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第九話「料理人と調理女中」

 伯爵家のれいそくウィルは、すうっと前へ進んでいく綺麗な形をした女の尻をじっと見つめながら屋敷の廊下を歩いていた。
 張り出した尻の上、腰から背中にかけて本当に綺麗な曲線を描いている。ぎゅっとウエストに結われたエプロンの白いひもが、くびれた腰を一層細く見せる。
 女は三十に近いはずなのに、崩れることのない綺麗な身体をしている。
 少年よりも頭一つ分は背の高いこの女中長ハウスキーパーは細いだけではない。背中を向けているにも関わらず、脇のすきから、柔らかそうな胸の膨らみが、むっちりと黒い布地を押し上げているのが見える。

(うわ、また我慢できなくなりそう……)

 昨晩、あれほど激しく交わったばかりだというのに、一晩寝れば、少年の性欲は元通りとなっていた。
 思春期に激しい性交の快楽を覚えれば、猿のように何度でもやりたくなっておかしくはない。
 性欲に猛る少年に、トリスは、『今度は、ほかの女中を試してみませんか?』とささやきかけてきたのだ。
 背の高い女が歩を緩め、振り向いた拍子に黒髪が揺れた。ほのかな女の香りがただよってくる。

「まずは調理場に向かいましょう」

 女は、通路を曲がるようウィルを促してくる。

「あ、うん……」

 しばらく女の後をついて歩いていると、ホワイトシチューの匂いが漂ってきた。

(あ、良い匂い……)

 ウィルは鼻を軽くひくつかせた。
 突き当たりに調理場の入り口が見える。
 食欲がもたげてきて、ようやく少年の興味が、目の前の女の色香から調理場のほうへと移った。
 人の出入りが多いせいなのか、両開きのドアの半分がこちらに開かれていた。
 貴族の屋敷のなかで調理場は、主人の暮らす階上の世界アッパーステアーズから一番離れた場所に設置されていることが多く、マルク家もその例外ではない。
 料理の匂いが届くのを避けるためであるようだ。

「さあ、どうぞ」

 女中長が扉の前に立ち止まって促してきた。
 内開きになっているウィルの居室の部屋の扉と違って、調理場の扉は、料理を運ぶ都合からか外開きになっている。
 少年はひょいっとドアの横から中をのぞき見る。
 部屋の奥には、小柄な料理人コックが身長ほどもある木製の櫂棒かいぼうを両手で握りしめ、大きな鍋を掻き回しているのが見えた。

(あ、リッタだ)

 マルク領の屋敷で働いている女は四一人いるが、そのなかで白い詰襟えりづめ服を着ているのは料理人のリッタただ一人だけだ。
 この小柄な女性が毎日、ウィルの食事を作ってくれていた。
 屋敷には女中だけでも四十人からいる。使用人のまかなめしを作るだけでも大仕事である。
 マルク領の屋敷は調理キッチン女中メイドの数が少ないこともあって、部下に命令するだけでなく、こうして料理人が腕を振るわなければならない。
 かなりの重労働なのか、かいぼうを握るリッタのきゃしゃな両肩がぐぐっと縮まった。
 料理人服の胸回りが張り詰め、きゅうくつそうに揺れている。突きだしたお尻が、ウィルのほうに向けられている。
 華奢なわりに胸や尻が大きく、働いている様子が妙に肉感的に感じられて仕方がない。

「ご主人さま、なかに入って、リッタのお尻をぽんとたたいてあげてください」
「いい?!」

 ウィルはぎょうてんした。

「今日の晩ご飯はなにかと聞いてみてくれませんか? なんならお尻をでまわしても構いませんよ」
「急にそんなことを言われても……」

 小さいころは腰にまとまりつくようにして何か作ってもらうようにせがんだものだが、最近はウィルも大人になってきて、肉体的なスキンシップは皆無となっていた。

「大丈夫ですから」

 見上げるトリスは自信たっぷりに見える。

「ああ……。貞操までおささげしたというのに、わたしの言うことを信じてくださらないなんて……」

 トリスは心臓でも掴むように大きな胸に指を沈ませて、おおに嘆いてみせた。
 貞操を捧げたというよりも、底なし沼のように少年の青い性を飲み込んだというのが正しい。
 この女中長は、やりたい盛りの少年に、性の快楽をこれでもかというほど徹底的に叩き込んでくれた。

