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第四十九話「銀狼族の神子」

 この村では、古代の闘技場が広場として使われており、その四つある出入り口の一つからウィルたち一行は足音をひそめて入場する。
 ぐるりと取り囲む石造りの観客席の影からそっとのぞき込むと、二十人ほどの男たちが、舞台の中央で古代の剣闘士さながらに銃剣でチャンバラして、ゲラゲラとはしゃいでいる姿が見えた。

(あああ、もうっ! 良い歳したおっさんどもがなにやってんだよ!)

 ウィル自身、子供の時分にそうやってはしゃいだ覚えがあるだけに、今ものすごく嫌なものを目撃している気がする。
 あの中でも一際体格が大きく、目立つ毛皮を着た男が賊の首領であろう。

「やつらはマリエルを連れてきているだろうか?」

 ソフィアの疑問に少年は首を振る。

「それどころか、多分こいつらなにも知らされてないよ」

 村を好き放題に略奪できる仕事――その程度にしか聞かされていないのではなかろうか。そのようにウィルは思う。
 寒村と見くびってか自警団を警戒していないし、領軍が差し向けられることを恐れているようにも見えない。

(実際そのとおりで、核となる側近がいないもんだから領軍なんて組織しようがないんだけどね……)

 十年近くも顔を合わせていない父親の伯爵は、かたくななまでに領地のカントリー屋敷ハウスの男性使用人の数を増やすことを認めようとしなかった。特に昨今は、ウィルの発言力や影響力が増すのを嫌っているようにすら見受けられる。
 下手をすれば、領地に何の愛着も持たない父親がいつまでたっても領軍の編成を許可せず、村が襲われ続けるのを指をくわえたまま放置せざるを得ないという、最悪の事態まで想定する必要があるように思えるのだ。

「おい、ウィル。あそこに村の女どもがいるぞ!」

 マイヤの指の先の物陰に、肩を寄せ合い震えている四人の娘たちの姿が見えた。
 暗がりでよく見えないが、元々マルク領自体が美人が多いことで知られている土地柄だけあって、女としての質も悪くない気がする。
 これから村のためにひとくうとなって、ならず者たちの相手をさせられるのだろう。

「ひどいよぉ、あたし、まだ嫁入りまえなのにィ!」
「村の男どもは、どうして戦ってくれないのよぉ!」
「いつもあんなに威張ってるくせに!」
「税を払ってんだから領主さま助けてよう!」

 歩み寄って行くと、口々に嘆く声が聞こえてきた。特に最後のは耳が痛い。

「ここにいる女の子たちの避難は任せたよ」
「はい。ウィリアムさま、お任せを。これでもし……もし村が救われるなら一生忠義を尽くします。どうかご武運を!」

 跪いてそう口にする痩せ身の男の返答には、ウィルに対する抜き身の敬意が感じられた。
 小作人の男は、命じられたとおり女たちを闘技場の外へと誘導していく。

「わたしたちだけ逃げていいの?」
「あれ、さっきの子たちは?」
「まさか、あんな小さな男の子に戦わせるつもり!?」
「あたしと背変わらないのに。あの子、死んじゃうよ!」
「たとえ、お小さくても貴族の義務ノブレスオブリージュを果たそうとされているのだ。おまえたちだけでも逃すようにとお命じになられたのだよ」

 声を潜めた会話が、背後から聞こえてきた。
 同時に痛ましげな視線も背中にチクチクと感じながら、心の中でぼやく。

(小さいは余計だよ。まあ、普通に考えたら死にに行くようなもんだけどさ……)

 こうしてこの場に、三人の少年少女が残されたのだ。

「存分にやって構わんな?」

 そう言いながらソフィアはコートを脱ぎ捨てる。
 足首まである黒のドレス姿になった。かきあげた銀髪が月明かりを浴び、風になびく。
 ぶるっと一つ武者震いをした銀狼族のは、野生の狼のような琥珀色の瞳を爛々と輝かせ、獰猛に口を開き、尖った犬歯を覗かせる。
 崖に立つ狼のように片足を上げて闘技場の舞台を見下ろす少女の姿を、少年はれいだと思う。これからのことが見たいがために、奴隷の丘に立つ少女に心奪われたのかもしれない。
 賊がきょうらくに飢えているというなら、この舞台に銀色の毛並みの狼を解き放ち、パンとサーカスをもよおしてやろう。お代は彼らの血肉であがなってもらうのだ。


