ページ
先頭
総コメ: 1
展開畳む(行コメ:1件)
ページ
末尾
第三話「高級奴隷」

 ウィルはトリスに連れられて、きょろきょろと辺りを見回しながら奴隷市場を歩いていた。
 二人の守衛が並んでいる門を通り過ぎるときに両側からうやうやしく敬礼をされた。
 ここより先は、選ばれた上客のみ入場を許されるエリアで、丸型の天幕ユルトが大小いくつも並んでいた。
 ここも同じ奴隷市場の敷地内であるが、地に倒れ伏す奴隷はもういない。さきほどまでの不潔な感じが一掃され、打って変わって清潔感があることにウィルはホッとしていた。
 天幕は遊牧民が使うような形をしていたが、漂白したかのような純白の布でおおわれており、入り口には色とりどりの花で飾られていた。
 その奥には遠目に人影が見えた。

(あれが売られている奴隷かな……?)

 そのときウィルは顔の横にトリスの息づかいを感じた。
 屋敷にいるときとは違い、トリスの唇には濡れたような赤いルージュが塗られていて、顔が近いと意味もなく緊張してしまう。

「健康な男の奴隷なら三万ドラクマ、見た目の綺麗な女の奴隷だと八万ドラクマ、教養や専門知識のある奴隷だと一五万ドラクマほどかかります。どれにも当てはまらないとなると一万ドラクマといったところでしょうか」

 町の平民の年間収入が一万ドラクマほどである。
 上客専門のエリアだけあって、相場がぐっと上がっている。

(ぼくは、これから人を……、ごくっ。お、女を買うんだ)

 それも娼婦として一晩買うのではない。奴隷として、女の一生を買いあげてしまうのであった。
 人の命と金銭が天秤にかけられている。
 あらためて生々しい実感が沸いてきた。
 興奮を抑えきれなくなり、呼吸が荒くなり、鼻の穴が広がりはじめた。口のなかが渇いてくる。
 そこでウィルはこほんと軽く咳払いをした。

「よ、予算はいくらなの?」

 トリスは、その質問に答える代わりに、

「あれを……」

 指先を近くの天幕の入り口の前に立てかけられた看板のほうへと向けた。
 げんな顔をしてウィルが目を細める。

『売値十万ドラクマの好物件。赤毛。乳房はやや小ぶりだが、スタイル良し。性格従順。二三歳……』

 乳房はやや小ぶりという説明があまりに生々しくて、ウィルは息をんだ。
 天幕の入り口には、三つ編みのおさげにした赤毛の女がうれいを帯びた表情で椅子に座っており、どきりとする。
 女は、身体の線の細さを強調するかのように身体にぴっちりフィットした紅色べにいろのドレスを着ている。
 つい胸を見てしまった。
 首から鎖骨、肩までをあらわにしたデコルテドレスで、たしかに胸はそれほど大きくないが、十分に丸みのある胸のカーブを描いているように思えた。
 特に鎖骨から下の肌の白さがなまめかしい。
 さきほど奴隷商人に身体をまさぐられていた貧相な身体の少女とは、明らかに質が違う。
 顔はそれなりに綺麗であったが、なぜか寂しげな印象を感じさせた。
 その途中、うっかりという感じで赤毛の女と目が合って、緊張する。
 女のほうは慣れているのか、ウィルに向かって柔らかくほほみ、おだやかにしゃくをしてきた。

(あれ?)

 そのときウィルは、女が唾を飲み込む喉の動きをざとく見つけた。

(余裕ありそうに見せて、このお姉さんのほうも実は緊張している?)

 横に立つトリスが、人差し指を上に向けてくるりと回すと、女はやや慌てた感じで席から立ち上がり、少し息を吸い込むと、そこからは流れるような動きで、軽く胸やお尻を振る。
 そのぐさは、なんとなく砂漠の君主スルタン後宮ハーレムにいる女を連想させた。
 見えないポールの周りでステップを踏むかのように、ゆっくりと全身のプロポーションを余すところなくウィルに見せつけた。
 女はやけに身体の線を強調するぴったりとした衣装を身にまとっていると思った。
 くびれたウエストに繋がる形の良い尻は、つい触りたくなるような気安い色気を感じさせた。
 トリスは背をかがめて、ウィルの耳元に唇を寄せてきた。

