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第三十四話「没落する女当主」

「では次に。レベッカ様のほうはどのような状況になっていますか?」

 ギュンガスが妙に爛々と目を輝かせて、次の議題を切り出した。

「……ん。わたし? 農場では収穫が終わったところね。もうすぐかなりの現金収入が得られるわ」

 レベッカは椅子の後ろに垂れ下がった金髪を左右に傾けながらそう答えた。
 ムーア家の女当主は客人の身分ではあるものの、よく仕事を手伝ってくれている。

「そちらのほうだけでなく、ムーア家の状況についてもお願いします」

 ギュンガスはそちらが本題だろうという感じで催促した。

「え? ああ。えーと、いま小麦価格は三五ドラクマ。あと六日以内に五ドラクマ下がればって感じね」

 レベッカは、いかにも聞かれたから答えたといった感じでそう付けくわえた。

「それでレベッカ様はどうなると予想しているんです?」

 ギュンガスの質問に、レベッカは金色の眉をひそめて、少し難しい顔をした。

「このまま順調に行けば……何事もなければだけど、おそらく土地の権利書を手放さなくて済むと思う」
「ちっ」
(いま本人を目の前にして舌打ちしやがったぞ……)

 ギュンガスだけでなく、正面に座っているトリスもほんの少し首の角度を変えていた。
 この二人の上級使用人がムーア家の破綻を望んでいることは明かである。

「レベッカ、良かったね!」

 ウィルはそう語りかける。
 ウィルとて、ムーア家が破綻してレベッカがマルク家の使用人となるほうが都合がよいのであるが、人を呪わば穴二つという感じがして、女が不幸になるのも望む気はなかった。

「う、うん……」

 だが、レベッカは相変わらず浮かない顔をしている。

「では順調に状況が改善したところで、いよいよ勢力拡大の起爆剤となる予言の神巫かんなぎ捜しと洒落込みますか!?」

 いきなりギュンガスがそう宣言したので、ウィルは慌てて左隣に座るソフィアの拳の上に手の平を重ねた。
 この銀髪の少女は予言能力を悪用させるために、ウィルのもとに身を寄せてくれているわけではない。
 堅く握りしめられた拳はぷるぷると震えており、ぎんろうぞくの少女がギュンガスの言葉にどれほど憤っているかが分かった。

(ひええ……)

 ウィルは、猛獣使いのような心境であった。
 この銀髪の少女はその気になれば、鉄格子でさえ曲げてしまえるのだから。

「以前言っていた、例の予言の神巫かんなぎの話かしら?」

 興味を示したのか、ようやくレベッカが口を挟んできた。

「うん、そうだよ」

 ウィルはうなずく。
 そのとき、コンコン、コンコン、コンコンとやや忙しいリズムでドアがノックされた。

「どうぞ」
「失礼します! ご主人様……!」

 子リスのように駆け込んできた双子姉妹がちらりとレベッカのほうをうかがい、

「あの小麦相場が……」

 そうリサが口にした。
 すると、

「小麦相場はどうなったの!?」

 がらがらと椅子が倒れかける勢いで立ち上がり、金髪の女がけんしわを寄せて怒鳴った。

「ひ、ひい! ……あ、あのっ」

 激突する氷河のような凄まじいレベッカのぎょうそうに、リサは生まれたてのペンギンのようによたよたとウィルにを求めてきた。

「教えてあげて」

 すると、リサの代わりにサリが口を開く。

「小麦相場はあれから急上昇をはじめて、いま六十八ドラクマ、六十八ドラクマです!」

 それを聞いた瞬間、レベッカの表情に罅が入る。女の氷は見るも無惨に崩壊し、椅子の上へと砕け散った。

「……くそったれ。このタイミングで買い上がりやがった! あんの性悪のどぐされめ!」

 そうあらねば勝てないのか、相場に関わる関係者は口汚い。
 いまやレベッカもその例外ではなく、喉の奥からドス黒い感情の籠もった吐息をらしていた。
 そして、どんどんどんと何度もテーブルを強くたたく。
 すると紅茶のカップがテーブルから飛び、じゅうたんの上に染みを作った。