「わ、わかったよ」

 そんなふうに言われて逆らえるものではなかった。
 ウィルは調理場の扉をくぐり、リッタの背後に近づいていく。すぐ後ろまで来てもリッタは一向に気がつく様子がない。
 お尻をウィルに突きだした格好のまま、一心不乱に鍋をかき回し続けている。
 後ろ髪は、料理人帽のなかに畳まれている。青白いうなじに生える金色の後れ毛が妙になまめかしい。仕事場に籠もりっきりになるせいか、女の肌は色素が薄いようだ。
 横から女の顔を覗き込むと、急いでいるのか、いらいらと細眉をひそめているのが見えた。
 リッタの腰が、ちょうど触りやすいようウィルに向かって突き出されている。よく見ると、むっちりとした黒く細い下着が、汗で湿るのか白い布に透けていて、思わず見とれてしまう。

(でも、立て込んでいるのでは……)

 ちらりと扉のほうをうかがうと、トリスは、「行っちゃえ」とばかりに軽く拳を突き上げた。
 女中長のするぐさではないが、意外と可愛らしかった。

(……どうなっても知らないからね!)

 恐る恐るリッタのお尻にぽんと手をおいてみた。小柄なわりに大きな女の尻肉が手の平のなかで弾んだ。
 料理人の鍋をかき回す手がぴたりと止まる。


「や、やあ。リッタ。今日の晩ご飯はなにかな?」

 ややぎごちなく、ウィルはリッタにそう問いかけた。

(それしてもリッタのお尻ずいぶんと柔らかいな……)

 女の尻にはウィルの指が食い込んでいる。少し蒸れた質感と、指の腹に感じる下着の段差をつい意識してしまう。
 名残惜しいが、そっとお尻から手を離した。
 リッタはぎこちなく振り向くと、赤い唇が、糸でも引くように、ちゅぱっと音を立てて開いた。

「――あ、わ、若さま。…………」

 よほど調理場にウィルがいることに驚いているのか、リッタの垂れ目は大きく見開かれている。
 顔の作り自体は整っており、愛嬌のようなものが感じられるタイプの美人だ。

「今日は、うしの煮込み料理、です!」

 リッタは一生懸命という感じで答えてくれる。

「へえ。いい匂いだ。美味しそうだね!」

 そう言うと、ぱあとリッタは顔を明るくした。
 その表情にウィルは、ほっとする。
 正直、尻を触ったことを怒られないか冷や冷やしていた。

「調理場にいらっしゃるのは、め、珍しいですね」
「そういやそうだね。前は、お腹が空いたらちょくちょく何か作ってもらいに来たのに」

 昔は、リッタの腰元にぶら下がるように甘えていたものだが、気がつけば小柄なリッタの背を追い越していた。

「なんなら、なにか作りましょうか?」
「うーん、また今度にするよ」

 美味しそうな鍋の中身に食欲をそそられていたが、ただでさえ急いでいるリッタの手をわずらわして食事の時間を遅らせたくはない。
 ウィルは使用人たちと親しくしているだけあって、飯の恨みが恐ろしいことをよく理解していた。
 少し残念そうにしているリッタに、「またね」と声をかけて調理場を後にした。
 後ろから、「わたし、頑張ります!」というリッタの声が聞こえてきた。

「お疲れ様です。何てことなかったでしょう?」

 ウィルはうなずいた。

「うん。お尻触っても、あんまり全く気にしている様子がなかった」
「使用人なんてそんなものです。以後、屋敷の女にはこのように接してください。主人の目の届きにくい職場の女中にもスキンシップを増やしていただけると助かります」

 トリスは、あっさりそう言った。
 社交界で女性レディの尻を無遠慮に撫でれば反感を買うこと間違いなしであろう。社会階級に応じた接しかたというものがあるのかもしれない。ウィルはそう思うことにした。

「最近、抱え込んでいるようでしたのでリッタには良いねぎらいになりました」
「へえ。こんなのが労いになるのかなあ」
「なりますとも。飢えているんですよ。お付き合いしている男性とは遠距離でなかなか逢えないですし」
「え? そうなの?」