   ‡


 ――先ほどから伯爵家のれいそくは、賊の首領とおぼしき大柄な男に狙いをつけようとしているのだが、指先が震えて照準が定まらず、

(仕方ないじゃない。初めてなんだもの!)

 心の中でそう言い訳をしていた。
 一応、ウィルは狩猟を得意としているが、人を撃つのと野生動物を撃つのは求められる覚悟というものが違う。

(もし外したら……)

 当然撃ち返してくるだろう。相手の持つ銃の射程もこちらにも届いているはずだ。当然ソフィアが狙い撃たれるリスクも高まる。
 このしょげきにかかっているのだ。
 村を守るため領地を守るため、どうしてもやり遂げねばならない。華奢な肩に重い責任がのしかかる。
 少年の心臓が、激しく鼓動する。
 いまだ狙いが定まらず気ばかりが焦るなか、不意に先ほど小作人の男が言っていた言葉を思い出した。

『村に銀髪の娘がいたら、必ず連れてくるようにと要求してきております』

 その瞬間に指先の震えが止まり、ピタリと照準が定まる。

(ぼくの女の子に手を出す奴はブチ殺してやる!)

 下半身からせり上がってくる令息の独占欲・所有欲が、きょうする気持ちを克服させた。
 少年はぐっと指に力を入れて引き金を引き、その銃口から凝縮した殺意の塊を放出したのだ。
 必中の予感――

(当たるッ!)

 ウィルの放った銃弾は、闘技場のステージを横切り、賊の剥き出しの厚い胸板の上にあっけないくらい簡単に吸い込まれたのだ。

(あ、当たった……よね?)

 鹿を仕留めたときに似た手応えを感じたのだが、果たして――
 大男の身体からだがぐらりと揺れる。たたらを踏み、いしだたみの上に膝をついた。
 この距離からだとよく見えないが、賊の男は唇からあふれ出した――おそらくは赤いものをぬぐっている。
 賊はウィルの方をにらみつけてきた。殺気がただよい、反撃してこようとする気配を察したので、かなり動揺した。

「よくやった。あとは任せるが良い――」

 頭上を銀色の影が飛んで行き、闘技場の石畳の上に躍り出る。
 のろのろと銃を構えはじめた賊の首領は、尋常でない勢いで飛び込んでくる獣の影に気がつくが、もう遅い。
 銀狼の娘は夜空に浮かぶ月を背負うほど高く跳び上がると、長い銀髪と黒のドレスがひるがえる。握りしめた銃身を高く振り上げると、

(あっ……)

 ウィルが息をつく間もなく、少女の振り下ろした木のじゅうしょうが、首領の頭を一気にたたき割っていた。
 西瓜すいかでも潰すように頭蓋骨がぐしゃりと潰れ、やわらかい中身を周囲に飛び散らせる。
 銃身がUの字にひん曲がっていた。これはもう使い物にならない。
 それを放り捨てながらソフィアはウィルの方を振り返り、睨んできた。得物がすぐに使い物にならなくなったことに対する苦情だろう。

(知らないよ! 使っていいって言ったけど、まさかこんぼうがわりだなんて思ってなかったもの!)

 すぐに少女は腰をかがめ、事前の打ち合わせどおり敵の持っていた新式の銃をりゃくだつする。

「お、おかしらぁ……」

 ようやく賊たちの時間が動き出したのか、悲鳴が上がりはじめる。

「この小娘、おかしらになにしやがったァ!」

 熊のようにこれまた大柄な男につかみかかられるが、小柄なソフィアは股の間をスルリとくぐり抜けた。
 素早く身体を反転させ、兜に守られた後頭部めがけて大上段に、さきほど奪った銃を振りかぶる。
 まるでレモンでも絞るように、頭一つ分は叩き潰され、平たくなった兜の周りからパシャりと血の赤が飛び散った。

(うおお――おっと、見とれている場合じゃない。ぼくはぼくの役割を果たさないと!)

