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第三十七話「女中の幸せ」

 ウィルが廊下を歩いていると、ぱりんとなにかが割れる音がした。

「ああ、やっちまった!」

 廊下の遠くでベリーショートの黒髪の少女レミアが頭を抱えているのが見えた。
 レミアは、以前ジュディスに加担して、ウィルに少し反抗的だった時期のあるボーイッシュな洗濯ランドリー女中メイドだ。いまはウィルにすっかり服従している。
 人手不足のため屋敷の清掃を手伝ってもらっているのだが、どうやら慣れない家政ハウス女中メイドの仕事に調度品を割ってしまったらしい。
 何万ドラクマの損失になるかは分からないが、廊下の調度品の一つや二つ割れたところで気にはしていなかった。
 内覧会が終わった後、本気で目が飛び出るほど高い備品は、執務室にあるか倉庫に片付けてあるかのどちらかだ。
 ウィルは、おろおろと動転するレミアの背後まで近寄ると、

「割っちゃったの?」

 そう声をかけた。

「あ、ご主人さま! す、すみません! すいません!」

 レミアはじゅうたんのうえに額を擦りつけて平伏し、カモシカのように引き締まった身体を小さく縮こめて恐れおののいている。

(適材不適所も良いところだったかもなあ……)

 そうウィルは反省している。人手が圧倒的に不足しているのだ。
 次第に、ウィルの周りに女中メイドたち――フローラ、アーニー、シャーミア、そして年輩のブリタニーとイグチナが集まり、遠巻きに様子を見守っている。
 周囲の視線がウィルとレミアに集まる。

(う……。なんか落ち着かない)

 女中に土下座されると、自分がいかにも冷酷な主人のように感じてしまう。

「ずみまぜん。ずみまぜん。あたしはどうにもガサツで」

 レミアはずるずると鼻をまらせて、涙を流している。
 ウィルはふと床を見て、白と青の陶器の破片が散乱していることに気がついた。

「あ……割ったの舶来物だよね」

  ウィルはあんぐりと大きく口を開いた。

「ずみまぜん! ずみまぜん!」

 レミアががんがんと額を赤い絨毯に打ちつける。
 ここには東洋オリエントから輸入されたという大茶碗が飾られていた。飾られている調度品のなかでは一番高い部類に入るだろう。
 それ以上に困ったのが、どういうわけかこの焼き物はトリスの私物なのである。女中長ハウスキーパーが個人的に気に入って屋敷に飾っているとか。
 廊下の向こうから、体格の良い赤毛の女中が真剣な表情を浮かべて駆け寄って来た。
 洗濯女中たちのまとめ役のジュディスは近くまで来るなり、ウィルの前に身体を投げ出すようにしてレミアの横に跪いた。

「ご主人さま。申し訳ありません。どうか、どうか、レミアを許してあげてくださいッ!」
「ごめんよう。姉御。ごめんよう」
「何年かかるか分かりませんが、この陶器は、洗濯女中で必ず働いてお返し……」

 赤毛の女がそこまで言いかけたところで、ウィルはジュディスとレミアの腕をとって引っ張り上げた。

「……?」
「ご、主人、さま?」
(ぼくもそこまで鬼ではないよ……)

 とりあえず土下座されているのが嫌だったので立たせただけで、後の台詞は考えていなかった。

「……えーと、とりあえず誰かトリスを呼んできて」

 たまたま近くにいたシャーミアにそう言った。褐色の肌の女中はうなずくと、白銀髪を翻して早足でこの場を離れた。

「あのね。慣れない仕事をやらせているのはこちらの都合なんだから弁償する必要はないよ。さらに言うとレミアが屋敷をクビになったり折檻されることもない。まあ多少甘い措置かもしれないけど、本職の家政女中でもないのにそこまで厳しく処罰しても仕方がない」

 ウィルはそう言って、レミアのすらりとした尻とジュディスの大ぶりな尻を、安心させるようにゆっくりとでてやる。
 レミアとジュディスは腰が抜けそうなほど深くためいきをついていた。
 特にジュディスは慣れない職場で気苦労も多かったのだろう。