 恋人がいること自体、初耳である。
 先にそれを聞いていたら尻など触らなかった。

「リッタはもう、誘えば簡単に身体を開くと思いますよ?」
「え? うそ!」

 ちょっと信じられない気がした。いや、かなり信じられない。

「だとしても、それってまずいよ――」
「あら。人の持ち物を奪ってこその支配者です。ただ奪うだけではいけません。いかに支配を続けるかが腕の見せ所ですわ」

 女中長はたのしそうに唇の端をり上げた。

(まずいなあ……)

 ウイルは、目の前の女中長に性の手ほどきを受けて、女のにくの味を知ってしまっている。
 小柄なわりに肉づきの良い女料理人の股の間にねじこんだら、さぞ気持ちが良いということがありありと想像できてしまう。促す女はいても、歯止めとなるものがなにもない。いずれ誘惑にあらがえなくなるかもしれない。
 トリスはくすくすと悪戯いたずらっぽく笑いながら、「次はこちらに」と歩を進めた。


   ‡


 廊下を左手に曲がる角で、赤いトマトや白いかぶなど野菜のうず高く詰まったバケツを胸に抱えた、小柄な女中が通りかかった。
 背はさきほどのリッタと同じくらい。だが、リッタに比べると、身体つきはいかにも発展途上といった感じで、女としての柔らかみに欠ける。
 白地の料理人服とは違って、黒地の女中服の上に大きめの白いエプロンをかけた格好である。
 ややだらしなく斜めにかぶった女中帽ボンネットから、少し癖のある赤毛が帽子からはみ出している。
 料理人リッタの指示に従って、野菜を切ったり洗ったりと、料理を手伝う調理女中のマイヤである。
 ウィルは幼少のころから、この調理女中のことを知っている。
 年のころはおそらくウィルと同じくらい。赤子のときに孤児院に捨てられていたので正確な年齢は分からない。
 マイヤは、本当にくるくるとよく働いてくれる。口だけは悪いのだが――
 いまも食材を抱えて調理場に戻る途中のようだ。女中服の黒い両の袖をまくり上げ、白く細い腕でバケツをしかと掴んでいる。
 マイヤはウィルを見て、にへらあっと笑いかけたが、その奥にいるトリスを見て慌てて笑みを抑えた。
 よく動く大きな青い瞳、すっと通った綺麗な鼻筋は、気の強そうな赤い眉といい、ウィルから見ても素材はかなり良い。
 おそらく、そうでないと、トリスが屋敷に連れてこなかったであろう。
 赤毛の少女は特に親しいウィルの遊び相手だった。
 下品な下町の冗談は全てマイヤから教わった。壁にナイフに傷をつけるやり方で、落書きするのを教えてくれたのもマイヤだった。
 つまり、この少女は、屋敷の結構な古株でウィルの幼なじみといっても過言ではない。
 トリスは、屋敷の女中の誰からも尊敬されているが同時におっかないのである。特に、マイヤはトリスによく怒られた。
 赤毛の少女は、触らぬ神にたたり無しとばかりに、とっとと横を通り過ぎようとする。

(そういえばマイヤとあまり話していないな……)

 どんなに仲の良い幼なじみでも、思春期を迎えるとふとした拍子で、なんとなくギクシャクした感じになるものだ。
 ましてウィルは伯爵家の次期当主であるし、マイヤはいっかいの女中に過ぎない。元から住む世界が違う。
 寄宿舎で学んでいたときのウィルは貴族の友人に囲まれていた。
 久しぶりに屋敷に戻って、女性らしく変化しはじめた幼なじみを目にして、どう接したら良いか分からなくなったのだ。
 いまも少女の小ぶりなお尻が左右に揺れているのが見える。
 今日の女中長は意外な行動をとった。
 ウィルのすぐ横をマイヤが通り抜けようとして、すれ違いざまに、ぬっと伸びたトリスの長い腕がマイヤのお尻を素早く撫で上げたのだ。