「レベッカだけじゃないよ。国内の多くの貴族が小麦の空売りでやられている。まだ六日あるじゃないか」

 ウィルはそう声をかけたが、レベッカは自身の頭皮に爪を食い込ませ、口を大きく開けて叫ぶ。

「ダメなのよ! 六十八ドラクマまで上がれば追証金おいしょうきんを払わなければならない」
「あっ」
「ムーア領の土地の権利証だけではもう担保が足りないのよ!」

 ウィルは、もだえ苦しむ女を見守るしかできなかった。

「……本当に見事な相場の操縦だったのよ。芸術的だったわ。わたしね。こんな凄腕の相場師なら負けても仕方がないとまで思っていたのよ!? でも結局カンニングだったのね!? コンチキショウ!」

 金髪の女は、鼻筋に皺をよせて目を血走らせ、見知らぬ商人をののしっている。

「いままで半信半疑だったけど、もう信じるわ。わたしは予言を悪用した商人に、まんまとめこまれたわけね……」

 レベッカは血がにじむほど下唇を噛みしめ、綺麗な金髪が抜けてしまうのではないかと心配するくらい、わしゃわしゃと激しく髪を掻き乱した。
 鬼気迫るレベッカの形相に、「ひえええ」とリサがサリに抱きついている。
 ウィルは女の狂態をみっともないと思う気持ちはない。もし自分が同じ立場ならどういう行動に出ていたか分からない。
 やがて頭を抱えていたレベッカが顔を起こしたとき、ウィルはぎくっと肩を震わせた。
 女は、まるでハ虫類のように、ぬるっとウィルのほうに顔を近づけ、テーブルの上に両手を突いてきたのだ。
 だらりと垂れた滝のような金髪の奥から覗く、青い瞳がウィルを舐め上げる。
 ウィルは思わずソファーの背もたれに背中を押しつけた。女の目には幾分かの狂気が含まれていた。

「ねえ、ウィル。わたしを立ち直らせる魔法の言葉をかけてほしいの……。あと少し、あとほんの少し保てば小麦価格が下がるかもしれない。わたしそのためなら、なんだって……」

 レベッカがそう言った瞬間、ギュンガスが血相を変えて椅子から立ち上がった。

「わたしはこんな潰れかけの子爵家に融資をすることは断固として反対です! せっかく屋敷の財政が立ち直って面白くなってきたところなのですよ!」

 女に関しては数々の修羅場をくぐってきた男がそう訴えていた。本能的な危機を察知したのかもしれない。

「女中長からもなにか言ってあげてくださいよ」

 だが、トリスはギュンガスの言葉に反応せず、そっと長いまつを伏せて首を左右に振った。

「……わたしは主人様の判断を信じます」

 みなの視線が集まる中、ウィルは腕組みをして目を瞑る。
 決して判断を間違えてはならない局面であった。

(レベッカの言うとおり、もしかしたら下がるかもしれない。でも下がらないかもしれない)

 そして、ようやく目を見開くと、

「レベッカ。ぼくにも背負ったものがある。ぼくはムーア家に出資することができない」

 そうきっぱりと言ったのであった。
 この瞬間、ムーア子爵家の没落が決定したのである――
 女はすとんと絨毯の上にしりもちをついた。長い金髪がふわりと舞い落ちる。
 ウィルは、レベッカのほうを恐る恐る窺ったが、

(……あれ?)

 女の罵倒は飛んでこなかった。
 それどころか憑き物が取れたような顔をしている。

「……ありがとう。なんだか夢から醒めた気分だわ」

 ウィルに向かって儚くほほんでいた。
 そして、ゆっくりと体を起こして浅く椅子に座る。
 そっと背中を起こしたその姿は、冬の湖面に佇む白鳥のようにどこか寂しげであった。

「ごめんなさい。つい薄氷のうえに誘ってしまったわ……」

 レベッカは、まるで円舞曲ワルツでも踊りそびれたかのようにそう言ったのだ。
 その横で、ギュンガスはどすんと手足を放り出すように、椅子に倒れ込んでくっくと肩を揺らしていた。