「処女と書いてありませんから抱こうと思えば抱けますよ。相場は交渉次第ですが、だいたい売値の十分の一くらいです。娼婦を買うよりもかなり割高わりだかになりますが、一万ドラクマも払えば喜んで股を開くでしょう」

 トリスの言葉の露骨さに頭がくらくらする。
 ウィルの視線の先には、女性の形の良い足が見える。太ももはやや不健康な感じに青白く、病的な怪しいいんさを感じさせた。
 視線に込められた少年の青い性欲を感じ取ったのか、女のたいが一瞬びくっと震えた。

「訪れた客が寝たいといえば、あの白い天幕の奥なかでとぎをするのです」

 トリスのその言葉どおり、女性の肩越しには、白いベッドが備え付けられているのが見えた。
 言われてようやく、この天幕がなんのためにあるのか分かったのだから、ウィルは自分のことを、つくづく世間のことがなにも分かっていない子供だったと感じずにはいられない。

「女は長く使う耐久消費財で、夜具やぐのようなものとお考えください。もし迷われているなら味見をなさったほうがよろしいかと思います。あの女に興味がおありですか?」

 ウィルは息を飲み込んだ。
 気持ちが揺れたが、かなり微妙なところで、かろうじて首を振って「もう少しよく探したい」と告げると、

「それがようございます」

 トリスが重々しくうなずいた。

「ウィル坊ちゃまの初めてのお相手ですから、自分でこれだと思うお相手を見つけ出してください。あの程度の女はごまんといます」

 そうささやいて歩き出した。
 トリスはときどきかなり辛口である。とくにその辛辣さは女に対して向けられることが多い気がする。
 ウィルがきびすを返そうとした瞬間、赤毛の女はもごもごと下唇を噛み、思い詰めた表情で天幕の奥へと駆け込んだ。その様子には、いまにも手首を切るのではないかというくらいの悲痛さが感じられた。
 ウィルは慌ててトリスの背にたずねる。

「ね、ねえ! トリス。さっきの女性。びっくりするくらいかなしい表情をしていたのだけど……」
「よいところに気がつかれました。われわれが好物件を探している一方で、奴隷たちは奴隷たちで一生をささげる主人の値踏ねぶみをしています。ウィル坊っちゃまが超優良物件だったからですよ」

 振り向いたトリスは、教え子を褒めるときの家庭教師ガヴァネスの顔をしていた。

「超優良物件……?」

 そう言われて悪い気はしないが、いまいちに落ちず、ウィルは小首をかしげた。

「ぼくさっきの女性と初対面だよ?」
「さきほどの女はウィル坊っちゃまを見て、裕福な家庭の生まれだと思ったことでしょう」
「そりゃあ、この区画に入ってきてるからね」

 ここは、ある程度の金持ちでないと入場すら拒まれるエリアだ。

「さらに坊ちゃまの服装から、どこぞの貴族の御曹司だと察したことでしょう」
「ああ、なるほど……」

 ウィルは両手を広げて自身の服装を見下ろした。
 質の良い布地のジャケットにズボン、洗濯ランドリー女中メイドが腕によりをかけて洗ったシャツは、のりいていて下ろし立てように真っ白だ。胸にワンポイントのマルク家の家紋かもんまで入っている。

「いえいえ。あの女にそんな細かいところまで分かりません。きするだけ教養がありませんから」

 これまで多くの女中を面接し、選んできたトリスの人間観察は信頼できる。

「見たのは、坊っちゃまの靴ですよ。気がつかれませんでしたか?」
「靴?」

 たしかにウィルの履いているエナメルの靴はそれなりの上物である。

「毎日、女中がウィル坊ちゃまの靴を磨いているのです。靴に光沢があるということは、その状態を維持するだけの経済力があるということです。それによって奴隷に対しても余裕をもった態度で接してもらえるだろうと期待するわけです。たとえどんなに金持ちでも極端にりんしょくな主人のもとに仕える奴隷は悲惨ですから」

 文字通り足下をみられた結果、ウィルは赤毛の少女のお眼鏡にかなったということだろう。

「へえ。なるほど。トリスもそばにいてくれたしね」
「恐縮にございます」

 トリスが恭しく御辞儀をした。
 ウィルにだって、トリスの存在がウィルを引き立ててくれたことくらいは分かる。
 ドレスを纏ってパーティーの華になるには長身で表情が硬すぎるかもしれないが、使用人として仕えてもらうには、逆にそれが見栄えする。

