この周辺地域一帯の風景の核となる領地の屋敷が見えてきた。

(あっ! ぼくの屋敷だ。やっと戻ってきたんだっ……)

 離れていたのはほんの数日なのに、目の前の光景に対する尽きぬ愛情が込み上がってくる。
 どうやらそれはウィルだけではないようだ。

「ようやくお兄さまのお屋敷に……ロゼはずっとこの日を夢見ておりました」

 幼少期に屋敷に連れて来られ、シャルロッテ女学院の女王蜂として戻ってきたロゼの薄桃色の瞳には大粒の涙が溜まっていた。

「オレら、ウィルの屋敷以外に帰る場所なんてねえもんな」

 孤児院出のマイヤは、しみじみとそうつぶやいた。

「年配になるとなおさら郷愁を感じずにはいられませんね。以前、ご主人さまご不在のときにいらした前の女中長――ばあやなどは涙を流しておられました。わたしもその気持ちがよく分かります」

 トリスの美貌の横顔もどこか感傷的に見える。
 丘の上に見上げるあの屋敷こそがマルク伯爵領の象徴であり、人心をし領地を治め、辺境の部族を支配下に組み込む拠点になってきたのだ。

「ソフィア、もうじき到着します。まだ身体はつらいかもしれませんが起きなさい」

 トリスに肩を揺すられ、銀狼族の神子は眠そうなうめき声を漏らしながら瞼を開いた。
 ウィルに心を捧げたと口にした銀髪の少女は、屋敷を視界に認めるとホッとした表情を浮かべる。そのはく色の瞳に、屋敷に来た当初の警戒の色はもうない。

「うっ、朝か……ということは、丸一日眠っていたのか?」
「実はぼくも、もう朝なんだってびっくりしてる。晩には着くはずだったのに、なんでこんなに時間がかかっちゃったの?」

 屋敷とルクロイの村は、馬車で一日かからない距離にある。早朝に出発すればとっくに到着しているはずなのだ。
 トリスの返答はというと――

「途中の石橋が崩れており、馬車で渡るのは危険でしたのでかいいたしました」
「またァ!? 偶然ってことはないよね。まったく次から次へと……」

 ウィルは心底うんざりした表情を浮かべる。
 予言の神巫マリエルの『いますぐに屋敷にお戻りになり』という忠告に従い、無理にでもしゅたつしてどうやら正解だったようだ。もたもたしていたら迂回路の方も潰されていたことだろう。
 令息は改めてマリエルの伝言をのうに思い浮かべる。

『屋敷に連れ帰る使用人、あるいはお手付き済み以外の女中に存在を知られたときには、その場でおりなさいますように――万が一あなたさまが屋敷の中にいると外部に漏れ伝わることがあろうものなら、あなたさまも女たちも命を落とすことになるでしょう』

 様々な部族と領地を接してきたこの辺境領においては、来客の中に刺客が紛れ混んでないか門番が馬車の中を覗くことが古くからの習わしとなっているのであるが、見つかることなく門をくぐり抜けなければならないのだ。

(どうやってやり過ごそう……)

 じきに屋敷のある丘のふもとに到着するのだが、かつて自分の屋敷に入るのにここまでの緊張を強いられたことはない。

「おい、ウィル。御者の爺さんは顔色良さそうだったぜ。まだ熱があるみたいだけどな」
「それは良かった。トリス、馭者長には手厚い看護をしてあげて。ぼくの代わりにねらわれたようなもんなんだから……ん?」

 ふと違和感に気がついた。こちらに注がれる女中たちの視線が妙に生温かいというべきか――
 赤毛の幼なじみはどこか感嘆混じりのあきれ顔を浮かべており、血の繋がらない妹は陶然と頬を染めている。
 奴隷市場でめた異国の少女は、じっとウィルを見つめたあと、やがてぷっと吹き出し、すまんと口にして顔をそむけ肩を震わせたのだ。
 母親がわりの元乳母に至っては、ウィルを満足げな表情で見つめている――まるで自信の作品でも目にしているような。

(なにその表情?)

 令息は、ふと耳の横から垂れ下がった黒髪をひとふさ指でまみ上げてみる。

「あ、これ付け毛ウィッグだ」

 たしかこれは、レノスの港町に着いたときにソフィアの銀髪を覆い隠すために用意していたものだ。それがどうして自分の頭の上にあるのか――単にいままで目をらしていたのかもしれないが。
 髪を摘まみ上げる自分の手首を、屋敷で日常的に見かける純白の袖口カフスが覆っていることに気がつき、マリエルの伝言の続きが脳裏に思い出された。

『――お家の存続に関わる争いごとに巻き込まれぬよう、女中の一人として女中の腰布スカートの下に身を隠すなどふくのときをお過ごしください』
「ま、まさか……」

 ウィルは座席からガバッと起き上がる。心なしか足元がスウスウするのを感じながらカーテンの外を覗き込んだ。
 窓の向こうの遠くに、見慣れた屋敷の門が見えてくる。
 丘の頂きの屋敷に通じる麓の門であり、そこには屋敷の使用人のだれかが交代で門番を勤めていることだろう。
 そのすぐ目の前の窓硝子ガラスには、

「……っ!?」

 内股になってスカートの股間部を不自然に隆起させている――そのことを除けば、可憐な少女に見えなくもない自身の女中服姿が映し出されていたのである。

「ぼく、女の子の格好しているじゃないのォ!?」

 伯爵家の令息の叫び声が馬車の中にかなしげに響き渡る。

「森の中に隠れるなら、ひとひらの葉に――とてもお似合いですわ、ご主人さま。今後は、ウィルマと名乗られるのはいかがですか?」

 一行を乗せた馬車がもうじき屋敷の最初の関門へと到着しようとする中、屋敷の女中長は新入りの女中の名を告げたのであった。


◇ 屋敷の女性一覧 ◇

女中長   1人 (トリス◎)
蒸留室女中 2人 (リサ◎・サリ◎)
洗濯女中  6人 (第一:ジュディス◎)
         (第二:イグチナ◎・ブリタニー◎・シャーミア◎)
         (第三:アーニー◎・レミア◎)
料理人   1人 (リッタ◎)
調理女中  3人 (第一:ジューチカ)
         (第二:エカチェリーナ・フレデリカ)
皿洗い女中 2人 (ルノア・ニーナ)
乳母    1人 (アラベスカ◎)
酪農女中  3人 (ケーネ)
客間女中  1人 (フローラ◎)
家政女中  9人 (ウィルマ・ロゼ・ヴェラナ)
雑役女中  8人 (ルーシー・チュンファ・デイジー)
側付き女中 3人 (ソフィア○・マイヤ◎・レベッカ◎)
修道女   1人 (ヘンリエッタ◎)
その他   1人 (オクタヴィア)
    計42人
お手つき 16人 (済み◎、一部済み○、途中△)



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