 ウィルは目を皿のようにして、賊たちの動きを見極める。
 首領が持っていた以外の新式の銃を使う敵がいないか、特に神経をとがらせて観察を続けていた。旧式のマスケット銃は前装式で銃口から弾を込めるため、遠目でも動きを見れば判別がつく。
 こうして集中しているとき、番犬のようにそばでじっと主人の身を守ってくれているマイヤの存在も心強い。

 銃に弾を込める者、着剣する者、つかみかかろうとする者――様々だが、まだ逃げ出そうとする者がいないのは、ソフィアをきゃしゃな村娘と侮ってのことかもしれない。
 信じられない気持ちはよく分かる。だが、この戦場でのそれは死に直結する――

 ソフィアは使い潰した武器を次々に持ち替え、ブン回す。すでにもう五人ほどは殴り殺したであろうか。
 巨漢たちは小柄なソフィアの俊敏な動きを捉えきれない。反応速度や身体能力は、人というよりも野生の獣のそれに近い。

 賊の放った銃声が何発もこだまする――だが心配はいらない。
 旧式の銃でねらおうにも有効射程が短すぎる。遠くからだと当たらないし、近くからだとまばたきの間に離れた地へ飛ぶ。黒いドレスは闇に同化し、月明かりに輝く銀髪の後ろ髪をつかもうとした男の手は空を切る。手のつけようがない。
 まさに一匹の気高い銀狼が場を制圧しようとしていた。それはかつてウィルが憧れ、見たいと願っていた銀狼族の勇姿そのものである。

 その間ウィルは、舞台を取り囲む客席の間を忙しく走り回り、ソフィアの死角に回りこもうとする敵を狙い撃ち、奮戦する銀髪の少女を援護する。

(もしかしたらぼくは、ソフィアとともに草原の風になるのかもしれない――)

 そんな幻想を感じずにはいられないほど、ぴったりと呼吸が合っていた。
 ソフィアの方も、ウィルに敵意を向けはじめた男の襟首をつかみ、地面に引きずり倒す。
 そのまま頭頂部をつかみ、華奢な少女の手が果物でももぐように片手でひねり上げる。ウィルのところまで、ゴキンと首の骨の折れる音が聞こえたのは錯覚か。

 十、九、八、七――でも倒すように立っている数がみるみる減っていく。
 ついにはソフィアは、後ろにひっくり返りそうなほど重そうな長槍を振り回し、手近な敵をまとめて薙ぎ払う。
 その直後――

(えっ?)

 銀色の獣はその場にうずくまったのだ。

「ソフィア!」

 観客席を隔てる壁の上に身を乗り出し、声を荒げてしまう。何があった。撃たれてはいないはずだ。
 細身の少女は立ち上がる。どこかおかしい。足元がフラついているように見える。

「おまえは顔を出すな! 肩が外れただけだ……ぐっ」

 ソフィアはだらんと両手を垂らしながら、ウィルに向かって叫び返したのだ。

(まさか、両肩とも……ま、まずい)

 小柄な体躯に不釣り合いな大きな力――それが銀狼族のであったことをウィルは改めて思い出していた。
 あろうことか少年は壁をまたぎ、舞台の上に降り立つと、

「ぼくが、このウィリアム=マルクが相手になってやる!」

 銃を振り上げて、残る四名の賊たちに向かって駆け出したのだ。

「なにやってんだよ!? ウィル!」

 背後からマイヤの悲鳴が聞こえる。

(ソフィアを殺させてなるものか!)