「ふふ。ははは。……とまあ、レベッカさんはお気の毒でした。ということはソフィアの妹はどこにいるんでしょうね? 小麦売買に絡んでいる可能性が高いのでしょう?」

 赤髪の伊達男はいま、レベッカ様ではなくレベッカさんと呼んだ。
 隠すことのないえつを含ませてそう言ったのだ。これはレベッカに、「もうおまえは貴族ではない」と口にしたも同然である。

(この男も一種の病気だなあ……)

 ウィルはそう思うしかない。
 この赤毛の従者ヴァレットは貴族社会を好んでいるが、没落貴族をいたぶるのも大好物なようであった。
 ウィルがたしなめようと口を開きかけたとき、意外にもレベッカは気丈な瞳で赤毛の従者のほうをにらみつけていた。

「そんなことも分からないの。レノスよ。この国の小麦の大半は船で輸送されてレノスの街に集荷される。あの街の小麦倉庫を押さえておくだけで巨万の富が築けるわね」
「あ、あら? へえ……?」

 ギュンガスはアテが外れたという感じで片眉を上げた。

「ですが、港街の倉庫に小麦だけ置いて南でバカンスでも楽しんでいる可能性はありませんか?」

 ギュンガスがなおも小馬鹿にした視線をレベッカに向けて言った。
 すると、レベッカはギュンガスに向けて顎をあげ、下等なものでも見下ろすように青い瞳を細めた。

「商人がいま恐れているのは海外からの小麦の密輸ね。せっかく釣り上げた小麦価格が安くなってしまうもの。ならば港に拠点を構えて目を光らせているはずよ。国境からも流れてくるでしょうけど陸で運ぶのと海で運ぶのでは量が段違いだわ。あまり嵩張らない阿片と違って陸から穀物を密輸するのは大変ですもの」

 レベッカは没落して以降も貴族然とした態度であった。
 その高貴な精神を犯そうとするものに対し、女の頭脳は剃刀のように冴え渡る。

(そうだ。そうでないといけない。レベッカはぼくの使用人になる女なのだから……)

 ウィルは寄宿舎時代を思い出して口をほころばせた。

「……一理ある」

 ギュンガスは、やり込められた男子生徒のように、渋々そう頷いたのであった。
 そのとき銀髪の少女が不満そうに眉を寄せて、ウィルを睨んできた。

「以前、わたしは港街を調べたいと言ったぞ! なんであのときちゃんとわたしの話を聞いてくれなかったんだ!」

 そう言って歯噛みしたのだ。
 たしかにこの銀髪少女は以前、おそるおそるといった感じで、

『ウィル。今度、港の街を調べたいのだが――』

 そう申し出てきた覚えがある。
 その後すぐに屋敷の経営問題にぶつかり、あてずっぽで港の町だけ探索しても仕方がないと思い、沙汰止みになっていた。

「だって、そのときはそこまで分からなかったんだよ。ソフィアだって確信があったわけじゃないでしょ?」
「くっ。人を運ぶなら船を使うかもしれないと思っただけだった」

 ソフィアは、そうぶすっと不機嫌そうに言った。

「たしかに陸で運ぶよりも人目に触れにくいかもね。接触する人数が限られているから。でも、ぼくにも段取りというものがあってね。そこは理解してよ。待たせたね。手がかりも見つかったことだし、これからは本腰を入れられるよ」
「わ、分かった。期待しているからなッ!」

 ウィルの言葉に銀髪の眉の描くカーヴが幾分かやわらかくなったものの、なお少女は落ち着かなさそうに堅く唇を閉じた。

(大丈夫かな。ソフィアはかなり切羽詰まってる……)

 ウィルは心配そうに俯く銀髪の少女を見つめた。
 ウィルから見て、次第にソフィアの感情の揺れ幅が大きくなっているように思えるのだ。
 ふいに、ぐらっとレベッカの上体が前に崩れる。おでこをテーブルに叩きつけんばかりに身を投げ出す。

