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第三十六話「捜索準備」

 少し休憩がてら外に出ることにした。屋敷は小高い丘の上にあり、そこから北には草原が広がる。
 季節は夏。緑のじゅうたんが地平線のように続いている。
 空は高く、雲は速い。めまぐるしく雲の形が変わっていく。上空は風が強いのかもしれない。
 気持ち良い涼しい風がウィルの頬をくすぐった。

「ああ。良い眺めだ。草原にいると力が沸いてくる」

 ソフィアは、さきほどまで屋敷の中にいたときとは打って変わって、上機嫌に後ろ手に両手を重ね、一歩一歩、どこまでも続きそうな草を踏みしめる。
 そしてそれをウィルと一緒に一歩一歩数える。

「うむ……このくらいの距離だなっ!」

 ソフィアが、なんとか表情の見える先からウィルのほうを振り返り、両手を広げて大声を上げた。

(意外に距離があるもんだな……)

 ウィルの立っているつま先に小柄なリサがかがみ込む。
 その手は、紐の一端を握っている。
 リサから伸びる紐を、双子のもう一方のサリが肩にぐるぐる巻きに担いで、とことことソフィアのほうへと走って行く。
 紐には一定間隔で節目となるような色がついている。

「約六十メートルですッ!」

 サリがそう叫んだ。
 これは領地の測量に使う紐なのでそれなりに正確である。
 ソフィアの百歩は六十メートルであった。


   ‡


 執務室で、

「以前、ソフィアは近くに妹がいると察知出来ると言っていたね?」

 ウィルはそう訊ねた。
 ウィルのほかに室内にいるのは、トリスとソフィア、そしてギュンガスである。
 さきほどまでいたレベッカは体調を崩して部屋に戻っており、マイヤにはレベッカの様子を見に行かせている。

「もっと近くにならば思念で話をすることもできるぞ」

 銀髪の少女は事もなげにそう答えた。

(それにしても神の奇跡のような能力が、ごくあたりまえに語られるなあァ)

 なぜぎんろうぞくにばかり、このような超常の力が与えられているのか不思議だった。

「そのようなことを言ってましたっけ。連絡兵いらずではないですか。して、その距離はいかほど?」

 ギュンガスが手鏡で赤毛をセットしながら、そういた。

「――五十歩だ。五十歩以内ならば思念で話ができる。百歩以内なら近くに妹がいると分かる」

 ソフィアは、ギュンガスのほうにけんしわを寄せながらそう答えた。
 その返答にギュンガスは微妙な表情を浮かべていた。

「五十歩というと、二五メートルくらいですか。なにか物足りない。役に立ちそうで利用方法が思いつきませんな」
「おまえになど利用されたくないわ!」

 ソフィアはそう吐き捨てた。

「ねえ、そもそも、なんだって銀狼族はこんな能力を……?」

 いまさらのようにウィルは、ソフィアにそう問いかけた。

「おそらく神巫かんなぎが攫われたときに容易に捜し出せるようにするためだろう。今回みたいに神巫が誘拐されたときに周囲に与える影響が甚大になる」

 ソフィアはそう答えた。

(まあ……たしかにこの上なく人捜しには便利なんだけど)

 どれだけ必死に隠そうとも、屋敷の中央に踏み込めば、よほど大きな屋敷でない限り、それで捜し終えたことになるのだから。
 狭い敷地ならば、中に入らずとも周囲を一回りするだけで、なかに神巫がいないか確かめることすらできるだろう。

「とりあえず今後の捜索のために正確に距離を計ろう」

 ウィルはそう言ったのであった。
 ――これがさきほどまでの話である。


   ‡


 草原をねぶりあげる風を顔に感じながら、ウィルはソフィアの横を歩いていた。
 なんとなく幼い日を懐かしく思いながら風の匂いを嗅いでいると、ふいに、ぷっとソフィアが吹き出した。

「ウィルはときどき草原の民のように振る舞うな。この国の貴族のくせに。屋敷のなかでもそんな雰囲気を感じることがある」
「そう? ここの屋敷も草原の端っこにあるから、一応ぼくも草原の民だよ。そこの町には遊牧民も来るしね」

 ウィルはそう答えると、ソフィアは風に弄ばれる銀髪を手で押さえて、とても嬉しそうにした。
 毎年、夏を過ぎたころに遊牧民たちは、屋敷のお膝元の町ロムナを訪れる。
 東から運んだ交易品を持ち寄り、この町で新たな交易品を買い付けるのだ。このロムナの町は遊牧民たちの交易品で発展してきたようなものであった。
 だが、そんな遊牧民たちも、ときに厄介な客となる。