 これだと決めたら、この令息は周囲の言うことをまったく聞かなくなる。

「うぉおおおおおおおおお!」

 雄叫びをあげ、自分よりもずっと大きな図体の四人へと、必死のぎょうそうで向かっていく。
 距離の利を放棄する愚行。自殺行為も同然である。ばんゆうここにきわまれり――
 それに対する賊の反応はといえば、

「ぎゃああああ!」
「助けてくれえ!」
「殺されるうううう!」
「来るな来るな!」

 悲鳴をあげて、闘技場の四方の出入り口から逃げ出して行ったのだ。
 れっぱくの気合い。本当にそれだけだった。
 賊たちはさきほどまで、少年よりもさらに華奢な少女にひたすらぼくさつされたのだから、無理もなかろう。
 かくしてルクロイの村を襲った二十名にも及ぶ完全武装した賊は、領地を治める令息たち一行の活躍により撃退されたのであった。


   ‡


 戦いが決着した頃合いで、返り血で全身をらしたソフィアが、ぺたんとその場に尻もちをついた。

「敵の注意をらしてくれるだけで十分だったのに、無茶をする。はあ、はあ……」

 脱臼していた両肩はもう自分でめ直したそうだ。

「ソフィア。痛むか? いま手当てしてやるからな」

 マイヤは片膝をついてスカートをめくりあげると、自分の薄布のスリップをビリビリっと破り、即席の当て布を作りはじめた。

「心配するな、マイヤ。全部敵の血だ」

 手の甲で口元を拭うソフィアに、伯爵家の令息は心配そうに口を開く。

「ぼくも見ていたから、きみが一発も食らっていないのは知ってるよ。でも、唇の血はきみ自身の血だよね?」

 すると、銀狼の少女はぎくりと肩を震わせた後、

「…………ふん、気がついたか」

 渋々といった感じで認め、ぺっと石畳の上に血の塊を吐き出した。真っ赤な鮮血である。
 松明に照らされ、い伝わっていく血の赤が広い。
 大男の頭蓋を叩き割るほどの力を振るっておいて、その華奢な肉体が反動に耐えられようはずがなかったのだ。

「ソフィア、これは……本当に大丈夫なの……?」
「心配するな。いつものことだ。しばらく立ち上がれん。連戦は無理だな。このあたりにもわれらが負けた事情がある」

 じっとソフィアの銀髪を覗き込むと、少女は大丈夫だとうなずいたのだ。

「……ああ、もう、とにかく安静にしてよね。きみはぼくの子を産まないといけないんだから」
「ぶっ! ゴホッ! ゴホッ!」

 何気なく呟かれたウィルの言葉に、ソフィアは激しく咳き込み始める。
 戦の前に教えてもらった、銀髪の少女に授けられし神託の言葉はたしか次のとおり――

『鉄のおりに囚われた神子は生涯の主人に出会い、遠からず身も心もゆだねん。主人との子をさねば一族の血はえん。を知らぬ身はかんなぎへと繋がらん』

「……おまえら、いつのまにそこまでの関係に?」

 地を這うような声で赤毛の幼なじみがそう尋ねてくる。

「違う! いや、違わないが、妹からも一族の未来のために子を産むように言われていて困っていたのだ」
「そういうことだね。ソフィアのところは少数民族だからぼくの家の後ろ盾が必要だろうし。でも参ったな。ソフィアをはらませようとすると、きっとトリスは断固として反対するよ」

 伯爵家の令息はそう口にしながら、独自の避妊薬まで作り出した長身の女中の顔を思い出す。

「だいたい、この身のじゅんけつを失えば、妹のことを諦めることに繋がるというではないか。わたしにどうしろというのだ……」

 ソフィアは座ったまま深々とためいきをつき、お手上げだと言わんばかりに両手を広げる。

「ああ、言っとくと、べつにおまえに不満があるわけではない。共に戦場で命を張ったなら、なおさらだ。おまえもちょっと格好良かったしな……」

 横を向いて頰を染める少女の口から、ゴニョゴニョとした小声がれたのであった。


   ‡


 改めて置かれている状況を整理しておかなくてはなるまい――
 足元で身体を休めるソフィアの介抱をマイヤに任せ、ウィルは顎に手を当てて考え込む。
 今回明らかになったことは、マリエルを手にした商人と明確な敵対関係となり、領地を襲撃されたという事実である。
 もし屋敷に逃げ帰っていたら、今後の予言の神巫の捜索は不可能な状況におちいっていたであろう。敵はそのくらいこちらの状況を見透かした一手を打ってきた。