「あ! いや安心するのは待って。ぼくもまったく困っていないわけではないんだ。これ実はトリスが気に入っていた器でね。どういうわけかトリスが自分で買って屋敷に飾っておいていたものなんだ」

 そう言うとジュディスとレミアの顔が、「ひいいっ」とゆがんだ。
 洗濯女中たちの上司はトリスなのである。上司がわざわざ自腹を切って買ったお気に入りの陶器を割ってしまったということになる。

「どうしたウィル?」

 マイヤが駆けつけてきた。

「ああ。それトリスの私物なんだ」

 ちょうど両手がふさがっていたので、ウィルがあごをしゃくって方向を示すと、マイヤはたんに顔を歪めた。

「おまえら、なんでよりによってそれ割るかなあ」

 以前ウィルに反抗的な態度をとったことのある洗濯女中であるせいか、マイヤの口調はやや辛辣である。

「だっでぇ……」
「割ったの、あたしじゃないよ!」
「そ、そんな、姉御ぉ……」
「マイヤ、あんまり苛めるな。レミア、ぼくも一緒に謝ってあげるよ。いざとなれば、ぼくが間に入って何とかするからそんなに心配しないで」

 ウィルはそう大見得を切った。
 すると、ジュディスとレミアは、

「お願いします。ご主人さま!」
「一生、ご恩に着ます!」

 天から差し伸べられた蜘蛛の糸にすがるように、再び絨毯に膝をついて拝むようにウィルの手を掴んだ。

「良かったなあ。おまえら。ウィルがご主人さまで」

 なぜかマイヤが偉そうにうんうんと腕組みをして頷いていた。
 やがてトリスが駆けつけてきた。早足である。そして真剣な表情を浮かべている。

(あれ……?)

 正直、自室ではなく屋敷に飾っていたような備品なので、多少の値は張るかもしれないがトリスならばそれほど気にしないとにらんでいたのだ。
 つかつかとこちらに向かって歩きながら、レミアの足元に散乱している陶器の破片に視線を落とし、硬い表情を浮かべている。
 それほど大事にしていた品なのだろうか。思ったより面倒な事態に発展するのかもしれない。
 ジュディスとレミアは、緊張して固まっている。
 ウィルと二人の横を通り過ぎて、大茶碗を載せていた白い大皿を手に取り、

「無事で良かったです」

 珍しく、ふうっとあんの溜息を上げたのであった。
 あまり気に留めなかったが、大皿にはなにか東洋の文字が刻まれている。

「ご主人さま。この皿が無事ならば、わたしとしては何の問題もありません。これはリサ・サリを奴隷市場で買ったときに一緒に見つけたものです。割れた焼き物は、わたしのお給金でも買えるような疵物にございますゆえ……」
「だってさ。良かったね?」

 二人の洗濯女中は安堵のあまり絨毯に尻をついている。黒髪のレミアのほうは涙までぬぐっていた……。

(でも、こんなもんなのかな。以前はあれほどぼくを困らせたというのに……)

 拍子抜けする部分はあったものの、なんだか無性に二人が可愛く感じられた。
 赤毛と黒髪、ふたりの頭を優しくなでてやった。二人は逆らわずに撫でられるに任せている。
 考えてみると、レミアのほうはウィルよりも数歳年上だし、ジュディスのほうは十歳も歳が上である。
 物心ついたころに、ウィルは洗濯場に遊びに行って、ジュディスやイグチナ、ブリタニーに頭を撫でてもらった覚えがある。一体、いつのまに立場が逆転してしまったのだろうか。
 ふと、ウィルは遠い先祖の故郷の地に伝わる諺を思い出した。
 子供が生まれたら犬を飼いなさい。
 乳児期には良き守り手となるでしょう。
 幼年期には良き遊び相手となるでしょう。
 少年期には良き理解者となるでしょう。
 そして自らの死をもって命の尊さを教えるでしょう。
 ウィルに命の尊さを教えてくれたのは屋敷で飼っていた老犬のペロであったが、トリスがよく女中を犬扱いするとおり、女中に置き換えてもそのまま当てはまるのである。
 これまで女中はウィルの守り手となり、遊び相手となり、良き理解者となってくれた。
 ウィルが精神的に成長して屋敷の大地に根を張り始めると、目の前の女中たちとは視線の高さが変わってしまったのだろう。
 少年が成長していくにつれ外部の世界が広がっていき、少しずつ犬と遊ぶ時間も減っていく。犬はそれでも少年に忠誠を誓い続けるだろう。
 それと同じようなことが、懇意にしていた洗濯女中とウィルの間に起きているのかもしれない。
 以前の洗濯女中との対立は屋敷を掌握するための勝負所であった。しかし今となってはもう、洗濯女中たちとは喧嘩のできるような対等なあいだがらですらなくなってしまったのだ。