「遊牧民が弓を手にとって荒らしに来るのが怖いんだよね」

 そうウィルがぼやいた。

「草原が荒れたときだな。目の前に広がる草原が日照りか野火で残らず枯れてしまったら、生き残るために彼らは弓を取って、自分よりも弱い者に襲いかかるしか道が残されていない。弱肉強食、自然の掟だな」

 ソフィアはごく当たり前のようにそう言ったのだ。
 だが、ウィルにとっては弱肉強食で片づけられては堪らない。
 しばらく王国を強勢を振っていたこともあり、もう何年もマルク領で遊牧民たちが狼藉を働くことはなかった。
 しかし、今後はどうなるか分からない。

「ねえ。ソフィアは銀狼族でしょ。ここにやって来る遊牧民ににらみはかせられない? うちの領地が荒らされないようにしたいのだけど」

 王国の力が弱まると、遊牧民は王国を侮り、草原に接したマルク領に攻撃を仕掛けてくるかもしれない。

「難しいな。滅ぼされた銀狼族の生き残りを名乗ったところで、そう簡単に従うとは思わない。銀狼族は草原のもともと遊牧民の主たる存在だったが、いまも昔も遊牧民は力のある者に従うだけなんだ」

 ソフィアはそっと溜息をついた。

「交渉することもできない?」
「できなくもないがかなり難しいぞ。彼らはみな優秀な商人でもあるから交渉上手だ。基本的に無教養で純朴なんだが、必要に応じて冷酷にもなれる。そうあらねば生き残れないからな。たとえば無防備に近い今の屋敷の内情をさらせば必ず付け込んでくるぞ」

 ウィルは、うっと喉をまらせた。

「遊牧民を従えるにはただ力を見せつける必要があるだろうな」

 ソフィアはそう答えだ。

「マルク領に攻めに来るくらいなら、マルク領で一緒に畑を耕すことはできないのかな」

 ウィルはそうぽつりと呟いた。
 ソフィアは銀色の眉をひそめかけて、すぐに和らげた。

「最近気がついたんだが、おまえは遊牧民みたいに性根が素直なんだよな。怒ろうと思ったけどなんか気が抜けた」

 銀髪の少女は、困ったように苦笑を浮かべた。

「一応説明してやるとな、遊牧民というのは能力主義者なんだ。西から東、お前が思っている以上に遊牧民は長い旅路を征く。それは家畜に草を食ませるためであり東西の交易路を繋ぐためでもある。ときには辛い道のりもある。どの旅路を選ぶかの判断一つ自分の率いている部族の未来が変わるんだ。大変だぞ」
「うん」

 ウィルはうなずいた。

「牧草地というのは、ここからだと幾らでも広がっているように見えるかもしれないが、実はかなり縄張り争いが厳しい。無能なら、またたくまに牧草地から追いやられてしまう。すると遊牧民が遊牧で生活できなくなる。悲惨だぞ。地べたに這いつくばって魚を捕ったり草の根を食ったりするような、我々にとって最低な暮らしを営むことになる」

 ソフィアはそう語りかける。

「でも、最初は農耕に不慣れでも、我慢をすればいずれ食べていけるようになるよ」

 ウィルがそう言うと、ソフィアは首を振った。

「これは自尊心の問題なんだ。草原の民の魂は草原にある。われわれが尊敬するのは草原を駆る指導者としての才覚であって、農耕民のような地を這う忍耐強さを認めることはできないんだ」

 ソフィアはそう言い切った。
 ウィルはソフィアの遊牧民的な考え方に共感する部分も大きいのだ。ウィルは家畜の背に乗って夏の草原を駆け抜ける喜びを知ってしまっている。
 あれは素晴らしい。あれを味わってしまったら、草を食むことなど家畜のやることだと思ってもおかしくない。

(最初のうちは、ソフィアは野菜にも手をつけてくれなかったんだよな……)

 屋敷でも、これは家畜が食うものだと言って頑として拒んだのだ。
 牧畜生活なら動物の血や内臓などで野菜の不足を補うのかもしれないが、お屋敷の生活で野菜を口にしないと食事が偏りすぎて身体を壊しかねない。
 ウィルに買われてきたんだと告げることで、ようやくこの銀髪の少女はくやしそうに野菜を口にしたのである。

「遊牧民に農耕生活を理解してもらうことが難しいということはよく分かったよ」

 ウィルは溜息をつく。
 農耕民と遊牧民の対立は長い長い歴史なのだ。
 旧約聖書に書かれているカインとアベルの兄弟の争いは、カインに象徴される農民と、アベルに象徴される遊牧民との対立でもある。
 そう考えて、ふと気がついた。