「マルク家と知ったら、逃した魚の大きさにさらに落胆したでしょうね。爵位持ちの貴族であるうえ、伯爵家と家格かかくが高く、そのうえマルク家は使用人の扱いが丁寧なことで有名ですから」

 一般に、上流階層ほど使用人を友人のように扱い、成り上がりの中流階層ほど、使用人を奴隷のように、奴隷をさらに手酷く扱う傾向があると言われている。このあたり、成り上がった人間ほど、自身と使用人との区別をはっきりさせたいという心理が働くのかもしれない。

「そして何よりも、ウィル坊ちゃまは、お若いですが容姿も整っていて、人から好印象をもたれる天稟てんぴんがございます。お素直な性格が外見ににじみ出ているのだと、わたしはそう思っておりますが」

 急に褒められてウィルは、「え? そ、そうかな」と無邪気に照れた。

「さきほどの立て札にしても……」

 トリスは看板に視線を戻す。

「『性格従順』と書かれているのは殴られ慣れているということです」

 話が一気に生臭くなって思わず、うっと息をまらせた。

殿とのがたによっては女を殴ることに性的な快楽を見出します。十万ドラクマと、あの程度の容姿にしてはやや高値がついているのも、そういう適性のある女だからでしょう。もしウィル坊ちゃまが人を殴ることに快楽を見出すご性向せいこうがおありならば、迷わずさきほどの女を勧めていました。人には相性というものがございますから」

 ウィルはようやくうれいを帯びた女の表情の意味を理解できたような気がした。

「性格が素直そうで、特殊な性癖せいへきもなさそうな、お顔の綺麗な貴族の子息に身をゆだねるのであればと、そんな夢を見てしまったのではないでしょうか」

 ウィルは同情する気持ちになりかけたが、「いえ」とトリスは首を振って釘を刺した。

「女のかげとは、すなわち女陰じょいんのようなものです。女の人生の分け目に押し入って、女の肉のひだを味わい尽くすおつもりがないなら、通り過ぎた女のことなどお忘れください」

 その言葉は、まだ女を知らないウィルには受け止めきれないくらい情け容赦ない。
 トリスが奴隷市場に来るように勧めた理由が分かってきたような気がした。これは主人教育の一環なのである。

(人を買うって重いなぁ……)

 この黒髪の女中長ハウスキーパーは、それを理解した上で買えと言っているのだとウィルは察した。

「今回のご予算ですが――」
「え? ああ……」

 ようやく女中長は、ウィルの当初の質問に答えるべく口を開く。

「三五万ドラクマの予算をいただきました」
「え、三五万! う、うそ!?」

 破格の予算と言っていいだろう。
 さきほどの女を三人買ってもお釣りがくる。伯爵からもらったというよりも、かなり無理をして捻出した金なのではないかとウィルは心配になった。

「それって上級使用人を買うためのお金なのではないの? 執事バトラー従者ヴァレットを務められるような」

 奴隷市場は高度に発達しており、貴族家の知恵袋になれそうな知識階層ですら売り買いされている。
 男の使用人の頂点に立つのが執事ならば、従者は主人の個人秘書のような存在である、有能で忠誠心の高い人間でないと勤まらない。
 上級使用人をえて奴隷から雇い入れる理由の一つは、主人の身辺に縛りつけておくことができるからである。奴隷に職業選択の自由はない。少なくとも奴隷が自身を買い戻す金を稼ぎ終えるまでは。

「はい。お父上には、ウィル坊ちゃまの助けになれそうな知識階層を雇いたいとお伝えしておきました。そうすると狙い目は、屋敷の仕事を任せられるくらい有能で、美人で処女の上級家庭教師チューターですね」

 トリスは巧みに修正し、処女まで条件に付け加えた。
 そもそも、奴隷であるかないかに関わらず、女の上級家庭教師自体が非常に数少ない。

「該当する女さえ見つかれば、予算的には何とかなるでしょう」
(その条件、無理なんじゃ……?)

