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第十七話「経営危機」

 気持ちの良い朝であった。窓辺からは日が差し込み、小鳥の鳴く声が聞こえる。
 だが、ウィルが目が覚めたとき傍らに人肌はなかった。

(一緒に起きてくれてもいいのに……)

 それも仕方がないと思う。
 女中メイドの朝は忙しい。
 主人のために湯も沸かさないといけない。料理も作らないといけない。主人や客人が使うまえに、屋敷の表側の清掃を済ませておかねばならない。
 ウィルは目を擦りながら欠伸をする。
 窓の外をのぞくと、牛から乳をしぼり終えた酪農デイリー女中メイドが重い鉄のミルク缶を運んでいるところだった。

「よう、起きたか。おはよう」

 ドアの向こうから、赤毛のマイヤが、白いエプロンの上によたよたとたらいを抱え持ちながら、そう声をかけてきた。

「うん、おはよう。あれ? あ、そうかぼくの側付きウェイティング女中メイドになるんだったね……」
「さっそく今日から身の回りの世話をしてやるからな。トリスのやつには連絡済みだぜ」
「行動が早い……」

 ウィルはあきれるように呟いた。
 これからトリスとも相談しないといけないと思っていたら、もう話がついているようだ。
 押しかけ女房に近いかもしれない。
 赤毛の少女が歩み寄ってくるたびに腕の中の盥から、ちゃぷちゃぷと水音がする。
 盥自体もそれなりに重いのであろうが、マイヤは黒い靴下で包まれた脚をややガニ股のように広げて歩いている。
 少女は昨晩、むすめではなくなったのだ。

「ねえ。調理場のほうは大丈夫なの?」

 ふとそれが気になった。
 マイヤは優秀な調理キッチン女中メイドだ。四人いる調理女中が一人減るのだ。負担は大きいだろう。

「あー。ははは…………たぶん」

 幼なじみは気まずそうに顔を横を向いて、ぼそりと呟いた。

(さては、なんとかなると思ってないな……あとで調理場に顔を出しとおこう)

 ベッドに腰をかけるウィルは苦笑を浮かべた。
 マイヤは少年の足下にどすんと重そうな盥を置く。軽く湯が跳ねた。
 正直、朝はそれほど強いほうではない。贅沢ではあるが湯があるととても助かる。
 ソフィアも一応はウィルの側付き女中なのだが、どちらかというと世話をされる側で、甲斐甲斐しくウィルの身の回りの世話をさせるには向いていない気がした。

「重かったらソフィアに運ばせていいからね?」
「たしかああ見えて、びっくりするくらい力あるんだよな? ん。分かった」

 マイヤは鼻唄を歌いながら、少年の足下に跪いた。
 この体勢だと、どうしても昨日こうしてくわえさせたことを思い出してしまう。
 少女は、目の前の寝間着のズボンのすそを膝のあたりまで捲りあげる。

「その、身体は大丈夫?」

 ウィルがそうたずねると、

「……実はまだ結構痛い」

 マイヤは照れた表情を浮かべて、少年の足をばんばんとたたいてきた。
 そして、いまさらのようにおやっと顔を上げ、すぐ目の前の布の盛り上がりに視線を止めた。
 さきほどから少年のかんでは、ぼっの収まらない男性器が布を押し上げているのだ。

「なあウィル。抜いたほうがいいか?」
「い、いや……。いいよ」

 思ったよりも事務的に言われたので、少年は苦笑を浮かべ、顔を左右に振った。

あさちは男の生理現象なんだろ? ごく当たり前のことだと聞いたぞ。収まらないときはオレに抜かせるよう命令しろよな?」
「……うん」

 少年は素直にうなずく。
 ウィルが湯の入った盥に足を浸し、

(はあ。温かい……。ん?)