(あれ? 神から与えられたような超常の力といい、もしかすると銀狼族はアベルの直系なのかも……)

 ずっと銀狼族は、遊牧民の支配的な地位にあったらしい。しかも神巫の直系の血を維持することに強い拘りを持っているのだ。
   ‡
 ウィルたちは屋敷に戻った。
 執務室のドアを開けると、ちょうど、がさがさとギュンガスが机の上にレノスの地図を広げているところであった。

「半径六十メートルだったよ」

 ウィルの言葉にギュンガスは頷いた。

「お疲れ様です。最新の地図を取り寄せる必要がありますな。女中長、あ、いや。ウィリアム様。この地図のうえに書いてしまって大丈夫ですかな?」
「ん。ああ。好きにして。そんな高いものでもないよね?」
「はい。もう古いものですから、価値がありません」

 トリスがそう答えた。
 ギュンガスが手に赤鉛筆を握る。

「ええっとこの地図の縮尺はいくつかな。分かる範囲で港街レノスの探索ルートを決めてしまいましょう。内覧会に来てくれた船主を含めて、レノスには四つの大きな船主がいます。船の商売は危険と隣り合わせなので、勢力図もころころ入れ変わるのですが。中くらいの船主は二十くらいありますね。長期航海しているところも多く内覧会に参加してくれた船主はごく一部です。いま分かる範囲で怪しそうなところを網羅した一番効率の良い探索ルートを書き出してしまいます」

 ギュンガスはそう言って、レノスの街の地図の怪しそうなポイントに印をつけ、筆で一筆書きのように縦横無尽にルートを書き込みはじめた。

「最新の地図が手に入れば、もう一度引き直しますが、馬車で丸一日かければレノスの街を走りきってしまえるでしょう」

 ふうっとギュンガスが溜息をついた。

「ねえ、ソフィア。君の妹は予言の力を持っているんだよね。だったら僕らが捜索に来るのもバレてしまうんじゃないかな?」

 ウィルはそもそもの質問を発した。

「うっ。その可能性がないとはいえない。だが、妹の予言の力というのは、とても使い勝手が悪いものなんだ。わたしは空売りのことはよく分からないが、いま商人は小麦で忙しいんだろ? だったらそちらに注意ががれているかもしれない。いや、たぶん」

 ソフィアは確信がないのか、ややごにょごにょと語尾をすぼめた。

「危機を教えてくれるほど親切ではないんだね?」

 ウィルがそう訊ねる。
 するとソフィアはいままでの苦労を思い出したのか、瞬間的にげきこうした。

「そんなに予言が親切だったら! ……わたしは故郷の村を焼かれていない「ストップ!」

 ウィルの静止に、ソフィアは振り上げた拳をテーブルに振り下ろそうとする姿勢のまま固まっていた。

「この部屋の備品は高いからやめてよね……」

 しばらく金で苦労していたせいもあり、ウィルは本気で声に棘を含ませてそう呟いた。
 そんなことで数万ドラクマも飛んでしまうのは勘弁願いたいのだ。

「すまん」

 ソフィアとしては、しょぼんと項垂れるしかない。

「なるほど。向こうは予言の力を持っているけれど、こちらは心理戦を挑める余地があるということですね」

 ギュンガスがそう事態を要約した。

「商人は小麦相場だけでなく、王都や中流階層の動向にまで注意の目を向けていることは間違いないと思う。なにか大きなことをねらっている気がするんだ。すると足元はどうしても疎かになる。予言の神巫を取り戻すチャンスかもしれない」

 ウィルはそう言った。

「ご主人様、レノスの街には誰が向かいましょうか?」

 トリスが心配そうにそう訊ねてきた。

「行くのは、まずぼく」
「ああ……どうしても行ってしまわれるのですか……」

 トリスの視線が、初めてお遣いに行かせるような過保護な母親のものになっている。ウィルは、改めて目の前の女性が自分の乳母ナニーだったことを実感した。

「うん。ごめんね」
「ご主人様は男の子ですから」

 トリスは、どこかまぶしそうにウィルのほうを見つめてきた。

「トリスが行くのは無理だよね」
「ええ。残念ながら、これだけ人数が減った状態で屋敷を離れるわけにはいきません」

 トリスがそう首を振った。
 そもそも屋敷を維持する女中長が屋敷から離れるべきではないだろう。

「もしご主人様に万一のことがあれば、わたしを含め、屋敷の女中がどれほどかなしむか、そのことだけは心にお留めおきください」
「分かったよ。絶対に無事に帰ってくるからね」