 ソフィアの活躍もあってなんとか賊を撃退できたものの、こうした局所的な勝利をいくら積み上げたところで大局的な勝利には結びつくまい。
 なにせ、マリエルの預言が百発百中で、敵が自在に引き出せるとなれば、そもそもちするすべがないのではないか――という命題に正面から挑まなくてはならなくなったのだから。
 予言の神巫を手中に収める商人の圧倒的優位は揺るがしようがなく、今後も敵はウィルの急所を的確に突いてくるに違いない。

(どうすればいいんだよ。ぼくだけならともかく……)

 本当に頭を抱えるしかない。
 いずれソフィアに身も心もささげてもらう未来が確定しているなら、それまでウィルが死ぬことは無いと読み取ることもできるのだが、周りにいる人間の命まで保証されているわけではあるまい。

(もし屋敷の女中たちが狙われたら、ぼくは守りきれるだろうか。考えたくもないのだけど毒を盛られるとかしたら――)

 予言まで用いられたら、まず防げる気がしない。
 屋敷の美術品や調度品といった財産がいくばくか失われるならともかく、情を交わした女中たちがくしの歯でも欠けるように殺されようものなら、少年の胸は張り裂けんばかりになろう。
 領地のカントリー屋敷ハウスという器の中には、令息にとってあまりにも多くの、守りたいもの守るべきものが内包されているのであった。
 ウィルはほとんどすがるような気持ちになってきて、

「ソフィア。予言によって、きみがぼくの屋敷に身を寄せた理由というか、マリエルを取り戻す勝算のようなものがあるはずなんだ。なにか心あたりはない?」

 石畳の上に座り、痛んだ身体を休める銀髪の少女にそう問いかけたところ、空を見上げるその唇から深い溜息が吐き出された。

「そんなことが分かるくらいなら苦労はしない。テングリの考えなど、われら地を這う人間には到底うかがい知ることができないものだ」

 ソフィアがそう告げたとき、天空は暗雲で覆われており、月明かりはもう少女の元まで届かなくなっていたのだ。

「屋敷を守る方法が見つからないことには、予言を操る敵に対抗することなんて、ぼくにはできないよ!」

 領地の屋敷に深い愛情を注ぐ令息の声は、悲痛であった。

「おまえの立場と言い分はよく分かる。マリエルの救出を、マリエル自身の予言が阻んでいるということだな。なんという皮肉なことか」

 ソフィアが暗い声でそうつぶやいたそのとき――
 四方から、ダダダッと駆け込んでくる足音が突如として聞こえてきた。
 思わずウィルは肩を跳ね上げる。

(まだなにかあるの!?)

 足音の数がやけに多い。数十いや数百――それら足音が四つある闘技場の出入り口のすべてから一斉に押し寄せてきているのだから、逃げ場などあろうはずがない。

(ど、どうしよう。敵の増援ならもうお手上げだ!)

 もし敵があらかじめこうなることを知っていたなら、さらなる一手を打ってくるだろう。

 ソフィアは立ち上がろうとするが、

「くっ……!」

 さきほどの戦闘による疲労が激しいのか、力が入らず膝をついた。
 ふいに、出会ったころのソフィアが口にしていた言葉が頭をぎる。

『自分の大地に立っていられない人間は、天の恵みを受け取る資格がない』

 袋のねずみを追い詰める足音というのはすさまじい迫力で、後ろに立っていたマイヤがこらえきれず尻もちをついた。

「ああ……ウィル、オレ、もう腰が抜けちゃって。おまえだけでも隙をついて逃げてくれよ!」
「うるさい! ぼくの後ろに引っ込んでいろ!」

 両の足でしっかりと大地を踏みしめ、怒鳴り返す。
 分かってない。そんなことができようものなら最初から悩まずに済むというものだ。
 もう蛮勇のついでである。
 ウィルは二人の少女を背中に庇い、ここから先には来させるものかと、手に持つ銃剣を石畳の上に、えいやと目の前に突き刺したのだ。

(う、おおおお……来るなら来いよッ!)