 顎を上げたとき、入り口の左右から、二つの小さな頭がひょっこりと顔を覗かせ、じいっとこちらを見つめていることに気がついた。

「昨晩はお楽しみでしたね」
「マイヤさんはお手つき済みと――メモメモ」

 片方が手帳を取り出し、びっと線を引く動きをした。
 蒸留室スティルルーム女中メイドのリサ・サリである。相変わらず黒い前髪でもとを隠している。

「なんだこいつら……」

 マイヤが胡散臭そうな視線を向けた。

「わたしたちは」
「今日から」

 リサ・サリが社交ダンスのように、両手を左右に取り合い、部屋のなかに足を一歩踏み出すと、

「「ご主人さま付きなのでーす」」

 トリスの仕込みなのか、優雅に横に手を伸ばしステップを決めてみせた。

「ご主人さま? ウィル付きか? オレと同じだな」

 赤毛の少女は立ち上がり、少し値踏みするように双子姉妹を見つめた。
 背はマイヤのほうが少し高いだろうか。

「「はい。よろしくです」」

 こうして背の低い小動物的な女中が三人並ぶとなんだか愉快な感じがする。

「といっても」

 双子のどちらかがそういい、

「役職は蒸留室女中のまま」
「ですし……」

 輪舞のようにくるくると回りはじめた。

「トリスさまの仕事も」
「こなさないといけないので」
「倍忙しいのです……」

 回転速度があがった。

「「目が回るうぅ――」」

 双子は本当に目を回したのか、輪が弾け、ふらふらとベッドに座るウィルの左右にぽんと転がった。

「おまえら、そういう性格だったっけ?」

 マイヤの質問にはウィルも同感である。

「これまではトリスさまに」
「情報収集の妨げになるから」
「あまり親しく接しないように」
「厳しく釘をさされていたのです」

 左右から山びこのように互い違いに声が響き、こちらまで目を回しそうになる。
 リサ・サリは、再びウィルの左右の耳に張りつくと、

「ご報告します。本日、リッタさんとトリスさまが口論なさっていました。結果はトリスさまの圧勝です」
「このあいだ、買いすぎてしまった人参を腐らせてしまったので経費の削減を理由に、マイヤさんを取り上げました」
(へえ……)

 それでマイヤがここに来ることができたというわけだ。
 料理人コックは屋敷の主人の直属で、執事バトラーにも女中長ハウスキーパーにも属さず、言ってみれば屋敷の使用人の第三の勢力にあたる。
 リッタは縄張りを主張するようなタイプではないが、調理女中を取り上げるに当たって大義名分のようなものが必要であった。

「今ごろリッタさんは、えぐえぐと泣きながら料理を作っていますよ」
「今朝の朝食はちょっとしょっぱいかもしれませんね」

 この双子の報告には野次馬根性が混ざっている気がする。
 前を見ると、マイヤが赤毛の眉を寄せて、困ったように頭をいていた。

「なんかおまえら自由だなあ。オレもひとのこと言えないけどさ」

 ウィルの耳元に小さな唇を寄せる双子姉妹はとても可愛かわいらしい。
 屋敷の皿洗いスカラリー女中メイドほど年少ではなく、手を出しても心が痛まない程度には成熟している。
 報告を聞いているうちに、なんだかちょっかいをかけたくなった。
 小さな尻を後ろからで上げると、

「「ひっ」」

 リサ・サリはれいにシンクロするように背をらした。

「ご主人さま、エッチです」
「……我慢できなくなります」

 エサをもらっている途中に脅かされた小動物のように、二人は顔を赤くしてぱたぱたと去っていった。

(我慢できなくなる? そしたらどうするんだろう……?)

 ウィルは、昨日、この双子姉妹が見せてくれたれそぼる下腹部のつぼみを思い出していたのだ。
  
   ‡

 ウィルは屋敷で一番広い空間――使用人ホールへと向かう。
 一人だと寂しいので、客人でも来ていない限りは、使用人たちと一緒に食事を取るようにしているのだ。
 途中、廊下でフローラとすれ違った。
 あからさまに不自然に、ちらちらとこちらを横目で見ながら、顔を真っ赤にしてしゃくをしてきた。
 ぽんとウィルが肩を叩くと、フローラは、はにかんだ。
 悪戯いたずらをする時間はない。
 ウィルが行かないと使用人たちの食事がはじまられないのだ。
 使用人ホールのテーブルにつくと、隣にソフィアとマイヤが座っていた。
 トリスは今朝はなにやら忙しいらしい。
 目の前には、――焼きたてのパンに、絞りたてのミルク、目玉焼きに、ポテトサラダ。
 ウィルは食事を見て、少し首をかしげた。
 メインの皿が足りない――
 いつもはこれに工夫を凝らした皿が一品加わっているはずだが。
 きっと朝準備をする時間が足りなかったのだろう。
 ふと食事をするテーブルが影になったかと思えば、