「レベッカ!」

 とっさにレベッカの隣のトリスとマイヤが、

「……と」「あぶねえっ」

 左右から女の肩を支え上げる。
 肩の間の金色の頭が長く尾を引いて、井戸の滑車のように、テーブルへの接触間際でぴたりと止まった。

「……あ、あら? ごめんなさい。なんか力が抜けてしまって」

 女の唇は酸欠を起こしたかのように紫色に染まっている。

「今日はもう部屋で休んでいなさい。レベッカの力が必要になったら頼らせてもらうから。顔色が悪い。無理もないけれど」

 ウィルの言葉に、レベッカは素直に頷いて、頭を押さえながらふらふらと立ち上がった。

「あ。うん……。分かった。頭が痛いわ。この半年ほど生理がずっと不順だったし」
「トリスに薬を調合してもらったほうがいいね」
「なら阿片チンキを混ぜてちょうだい。久しぶりにすっきりしたいの……」

 レベッカの言葉に、ウィルは反射的に眉を吊り上げ、

「……! ダメだ。レベッカの持ってる阿片チンキを全部取り上げて」

 そうぴしゃりと言い放った。
 この時代の万能薬と言えば阿片なのだ。そしてヤブ医者は阿片の売人と同義語である。阿片を混ぜれば薬は効いた気になる。そうして患者の身と心を蝕んで金を毟りとるのだ。

「はい。お薬はあとでお部屋にお持ちします。レベッカ様、申し訳ありませんがお荷物も調べさせてください」
「ちょ、ちょっと! 頭が鈍りそうだから阿片はやってないの! 信じてよ!」

 レベッカはそう抗議をする。

「レベッカ。これは信じる信じてもらわないとは別問題だ。この屋敷に阿片チンキは持ち込み不可だ。もう君はぼくの女使用人なんだからね」

 ウィルは強い口調でそう言い切ったのだ。

「あっ……そうか……そうね」

 すると金髪の元令嬢は虚を突かれたようにぽかんと口を開いた。

「身体を治したらぼくのために尽くしてもらうからね。君の人生はこれからも続く。ぼくが君に世界で一番やりがいのある仕事を与えてあげる」

 ウィルの言葉はいっそプロポーズのようであった。

「…………はっ。あ、うん。最初からそういう約束だったわね……。あれ? 変ね。わたしこの屋敷にきたときからそうなると覚悟してたのに。取り乱してごめんなさい」

 すっかり毒気が抜かれたような顔をしていた。

「また、わたしあなたに負けたのね。駄目な女だわ。全く……」

 そう言ってぺろっと舌を出したのだ。

「とにかく……わたしお言葉に甘えて部屋に下がるわ、ウィル、またね」

 そして、レベッカはちらっと女学生のように、ドアのすきからウィルの瞳の奥を覗き込んだ後、さきほど半狂乱になっていたことが嘘のように、ゆっくりとドアを閉めた。
 ばたんとドアが閉まった瞬間、ギュンガスがぴゅうっと口笛を吹き、何度もレベッカの去ったドアのほうとウィルの顔を交互に見比べていた。
 それから、少し首を振りながら、楽しそうに何度も手を撃ち鳴らす。
 想像していたのと趣向は違ったが、まるで料理の味は悪くはなかったと、料理人コックの腕を褒め称えるような態度である。

「良かったですね。これでウィリアム様に手なずけられた女がまたひとり増えたわけですな。元子爵当主がわたしの同僚ですか、こいつはいいっ!」

 ギュンガスの言葉に、ウィルはやれやれと首を大きく振った。
 そんなウィルを見て、

「お、おや……? まあ同じ貴族のお仲間ですし同窓ともなれば多少の手心も加えますよね。ははは。少し言い過ぎましたか」

 ギュンガスはそう言いつくろった。

「いいや、レベッカはいまやぼくの女使用人の一人にすぎない」

 ウィルはきっぱりとそう言った。

「そうですか。そうですか」

 ギュンガスの顔がにやける。

「でもギュンガス、この屋敷のなかでレベッカをはずかしめていいのは、ぼくだけなんだよ。そのことは覚えておいて」

 ぴしゃりと言い放つ。
 この赤毛の従者と、没落貴族を辱めるという趣味を共有するつもりはなかった。

「ぼくはレベッカのためにできる範囲でできる限りのことをしてあげた。だからこれからレベッカのことをどう扱おうとも、それはぼくの当然の権利だし良心に何の呵責も感じないんだ」

 ウィルはそういう自分であれるようレベッカをフェアに扱ってきたのだ。




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