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第三十一話「領地の開発計画」

 昼下がりに執務室で紅茶を飲んでくつろいでいると、こんこんとドアがノックされた。

「どうぞ」
「悪いけど開けてちょうだい」

 ドアの向こうから響いてきたのはレベッカの声であった。くばせしてマイヤに開けさせる。
 すると、胸もとの開いた白いワンピース姿のレベッカが書類の束を両脇に抱え、部屋に入ってきた。
 つかつかとした足取りでウィルのまえに来るなり、どさどさっと書類の山をテーブルの上に落とす。
 重かったのかレベッカは肩で呼吸をして大きめの胸もとを揺らしている。
 レベッカの胸のすぐ上の肌が汗でやわらかそうに湿っていた。
 かすかに土の気配がする。マルク領を回ってきたのかもしれない。
 金髪がふわっと揺れて女の匂いが漂った。対面のソファーに着席するなり、

「ウィル、農場の経営だけどあまりに無駄が多いわね」

 レベッカがそう言ってきたのだ。

「経理の専門家が来るまでどうしても手をつける気になれなかったんだ」

 ウィルは苦笑して、誤魔化すようにそう答えた。

「そう? 首席のあなたがいるのに? まあいいわ。まず、小作人の土地の割り振りだけれど区画整備をすればもっと合理的になるわね。で、これが案」

 レベッカはそう言いながら、ごそごそと二枚の図面を広げ、机の上に並べる。
 一枚目の図面は、まだら模様に、境界があいまいなまま耕地が点在して広がっている。
 マルク領の小作人も二代目・三代目と代を経るごとに縄張り意識が出来上がってしまい、周囲との連携なくいびつに耕地が拡充されてきた結果である。
 それが二枚目の図面になると、チェスボードのように綺麗に並べ変えられている。

(うわああ……。なんて思い切りの良い……)

 容赦の無い農地改革であった。

「どう?」

 レベッカの下唇はもぞもぞと揺れている。
 それが、「褒めて」と尻尾を振っているときのサインだということに最近気がついた。

「うーん、小作人は、せっかく肥えた土地を手放すことを嫌がるだろうね」

 ウィルは心配そうに呟いた。

「むむ。でもこのやりかただと今までよりも収穫が上がり、みんなが幸せになれるわ」
「それをレベッカ以外の人に分かってもらうのが難しいんだ、うーん」

 金髪の女性は飛びっ切り頭は良いのだが、ほんの少し地に足の届かないときがある。

「……ウィルはわたしのことを信じてくれないの?」

 そしてかなりの泣き虫である。レベッカはもう下唇をかみ始めていた。

「信じるよ。でも、たとえ合理的な説明をしても領民は受け入れられないと思うんだ。小麦の高値で彼らは気が立っている。いまは下手に彼らの反感を煽るようなことはしたくないんだ」
「くうう。難しいわね」

 ウィルの言葉にレベッカは両手で金髪の頭をわしゃわしゃと掻き回した。
 レベッカの金髪は跳ね、目の下にはクマができている。できれば、その努力にむくいてやりたいものだ。

「なんとか、うまく説得する方法はないかなあ」

 マルク家の領民は、ときどき領主に悪魔払いのようなことを依頼しにくることさえある。
 そういうときに、教会の司祭を連れて行って退治したフリをすることすらある。
 ウィルは、頑迷な領民を説得するために頭を捻りはじめた。