「ジュディス、レミア、今度二人揃ってご主人さまに伽をなさい。それで、この皿の文字に免じて許してさしあげます。ご主人さま、勝手に決めてしまいましたが、それで構いませんか?」
「……え? うん。ぼくはべつに良いけれど」

 ウィルはそう答えた。トリスが皿の文字に免じてと口にしたのが気にかかる。

「それでぜひ! 外国の陶磁器なんてうちらにはとてもとても」

 両手を振って、ジュディスがそう言い、

「ああ。良かっだあー」

 レミアがそう安堵の溜息を上げているのである。
 いつのまにか集まったほかの女中たちも、ほっとした表情を浮かべていた。

(なんか、本当にぼくに抱かれることに抵抗感がなくなってるよなあ。というか管轄外の仕事だし、本来ジュディスは何の責任もないんだけど……)
「トリス。割れた陶器は弁償するよ。屋敷の主人として使用人の私物を壊してしまった責任がある」

 ウィルの言葉に、トリスは首を振ってほほんだ。

「あらご主人さま。その論理だと、女中の管理不行き届きの責任は女中長であるわたしに帰すのではないですか」
「そりゃそうだけどさ」

 ウィルは思わず苦笑を浮かべる。

「差し支えなければ、このままこの皿を飾らせていただいてよろしいでしょうか?」

 トリスはおねだりをするように少し首を傾けてそうたずねてきた。
 ウィルはまじまじと白い皿を観察する。皿の表面には、大きな一文字が躍動する筆使いで書かれている。じっと眺めていると、心がなんだかウキウキするような迫力がある。

「分かった。トリスの好きにしていいよ。なんだか、ぼくもこの皿を気に入った。無銘の皿とは思えないくらいの味わいがあるような気がしてきた」

 ウィルが鷹揚に頷いてそう答えると、トリスはとてもうれしそうに微笑み、

「さすがはご主人さま、お目が高い。ではお言葉に甘えることにいたします」

 膝を折り深々とカーテシーのおをしてきた。

「ところでトリス。その皿にはなんて文字が書かれているの?」

 ウィルがそう訊ねると、トリスは集まったみなの前に黒い文字の書かれた皿を、まるで闇を照らす神話の鏡のように高々と掲げた。

「ここには『幸』という幸福を意味する東洋の文字が書かれています。これはお屋敷を象徴するに相応ふさわしい皿だと思って、ここに飾らせてもらっていたのです」

 集まった女中から「わあっ」という歓声が上がり、一斉にぱちぱちと拍手が零れた。
 フローラなどは涙腺が緩んだのか「まあっ」と目を擦り、アーニーが「ええ話やね」と呟いた。

「この『幸』というのは、元は女が男に犯されている姿を象った象形文字なのです。この屋敷の構図で言えば、この上側の部分が股を開いている女中にあたり、下側が男性器を突き立てているご主人さまにあたります。ご主人さまに抱かれることで女中が幸せになる、まさにこのお屋敷を象徴するに相応しい皿と言えましょう」