 ウィルは首をひねった。

(それに伯爵にバレたらまずいのでは……)

 トリスはかなり危ない橋を渡っているような気がする。
 ウィルが心配そうな視線を向けると、

「長年かけてつちかった信用がありますから」

 トリスはそうおおを切ってみせた。
 ふと、トリスが顎を上げた。
 釣られて見上げると、そこには目印となる王家の旗が見えた。

「あとで、ここで落ち合いませんか? できるだけ数を当たる必要がありますので」

 トリスがそう言ったので、仕方なくウィルはうなずいた。

「このあたりなら、ウィル坊ちゃまが一人でいらしても危険はないでしょう。では日が暮れたときに、ここで合流しましょう」

 いなはなかった。
 トリスが本格的に探すとなったら、ウィルが近くにいても邪魔にしかならないだろう。
 トリスはウィルの好みを熟知じゅくちしているし、最終的に決断するのは自分なのだから問題はないだろうとウィルは判断した。
 こうして、ウィルはひとり取り残されて改めて周囲を見渡すと、大きな朝市あさいちのようにあちらこちらに天幕が建ち並んでいるのが見える。
 売り物である奴隷が高額であることもあり、一人一人に広めのスペースが与えられている。
 会場はうんざりするくらい広い。

「あれをぼくみたいなくちばしの黄色いガキが一軒一軒訪問して回るなんて無理だよ」

 ぼそりとウィルは呟いた。
 どうしても先ほどの泣きそうな表情をしていた赤毛の女の顔が思い浮かぶ。奴隷であっても、人の人生を買うというのは重いのだ。足も重たくなる。

「有能で、美人で処女の上級家庭教師チューターね。ちょっと無理なんじゃないかな。だってトリスをもう一人奴隷市場から探してくるようなもんだよ。ん? 処女という条件を外せばトリスでもいいのか。おっと!」

 ウィルは自分の口を両手でふさいであたりをきょろきょろと見回したが、幸いなことに長身の女中長の姿はどこにも見当たらなかった。
 壁には、一定間隔でぽつぽつと槍を持った警備兵が並んでいる。
 それをぼんやりと眺めているとウィルの視線に気がついたのか、びしっと敬礼を返してきた。ウィルはそれにぎこちなく頷き返す。
 当主不在の領地で女中に囲まれながら育ったので、こういう場合に取るべき貴族的態度というものがいまいち分からないのだ。

「気合いを入れて探してくれるのはいいとしても、こんなところに一人放り出されてもね……とほほ」

 ウィルは空を見上げながら途方にくれたのだ。


   ‡


 奴隷市場のこの一角は、治安が万全に保たれていることもあって、和やかな話し声も多い。
 とりあえず近くを散策してみることにした。
 左手に白い布のようなものが長く続いているなと思ったら、それはひときわ大きな丸型の天幕ユルトの丸みを帯びた壁であることにウィルは思い至った。
 なんとなく壁に耳をあてたが中から物音はしなかった。

(あれ? これってすごく恥ずかしい行為なのでは……)

 ウィルは、さきほどトリスに『味見しますか』と問われたことを思い出した。
 物音がするということは現在使用中であるということだ。
 万一、不審者として衛兵でも呼ばれようものなら家の名誉に関わる問題になりかねない。
 慌てて周囲をきょろきょろと確認すると、すこしだけ離れた場所に別の天幕があり、その入り口のまえにテーブルに向かい合って、にこやかに談笑する一組の男女が見えた。
 いかにも伊達男という感じの身ぶり手ぶりの大きい赤毛の男の言葉に、林檎のような頬をした、白いドレス姿の令嬢がいちいち何度も頷いていた。
 幸いなことに、話をするのに夢中でウィルの不審な行為には気がつかなかったようだ。
 ウィルも最初は恋人どうしかと思って、そのまま横を通り過ぎようとしたが、口の上手うまそうな優男といかにも純朴そうな女の組み合わせは、どうにもちぐはぐというか、悪い男に騙される田舎娘の構図にしか見えない。
 男のほうは、首もとの白いタイの結び方一つとっても、どこか都会的に洗練されている。
 カップを口に運ぶしょは役者のように優雅である。
 なにかを囁きながら、そっと女に手を重ねると、女は顔をさらに赤らめ、ほとんど湯だたんばかりとなった。
 女は、顔のかたち自体はそこそこ可愛らしいのだが、いかんせん服装が野暮ったかった。
 スカート全体をお椀のようにぷっくりと膨らますクリノリン・スタイルのファッションで、まるで童話の挿絵から飛び出して来たようだ。
 スカートのなかに骨組みの必要なおおぎょうなドレスは流行遅れになって久しい。
 技能を活かす場を失った服飾職人が地方に行って、さも流行のドレスであるであるかのように吹聴し、田舎の地主に高く売りつけたのかもしれない。
 ウィルは少し気になって、足を二人のほうに向けた。
 赤毛の男のすぐ横には立て看板があった。