「なあ。ウィル」

 そこでソファーの後ろからマイヤがにょきっと顔をのぞかせた。

「オレ思ったんだけど、今回も司祭を使えばいいんじゃ」
「あ、そっか……」

 ウィルは、ぽんと手の平を打った。

「え? 司祭? 司祭をどうやって使うの?」

 レベッカはマイヤの言っている意味が全く分からないようであった。

「耕したこともない土地に種を蒔きたがらないものなんだよ。こっちのやりかたのほうが収穫が上がるなんて説得しても無駄。やつら地面にへばりついて生きているんだから」

 マイヤが『地面にへばりついている』と口にしたとき、部屋の隅に立っていたソフィアが銀色の眉をひそめ、首を振ったことにふと気がついた。

「やつら迷信深いから、司祭に、ここの土地は呪われているとか、ここにいたら不幸になるとか適当なことを吹き込ませれば、意外にあっさり場所を明け渡すと思うぜ」

 レベッカはマイヤの言葉にぽかんと口を開けた。

「なんて悪辣な。でも、効果的かも……」

 レベッカはぼそりとそう呟いた。
 しかもマルク領の教会は芝居じみた行動に慣れている。
 ウィルも小狡い方法だと思うが、結果オーライで良いと判断した。

「うん。教会にばらまく金さえ用立てられれば、協力してもらえると思う」

 やはり金。必要になるのは金であった。

「まったく思いつきもしなかった。あなた凄いわ。わたし、そういう方面で頭働かないのよね。これからも助言してくれない?」

 根の素直なレベッカは、マイヤのほうを向いてそう言った。

「え、へへ。良いってことよ……。ウィル、オレ、褒められちった」

 マイヤは目尻を下げながらそう照れていた。

「もしそれでうまく行ったら、草原を恵豊かな農場へと変えていく準備が整うわ」

 レベッカは楽しくてたまらないといった感じでほほんだ。
 だがそのとき、暗い顔をしながら扉のほうへと歩いて行く銀髪の少女がいた。

「……ケーネの仕事を手伝ってくる」
「あ、うん」

 ウィルは同意を与えた。
 ソフィアは重そうな足取りで歩き去ると、ばたんと扉が閉められた。

「ねえ。あの子、わたしが話をしているといつも席を外すのだけど、もしかすると嫌われてる? わたし、あの子になにかしたかしら?」

 レベッカがげんそうに首を捻った。

「ソフィアは遊牧民だから……。遊牧民は基本的に農耕が嫌いなんだよ。まあ考え方が合わないときもあるよ」
「そういうものなのかしら……」

 そういうものなのだ。
 荒涼とした大地に生きる遊牧民は、見渡す限り手つかずの草原にこそ大地の恵みを感じるものだ。
 彼らにとって大地とは家畜に草を食ませるか、馬にまたがって駆け抜ける場所であって、足をとめて土をいじる場所などではなかった。

「遊牧民にとっては草地が無くなるのは死活問題だからね」

 ウィルはソフィアの出て行った扉を見つめ、そっと嘆息した。
 遊牧民は毎年、どの経路で草原を進んでいくか決まっている。マルク領の北に広がる草原も遊牧民の巡回ルートになっているのだ。
 大地が掘り起こされ馬や羊に食わせる草がなければ、彼らは家畜を飢えて死なせてしまうだろう。
 耕地を踏破しようとすれば家畜が足の骨を折ってしまうこともある。
 遊牧民にとって大地を耕す者は邪魔者でしかない。
 ソフィアにとっては、失った故郷へと繋がる草原に農民の鍬が入るのだ。
 感傷的な気分にもなるだろう。

(だからって、ソフィアの心情を慮って開墾しないわけにはいかないんだよな……)

 ウィルは溜息をついた。

「ちょっと、オレ、ソフィアについてやるよ」
「うん。頼むよ。見ててあげて」

 マイヤが部屋を飛び出した。

「あっ。それはそうとレベッカ」

 ウィルは、二人の出て行った扉を心配そうにひとしきり見送った後、話題を変える。

「いま小麦価格は四五ドラクマまで下がっているよ。三十ドラクマまであと一息だね」

 先日、マルク家は小麦の空売りをかけた。
 もちろん父親の伯爵の同意は取り付けてある。
 伯爵は農場経営にはまるで関心がなかったが、小麦が高値で売れて予算が潤沢になることには喜んだようであった。
 すると大農場をもつチルガハン侯爵家と、サイアス公爵家がそれに続いたため、がくんと小麦の値段が下がることになった。
 だが、空売りの買い戻しが大量に入るため、いまは一進一退の状態が続いている。