 トリスはいつものトリスであった。

「レミアの馬鹿あ。なんでこっちの皿を割らないのよう」

 ぼそりと小柄なアーニーが、気持ち内股になって両手で下腹を押さえるようにそう呟き、

「めったなこと言うんじゃないわ。語源はどうであれ、幸せを祈る皿を割ったらロクでもないことになりそうだわ」

 シャーミアは白銀髪を振りながら溜息をつく。

「まあ、トリスらしいわね。この歳になるとご主人さまに構っていただけるだけで幸せだから、それでいいわ」

 イグチナが短い髪をかきあげながら呆れるように口にした。
 隣のブリタニーも栗毛のポニーテールを揺らして、うんうんと頷いている。
 一段落して、女中が各々の持ち場へと去って行く。
 その場に一人残った碧色のれいな瞳が、じっとウィルのほうを見上げていることに気がついた――というか無視できなくなった。

「マイヤ?」

 ウィルがそう訊ねると、

「おれの持ち場はそこだ」

 どうだと言わんばかりに、ウィルの足元を指差したのだ。
 さらに、さきほどまで二人を撫でていたウィルの手を物欲しそうな視線で見下ろしている。その円らな瞳は「あの二人だけずるいぞ」と主張している。
 ウィルはつい苦笑をして、マイヤの頭を撫でてやる。

「今後何があっても、マイヤはずっとぼくのそばにいてもらうからね」

 ウィルの声には、年月の移り変わりに対する感慨のようなものが籠められていた。

(ぼくは、家を守っていかなくてはいけないんだ)

 最近、ウィルはそう自覚するようになった。
 ほんの少し前まで、揺りかごのなかの赤ん坊のように屋敷の女中に守られていたというのに、気がつけば、いかに領地を経営して屋敷を守っていくかウィルは頭を悩ませているのである。
 世界が広がるということは成長でもあり、寂しさでもある。
 ウィルにとって次第に女中が、主人と同じ目線の関係から、より低い目線で主人の帰りを待つ、忠実な犬のような存在へと変わっていってしまう。
 いま自分を見上げる赤毛の小柄な少女は、屋敷に来たときから女中であり、いまも女中であり続けている。
 せめてマイヤには、昔と変わらずに自分のそばに居続けてほしかったのだ。

「どうした? 今日のおまえ妙に優しいな。いつにもまして頼もしい感じがするな。でもなんだか寂しそうにも見えるぞ」

 そう言うと、マイヤは身を投げ出すようにウィルの胸に飛び込んできた。そして背中に手を回し、ウィルの胸にぎゅっと抱きつく。

「マイヤ……?」
「家を背負うことにプレッシャーを感じてるんだろ? どんどんおまえにぶら下がる女中の数も増えていってるしな」

 マイヤはそう言って、ウィルの胸板に頰ずりをした。

「かなわないな。マイヤには」
「へへ。少しはオレにも役に立たせろって。約束してやるよ。この家が没落しておまえが無一文になっても、おれはスリでもかっぱらいでもなんでもやって、おまえのことを養ってやるよ」
「……スリもかっぱらいもちょっと」

 ウィルはそう言ってマイヤの申し出に抵抗を示した。その場合、自分はマイヤのヒモになるのだろうか。

「悪いことするのは、おまえ嫌だよな。うんうん。心配すんな。なら料理人コックでもやるか。それまでに厨房に出入りして料理の腕を磨いておいてやるよ。腕の良い料理人はどこ行っても食いっぱぐれないからな」

 赤毛の少女は雑草のように生きる力の塊だった。

「もうっ。ぼくはマイヤだけでなく、屋敷の女の子をそんな目にわせたりはしないよ!」

 ウィルは少し声を上ずらせつつ、そうふんがいして見せる。

「ふへへ。分かってるって。おまえは頭も良いし性格も最高だ。そして、ちんちんで女をあんあん泣かせることもできる。おまえなら何も心配いらないって。いざとなったら、オレがおまえの代わりにいくらでも泣いてやるから、気楽に思い切ってやれよ」

 赤毛の少女はそう言い切って、ウィルの背中をばんばんとたたいたのである。




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