『売値二十万ドラクマより。外国語に堪能。読み書き可。頭が良く交渉ごとが得意。容姿美麗。赤毛。二六歳。健康。――(中略)――好物件』

 ウィルは唖然と口を開けた。
 この男は、少しでも良い条件で売られるために、自分で自分を売り込んでいるのだ。高級知識奴隷になると待遇が違うというのは伝え聞いていたが、さも上流社会の一員のような顔までしているとは思わなかった。
 しばらく見ていると、話の雲行きが急に怪しくなったのか、女が突然ハンカチでもとを押さえて席を立ってしまった。
 走り去る途中で、女は一度ちらりと後ろを振り返ったが、赤毛の男のほうは特に気にする様子もなく、もう終わった話とばかりにヤスリで爪の手入れをはじめている。
 落ち着きはらった男の様子を見て、ウィルは興味半分、冷やかし半分で声をかけてみることにした。

「ねえ。さっきの子はなにが気に入らなかったの?」

 優男は一瞬怪訝な視線をこちらに向けた後、ウィルの胸もとのワンポイントに目を見張った。

「これはこれはマルク家のウィリアム様。ようこそお越しいただきました」

 思わず舌を巻いた。
 なにもウィルの名が売れているわけではない。
 ウィルのシャツには双頭の馬と呼ばれる、二つの首を持ち、左右を向いた胴の繋がっている馬の紋章が刺繍されていた。
 この男はそれを目敏く見つけ、マルク家と判断した上で、初対面のウィルの名前を言い当てて見せたのだ。

「おや、違いましたかな? だとすれば、とんだ失礼を」
「いや合ってるよ。正直びっくりした」

 ウィルが感嘆混じりの声をあげると、赤毛の男は「ああ、良かった」とわざとらしく胸をで下ろした。
 双頭の馬の紋章をマルク家のものだと知っていておかしくないのは、古くから付き合いのある年配の貴族か、戦場で敵味方の旗を識別する紋章官くらいだろう。
 由緒ある貴族家だけあってマルクにはいくつかの家紋があるが、双頭の馬の紋章は現伯爵にあまり好まれていなかったようで、父親の代になってからは公的に使用されていない。

「実はマニアなんですよ」

 男は胡乱げなことを言い、にっこりと完璧な営業スマイルで微笑んできた。
 ウィルの名前まで言い当てたということは、貴族家の紋章だけでなく家系図があらかた頭に入っているのだろう。

「ギュンガスと申します。わたくしをお買い求めで?」

 あまりに鮮やかな売り込みに、ウィルは苦笑を漏らす。

「いや、残念ながら今回探している条件には合わないよ」

 そう正直に答えると、

「なるほど、条件ですか」

 ギュンガスはウィルの真意を探るように慎重にあいづちを打った。

「ねえ、さっきの女の子がどうしてフラれたのか気になって、つい声をかけちゃったんだけど、良かったら教えてくれない?」

 ウィルが答えを催促すると、男は目を細め、

「そうですね……」

 少し考えるための間を空けた。
 ウィルのつま先までたっぷり観察した後、

「あの方は田舎の地主の三女に過ぎませんでした」

 そうぬけぬけと言い放ったのだ。
 ウィルはさきほどの女性が気の毒になり、かすかに眉をひそめた。
 すると、赤毛の優男はわずかな表情の変化まで敏感に察知しているようで、

「おっと、お優しいお方でしたか。奴隷の分際で言いすぎました。しかし、ウィリアム様がお買い求めになる奴隷に条件があるのと同様に、奴隷の側もできるだけ良い主人に仕えたいものでして」

 そう弁解した。
 言っていることに一応の筋は通っている。ウィルは頷いた。
 『交渉ごとが得意』と書いているとおり、相手の心のに聡いようであった。

「さらに付けくわえるとありゃ明らかにむすめでした。あれ以上相手にしていると大変なことになりますので」
「大変なこと?」

 ウィルがそう問いかけると、「あちらですよ」とギュンガスは、くいっと右手の親指を肩の後ろに反らし、背後に見える天幕の入り口を指し示した。
 奥にはベッドが見える。
 そこでウィルはようやく男が女を買うように、女も男を買うことができるのだと思い至った。