「ひゃ!」

 マイヤが背筋を引きらし、その拍子に胸に抱えたバケツから、つるりと二つのトマトが零れ落ちた。

「わ、危ねえ!」

 だが、両手にバケツを抱えたマイヤにはどうすることもできない。

「おっと」

 それが床に落ちて潰れるまえに、間一髪ウィルが左右の手で一つずつ掴んだ。
 昔、マイヤとこんなふうに球遊びをしたときのことを思い出した。

「ナイス!」

 ウィルが無事なトマトをバケツに戻すのを、マイヤは弾けるような笑顔で喜んだ。

「やるじゃねえか。でもな――」

 マイヤは喜んだのも束の間、口をへの字に曲げる。マイヤは顔の造作自体はとても可愛らしいのだが、すぐにそうやって蓮っ葉な表情を作る。

「オレの仕事の邪魔すんじゃねえ! オレのケツくらい、いつでも触らしてやるんだから、時と場合を選べ!」

 そう一気にまくし立て、ぷりぷりと怒りながらウィルに背中を向けて歩き出す。

「……いつでも触っていいそうですよ? 良かったですね。ご主人さま」

 そうトリスが背をかがめ、少年の耳元で囁いた。

「触ったのぼくじゃないのに」

 ウィルはしゃくぜんとしない表情を浮かべて、マイヤの後ろ姿を見送る。
 少女は一見したところ、何事もなかったかのように調理場へと歩いている。

「ほら、首まで赤くなっていますよ」

 トリスの言うとおり、黒い女中服のワンポイントの白い襟元のいつもは青白い肌が、ほんのり赤く色づいている。

「怒鳴ったのも照れ隠しです。ああ見えてマイヤは純情ですから」

 トリスは、拳を唇にあてて、くっくっとほほんだ。

「落書きの恨みがようやく晴らせました」
(恨み? マイヤは何をやらかしたっけ?)

 壁の落書きなんて、ウィルが物心つきはじめた頃の話だ。
 少年の視線の先には、しっくいの壁が見える。ところどころ塗り直した跡がある。
 記憶のなかで、ウィルの左右で二人の幼なじみの少女が漆喰の壁にナイフで傷をつけている。
 赤毛のマイヤと、いまこの屋敷にいない黒髪のお下げの少女――ロゼは、壁にある図柄を彫る数を競い合っていたのだ。

(あ、思い出した……)

 ウィルが顔を上げると、トリスもじっと壁の漆喰を見つめていた。
 まだ孤児院から連れてこられたばかりで怖い物知らずのマイヤは、屋敷の壁を傷つけられて怒れるトリスに、「相合い傘に入れないとしは黙ってろ」と言い放ったのだ。
 いったい何年越しの仕返しだろう――

「さあ、次に参りましょう」

 トリスの足は地下に降りる階段へと向かった。


◇ 屋敷の女性一覧 ◇
女中長   1人 (トリス◎)
蒸留室女中 2人
洗濯女中  6人
料理人   1人 (リッタ)
調理女中  4人 (マイヤ)
皿洗い女中 2人
酪農女中  3人
客間女中  1人
家政女中 12人
雑役女中  8人
側付き女中 1人 (ソフィア△)
    計41人
お手つき  1人 (済み◎、途中△)


◇ 用語解説 ◇
調理場の責任者として、主人や客人のための料理を提供する使用人職。腕の良い料理人は貴族の屋敷で引く手あまであり、屋敷によっては女中長ハウスキーパーを上回るほど給与が高くなることもある。
女中長の部下ではなく屋敷の主人から直接雇われており、男性使用人の長である執事バトラーと女性使用人の長である女中長に加え、食を握る料理人が第三の権力のような位置づけになる場合もあるが、屋敷の料理人リッタは権勢をふるうタイプではないようだ。

調理場で料理人コックを補佐する女中職。女中長ハウスキーパーの部下よりも料理人の部下としての側面が強い。料理人を頂点として、第一調理女中、第二調理女中、さらにその下の皿洗いスカラリー女中メイドという階層がある。料理人のリッタは屋敷の元調理女中。マイヤは皿洗い女中から第一調理女中へと順調に出世を重ねた。
使用人の賄い飯を作るのは調理女中の仕事である。いつか待遇の良い料理人になることを目ざし、日々腕を磨く。女中職のなかでも技術に重きを置く傾向が強く、料理人があまり教えてくれず、技術の身につかないような職場だと他のお屋敷に転職してしまうケースもあるようだ。

名前の通り食器類を洗う女中。台に乗らないと流し台まで背が届かないような年若い幼女がこの女中職に就くことが多い。仕事を覚えて調理キッチン女中メイドへと昇格するのが出世コース。ウィルの幼なじみのマイヤも皿洗い女中から屋敷でのキャリアをスタートした。



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