 村の広場に足音がこだまし、四つの出入り口から一斉に駆け込んで来たのは――

「ならず者どもを追い返せ」
「ウィル坊ちゃんを殺させるなァ!」
「男ども、格好いいとこ見せとくれ!」
「村の英雄を見殺しにするなァ!」

 農具を持った何百人かの村人たちであった。

「へっ?」

 ウィルとしては、もうその場に固まるしかない。
 しかも四つの集団のそれぞれ先頭では、さきほど逃げ出した四人の賊たちが村人たちの手によって押し戻されて来たのだ。
 村の代官でもある少年の姿を認めて、四方から押し寄せる群衆が急停止したものだから、その勢いに押し出され、賊が四人そろってドンとウィルの眼前に突き出される格好となった。

 膝をついた大男が間近に見上げたものは、串刺しにしてやると言わんばかりに銃剣を石畳の上に突き刺し、立ちふさがる少年の姿――大男四人がそろって後ろにひっくり返る。

「ひいっ、殺さないでくれ!」
「オレはお頭に命令されただけなんだっ!」
「闘いたくないっ! もうアンタとは闘いたくない!」
「な、なんでもするから、命だけは助けてくれ!」

 ならず者たちは身を縮こまらせて口々にそう懇願しはじめたのだ。
 彼らはよほど恐怖を刷り込まれているのか、ウィルの足元に座るソフィアを一切見ようとはしない。猛獣に殺されそうになっても、許しを乞うのは猛獣ではなく猛獣使いに対してということなのかもしれない。

 少年は、あっにとられながら集まった村人たちの顔を眺めていると、四方から来た集団のそれぞれには、さきほど逃した娘たちが混ざっていることに気がついた。
 村人たちの中でも器量の良さで目立つ娘たちが、五体無事なウィルの姿を見て、涙を流さんばかりに顔を明るくしていたからすぐに分かった。間違いない。あの娘たちが村の男たちの尻を叩いて戻ってきてくれたのだ。

 闘技場に押し寄せた村人たちの瞳に映るのは――
 大地にまっすぐ銃剣を突き立て、か弱き少女たちを背中に一人仁王立ちする少年と、戦の凄まじさを物語るように広がるるいるいたるしかばねの山々。
 そのとき雲の切れ目から月明かりが差し込み、一枚の荘厳な宗教画のように祝福の光が振り注ぐ――最後まで自分の大地に立っていた伯爵家の次期領主ウィリアム=マルクその人に向けて。

 痩せ身の男がウィルの前に進み出て、膝を折った。

「マルク家の小作人カイン、ウィリアム様に対し、生涯変わらぬ忠誠を誓います」

 名前の判明した男はそう口にして、ウィルの私兵となることを表明したのだ。
 村人たちの瞳にも畏敬の念がともり、次々と膝を折る。
 さきほどの四人の村の娘たちにいたっては、運命の男にでも出会ったかのようにうるんだ瞳でウィルを見上げてくる。
 これは一体どういうことであろうか。
 先ほどまで領地を守ることで頭をいっぱいにしていた令息は、予想だにしない展開にただただ圧倒されていた。

 助けを求めるように背後を振り返ると、ウィルに対し深々と跪き、なぜか涙ぐんでいるマイヤの姿を認めることになる。
 できればこの困惑を共有してほしかったのだが、察するに主人ウィルを救うべく群衆が立ち上がったくだりが、どうもあの幼なじみの少女の涙腺を直撃してしまったようだ。
 下を向いてソフィアの反応を窺ってみると、この銀髪の少女は足元にはべる銀狼のように、少年の足に背をもたれさせてきた。

「え、これどうすんの……?」

 その問いに応えられる者はこの場にウィル自身しかいない。跪いた村人たちにぐるりと取り囲まれ、少年は天を仰いだのであった。




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