「男を買いあさることに慣れた金持ちのマダムならともかく、男を知らない処女を散らすのはトラブルの元にしかなりません。誰も望まないのに駆け落ちをするとか言い出すとかね。もうヤバいヤバい」

 その口調には明らかに火遊びを楽しむ色合いが含まれていた。

「だったらどうして口説いていたの?」

 ウィルは素朴な質問を発した。
 どちらかというとギュンガスのほうが勘違いさせるよう仕向けていたように見えたからだ。
 すると、赤毛の男は困ったように頭を掻いた。

「口説くだなんて。わたしはせっかく純朴そうな女性とお知り合いになれたので、少し英気を養わせてもらっていただけですよ」
「英気?」

 ウィルは胡散臭そうな目で見つめた。

「いえね。わたしは今日マダム二人のお相手を勤めたのですよ。それはそれはお二人ともふくよかな肢体をもつ奥方で――それこそ北海のトドのような」

 そこまで言って、ギュンガスは、斜め下に目を泳がせると急に身震いして、うぷっと喉を詰まらせた。
 男の視線の先には大きな布袋が二つ重ねられており、袋の口からは、使用済みと思わしきシーツの端がはみ出していた。

「断れなかったの?」
「断るなんてとんでもありません。金も権力も持っているご婦人ですよ。わたしは金も権力も大好きですから」

 ギュンガスは良い笑顔をして、すがすがしく言い切った。

「気持ちの上では何人でもお相手させていただきたいところですが――」
「ですが?」
「二人目を相手にしているところで、わたしは意識を失いました」

 がっくりとギュンガスは俯きながら顎を落とすと、柔和な笑顔が脱げ落ち、げっそりと萎れた草木のように頬をこけさせた。
 どんなに金や権力が大好きでも、身体のほうが保たないのだろう。

「まあ、とにかく、最初からお相手する気もなかった令嬢には、わたしの売値は百万ドラクマまで行くだろうと言ってお引き取り願いました」
「え、百万ドラクマ!」

 ウィルはその数字に驚いた。
 一体、どうしたらそんな金額になるのか見当がつかない。
 マルク伯爵家ですら三十五万ドラクマなのだから、弱小の地主ならば全く手が出ないだろう。
 ギュンガスはくっくっと人の悪い笑みを浮かべた。

「売る気がないときはこうやって適当にあしらいます。相場は二十五万以上、四十万未満ってところですね」

 ギュンガスはそう言って、手元のカップから茶を啜った。
 奴隷もこうやってできる範囲で主人をえり好みをするわけか。
 だが、地に伏して一方的に主人にむち打たれている奴隷を見るよりはいいかもしれない。
 そうウィルは感心してしまった。

「座りませんか? お口に合うか分かりませんが、マダムからの頂き物で、悪くない茶葉ですよ」

 ギュンガスがポットの蓋を開けると、落ち着いた香気がただよった。
 悪くないどころかマルク領の屋敷で女中長のトリスが厳重に管理しているような茶葉の香りである。
 ウィルは首を振って遠慮するが、なおも引き留められた。

「わたしはほかの奴隷の管理も任されてますので、気に入った奴隷がいれば相場よりもお安くお譲りすることができますよ」
「へぇ」

 奴隷が同じ奴隷を売り買いしているというのも、なんだかシュールな話である。

「主人の仕事を手伝いはじめてもう五年になりますね。奴隷市場についてはそれなりに何でも分かっているつもりです。お時間があるならなら、ぜひ――」

 よく考えると、トリスとの合流まで時間を潰さないといけないのである。
 結局、ウィルは椅子をひき、腰を掛けた。
 そして、奴隷市場には不釣り合いなカップを口に運ぶと、心地よい香りと熱を体内に引き入れて、身体がほっとかんした。
 慣れない場所に来て、だいぶん緊張していたようである。