「あとは戦争の心配さえなければ小麦価格はこのまま下がるかもしれない」

 だが、レベッカは金色の髪を振るだけだった。

「いえ、たぶんそうはならないわ」

 三十ドラクマまで小麦価格が下がれば、ムーア領の権利書を譲り渡さなくて済むようになるというのに、レベッカの顔は暗かった。

「たとえ上手く行っても、それに一度人の手に渡った屋敷に住み直すのは大変だわ。きっと天井画からなにから価値あるものは軒並み引っぺがされていることでしょう」
「……そうかもしれない」

 ウィルも嘆息した。

「ねえ、ウィル。もしムーア家が潰れなかったとしても今のまま働かせてほしい」
「え、それは願ってもないことだよっ! ありがとうレベッカ」

 ウイルは二つ返事で、レベッカの黒鉛でよごれた指先を握りしめたのだ。

「……あ、うん……」

 レベッカは頬を紅潮させ、なぜかそっぽを向いた。
 ウィルは考える。
 一度没落した貴族の威儀を整え直すのには莫大な金と労力が必要になる。
 客人としてマルク家に身を寄せるのは、将来再起するために、それほど悪い選択肢ではないように思えるのだ。

「でも、もうしばらくしたら、また迷惑をかけることが起きるかもしれない」
「え? 迷惑かけることって?」

 ウィルはそうたずねたが、レベッカはうーんと小首を捻るだけだった。

(ぼくが対処できることならいいんだけど……)

 口に出さないということは深刻な問題ではないのだろうが、どうにも断わりづらそうな予感がする。
 不意にレベッカがソファーからお尻を上げた。

「今日中に試算を済ませておきたいからもう行くわね。ええっと書類はこれで全てかしら……」

 中腰になった姿勢のまま、ぺらぺらと書類をめくっている。
 そうするとウィルの目の前に、白いワンピースの開いた胸の合わせ目が強調される姿勢となる。
 貴族の衣装は使用人と違って胸を強調するデザインのものが多い。
 夏なので健康的な女の汗の臭いがした。

(うわ、我慢できなくなりそう……)

 目の前の女性は、半月後にはマルク家の傘下の貴族となるか、家が破綻してウィルの使用人となるかが決まるのだ。
 ウィルとしてはどちらかに決まってから何らかのアプローチするつもりであった。


「ウィル、その書類、今日中に全て目を通しておいてほしいの」
「え?」

 ウィルは女の胸もとに注いでいた視線を、テーブルの上に落とした。
 そこには到底一人で処理できそうにない量の書類の山が並んでいた。
 才女が要領よく概要をまとめてくれているとは言え、一枚読むにもかなり時間がかかるだろう。
 以前、トリスがオーバーワークして処理していた農地の帳簿も混ざっている。

「この分量を? 全部?」
「そうよ。このくらいウィルなら簡単でしょ? サボってたらだんだん溜まっていくわよ」
「ひええ」

 ウィルは頭を抱えた。
 レベッカの仕事量は半端ない。
 小麦の収穫が終わって収入が入れば、即、動けるようにレベッカは段取りを整えている。

「わたしは詰めが甘いところがあるから、ウィルが目を通してくれたほうがきっと上手くいくわ」

 レベッカは、雨の上がった水たまりでも見るかのように、ウキウキとした子どもっぽい笑顔でそう言った。

(あの、人には得意不得意というものがあってね……)

 ウィルは心のなかで愚痴った。
 もともと杓子定規に物事を進めていくのが苦手で、レベッカやトリス、あるいはギュンガスほど自分が事務仕事には向いているとはとても思えなかった。
 だが、目の前の寄宿舎時代の同級生は、逐一ウィルと相談しながら進めていくことを望んでいる。
 そうすると、当然ウィルが決済しないといけない内容も増える。

(トリスやギュンガスならば、良きに計らえで済ましてくれるんだけど)

 だが、こうも考える。
 トリスはときにウィルの意のままにならないことがあるし、ギュンガスはギュンガスでどこか油断ならない。

「きっとぼくは、レベッカが想像しているよりもずっと出来が悪いから覚悟してよね」

 ウィルは見上げてそう言うと、レベッカは、はにかむように微笑んだ。
 有能な部下をもつと、それはそれで大変なのであった。




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