 ウィルはトリスの目をしっかり見据えてそう言う。

(うっ……)

 トリスの目はうるんでいた。情欲で。
 ウィルは、妙に甘やかすような過剰な色気を発するトリスから、慌てて視線を切った。

「連れて行くのはソフィアとマイヤ」
「当然だとも!」

 そうソフィアが頷いた。マイヤはレベッカについているため、ここにはいない。

「ソフィアがいるから身は守れるよ。大人数で行ったらむしろ警戒されてしまうかもしれない。たぶんお忍びで行くほうが安全だと思う」

 ウィルはそう行った。

「むしろ屋敷の警備が心配かな。トリス、屋敷の警備をしっかり頼むね」
「お任せください」

 トリスが頷いた。
 屋敷については銃器を購入して守りを固めるつもりであった。

「あとは頭の働く人間を連れて行きたかったんだけど。レベッカはまだ動かせないだろうな」

 そんなウィルの言葉に、

「わたしが行きましょう」

 ギュンガスが手を挙げて志願してきた。
 ちょうどこの赤毛の従者ヴァレットを連れて行くべきか悩んでいたところであったのだ。

「へえ。珍しくやる気じゃない。でもレノスに貴族のお嬢さんはいないと思うよ?」

 ウィルがからかうようにそう言う。

「わたしも少しはけんしん的なところを見せませんとね。ウィリアム様、わたしがレムスできちんと活躍すれば没落貴族の令嬢を一人ください」

 唐突に、ギュンガスがそのようなこと言ってきた。

「え? レベッカはダメだよ!?」
「もちろんウィリアム様が思い入れのない令嬢で構いません。容姿は問いません。身分が高ければ高いほどありがたいです」
「もらってどうするの?」

 ウィルは、ギュンガスのほうにげっそりとした顔で訊ねた。
 だが、そこからギュンガスの言葉はウィルの予想を超えていた。

「生殺与奪権をわたしに頂きたいのです。そこから先はお聞きにならないほうがお耳汚しにならないかと思います」

 ぞくりとした。
 ギュンガスのこわはどこか闇に通じるような気配を感じさせた。

「あ、あのね。没落貴族の令嬢なんて、くださいって言われても、そうそう手に入るようなもんじゃないよ」
「レムスでの仕事が終わったころに王都の貴族たちは没落し、マルク家は勢力をさらに伸ばしていることでしょう。手に入ったときでよろしいのですよ」

 ギュンガスは確信を抱いているようであった。

「う、うーん、考えておく。今はそれでいいかな?」

 即答は避けたかった。ウィルはギュンガスから視線を遠ざけるように、そう答えた。
 近い将来の話ではないだろうと思ったのだ。

「ふふふ。ぜひウィリアム様には清濁あわむ度量を期待したいものです。それが英雄の条件ですよ」

 影で悲惨な目にう女に目を瞑れば、英雄になれると言わんばかりであった。そもそも英雄になりたいなどと思ったことはないのだが。
 ウィルは、なんとなく首を振った。

(あれ、なんか。よくないな……)

 この赤毛の従者を何度となく扱いづらいと感じてきたが、薄気味悪いとまで感じたのはこれが初めてである。

「とりあえず、レノスの街に向かうのは一週間後かな」

 ウィルがそう言うと、

「いますぐに行かないのか!?」

 すぐさまソフィアが抗議をした。

「すぐには詳細な街の地図なんて手に入らないよ。武器の調達も進めておかないといけないし。他にもいろいろ準備があるんだ」
「準備を万端にしてもらえませんと、わたしが身を挺してお止めすることになります」

 ウィルの言葉にトリスが口を挟んだ。

(身を挺してって、一体どうする気なんだろう……?)

 そう疑問に思ったとき、女中長はなまめかしい視線をひとつ投げかけてきた。
 ウィルは、この女中長の一方的な快楽で押し流されたときのことを思い出して、思わずぶるっと体を震わせた。

「地図か。地図は重要だな。仕方がない。分かった! これで妹を救出できるかもしれない。待ち遠しいぞ!」

 ソフィアがもどかしそうに頷いた。

(そして、それはソフィアがぼくのものになるときでもあるんだよね)

 ウィルも待ち遠しかった。
 そしてトリスは、さっきからじっとほおに手を当てて、ウィルの顔を見つめている。
 ウィルにとっては落ち着かないが身を案じてくれているのだろう。
 そんな三人の心のすきを埋めるように、

「ならば、わたしが一足先にレノスに入って情報収集を進めておきましょう。そうすればウィリアム様の身の危険も減りますから」

 するりとギュンガスがそう口にしたのであった。




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