「お捜しの奴隷の条件とは?」
「えっと、ぼくが欲しいのは女家庭教師ガヴァネスかな? できれば美人の」
「一番大事なのは能力ですか? それとも容姿ですか?」

 すかさず切り込まれたが、自分の欲望をさらさずして欲しいものが手に入るはずもない。
 ウィルはもう開き直った。

「美人のほう。教師であることは父に説明するための建前のようなもの。ついでに言うと処女であったほうが、なおありがたいかな」

 そう言うと、この赤毛の男は面白そうに口元をひん曲げた。

「マルク家の女中メイドは美人揃いで有名ですから、それより遥か上を期待されるとなかなか厳しいかもしれませんね」
「や、やっぱり、そうなんだ」

 ウィルもマルク家の女中たちのことを内心で可愛いと思っていた。
 マルク家が近所つき合いしている、同世代の貴族家の友人から、マルク家の女中はやけに美人が多いと言われたことがある。

「して、ご予算は?」

 ウィルはひと呼吸置いた。これは相談であると同時に交渉なのだ。全てを明かす必要はないだろう。

「もしギュンガスが女だったら考えたくらいの金額、かな」

 それを聞いたギュンガスは、

「そいつァ残念。うーん、実に残念。あとは――美人で処女という条件が揃えばよいわけですね」

 まさか本当に自分が女になる方法を考えているのではないかというくらい、何度も何度も首を捻っていたが、やがて諦めたとばかりに両手を拡げて盛大な溜息をついた。
 そして何気なく思いついたように言う。

「そういえば、となりのハコには百万ドラクマの値のついた女の奴隷が売られています」
「え? ホントに?」
「奴隷市場には時折ああいうものがあります。ああやって目玉を作って人を集めて、ほかの商品まで一緒に売りさばこうというこんたんですな。もし良かったら見ていかれては?」
「へえ……あまり良く思ってない口ぶりだけど、試しにちょっと見ていこうかな」

 立ち上がったウィルをギュンガスはただじっと見つめていた。

「うん、またね。次の機会があるか分からないけど」
「ええ」

 少し居心地悪そうに踵をかえすウィルの背中に、言葉が投げかけられる。

「せっかく足をとめて頂けたので、とっておきの情報を差し上げましょう。出口を北に抜けると仮置き場があります。楽屋裏のようなもので、入り口からすぐ左手がうちのスペースです。あのなかに一人、生意気なのですけど力だけはやたらに強いのがいましてね」

 それをわざわざ口にするのだから、よほど訳ありの出物なのだろう。
 何らかの意図があることは明らかであった。

(力の強い奴隷か……)

 古代の剣闘士のようなきんこつりゅうりゅうの男の奴隷が頭に思い浮かんだ。
 そんな体格の立派な奴隷を自分の忠実な従僕フットマンにするのもよいかもしれない。
 一瞬そのように思いかけたが、さきほど若い奴隷主が少年を鞭打っている姿を思い出して、そんなのは醜悪だと小さく首を振った。

「おや?」

 ギュンガスが少し不思議そうな表情をしていた。

「なんでもない。ありがとう。さようなら」
「いえいえ。こちらこそ。ぜひまた足をお運びください」

 たぶん、この赤毛の男とはきっと二度と会うことはない。
 このときウィルはそう思っていた。


◇ 用語解説 ◇
屋敷の男性使用人の長として、屋敷の表側に関わること全般を取り仕切る上級使用人職。女性使用人の長として屋敷を裏側から支える女中長ハウスキーパーとはついになる関係にある。
マルク家の執事は王都のタウン別邸ハウスに住む伯爵と行動を共にしており、もう何年もウィルは執事の顔を見ていない。王都の別邸が執事の管轄下に置かれ、マルク領の屋敷が女中長トリスの管轄下に置かれるという棲み分けができてしまっている。

従者は主人のそばに仕え、助言をしたり身のまわりの世話をする上級使用人職。
執事バトラーの部下というよりは、主人直属の個人秘書のような存在と言える。執事不在の場合には従者が執事の代理を務めることもある。能力があるのは当然として主人と気心が通じていないと勤まらない。
マルク伯爵が王都のタウン別邸ハウスに移動する際に、めぼしい男性使用人を連れて行ってしまったため、マルク領の屋敷には一人の従者も残されていない。




第三話「高級奴隷」へのコメント:
コメント入力のお願い
Twitterログイン後、本文中の行をクリックすることで直接行にコメントがつけられるようになっております。
書いている著者自身がWeb版/同人Kindle版/商業版の各バージョンの違いで混乱しているものでして、もし読んで気になる点や誤字脱字などございましたらご指摘願います。
↓ クリックするとTwitterログイン画面に飛びます ↓
コメントのお礼に特典小説もご用意しております。