「ウ、ウィル坊ちゃま。すみません。わたしに罰をお与えください――」

 瞳に涙をめた短い金髪のリッタがテーブルのまえにいて、ぎょっとした。
 リッタの身体は小柄なのだが、胸の膨らみは大きい。
 その胸の前には両手が合わせられており、親指の先でいじいじと爪をいじっていた。

「ほら、リッタって、腕はいいんだけど、メンタルが弱いから――」

 そうマイヤがウィルの耳元でささやいた。
 ウィルが一皿残すと、どうしてこの皿がいけなかったのであろうと、半日そのことでぐちぐち悩むと、さきほどマイヤが言っていた。

(――な、なんか。めんどくさい……)

 しかし、ウィルはできるだけ誠実そうな顔を取りつくろう。
 マイヤがいなくなったせいで料理が遅れたとか、そういうことを一切口にしないだけ好感が持てる。

「リッタ。いつもしい料理を作ってくれてありがとう。今日はそんなにお腹がいてないから大丈夫だよ。昼もまた美味しいご飯を頼むよ」

 そういうと、ソバカス混じりの顔がぱあっと明るくなり、「ウィル坊ちゃま、わたし次は頑張ります」と弾むような足取りで去って行った。

「ああいうの、めんどくせえだろ。良い上司なんだけど、めんどくせえんだな。まあ、今朝、人手が足りないのはオレがいなくなったせいだろうけどよ」

 赤毛の短髪を振ってマイヤがそんなことをぼやいた。
 もっとも割りを食ったのが、そのほかの使用人たちであろう。
 ウィルの食事ですら一品足りないのだ。
 使用人たちの席のまえには、硬いパンに、オートミールのようなものが並んでいる。食糧の滞った軍隊のような有様になっていた。
 ウィルはそれを見てとても嫌な予感を感じていた。
   
   ‡

 朝食後、ウィルは調理室に向かった。
 なかを覗くと、水の流れる音がして、二人の食器洗いスカラリー女中メイドが、踏み台のうえに足を載せて、せっせと食後の皿を片付けていた。
 二人ともウィルの胸ほどのたけしかない。いま調理場には、この二人の幼女しかいないようだ。
 こんこんと入り口の開いた扉を叩くと、

「あ、ウィルさま!」

 なかでも一番年若い、舌っ足らずの金髪を後ろに縛った幼女が、踏み台からジャンプするやいなや、ウィルに突進してきた。

「うぷっ」

 全力でぶつかってこられたので結構痛い。
 なんとかお腹で受け止めた。

「こら! ニーナ。みっともないことしない」
「いたた。ごめんなさい」

 ニーナは金髪の広いおでこを押さえている。
 そうやって後ろでお姉さんぶっている長い黒髪のルノアも、実は、二年前同じことをしていた。

「リッタいる?」
「リッタ? たしか業者とお話をしているはずです」

 ルノアは、すましてそう答える。
 業者というのは、屋敷の食糧を納品する出入りの商人のことである。

「ウィルさま。また来てねー」
「お待ちしております。えへへ」

 ニーナとルノアにウィルは手を振って応え、調理室を後にした。

(なんで、リッタは業者と話なんかしているんだろう……?)

 ウィルは首を傾げた。

「「ご報告します」」
「うおっ!」
「「きゃあ」」

 完全に気を抜いていたので、左右から響くリサ・サリの声にとてもびっくりした。
 リサ・サリのほうも、ウィルに大声をあげられて驚いている。

「調理女中の子が屋敷の裏に呼び出され、洗濯ランドリー女中メイドの人たちに締め上げられて、ぼろぼろ泣いています!」
「ええ?!」
(どうりで姿が見えないと思ったら……そんなことになっているのか)

 ウィルは頭を抱えた。

「泣かしたのはジュディスさん、泣かされたのはジューチカさんです」

 ウィルは、黒髪を後ろで縛った調理女中の生真面目な顔を思い出す。

「どうして?」
まかない飯の質が低下していることに、いたく腹を立てたようです」
(ああ。ジュディスは仕事に厳しいから)

 よその職場であっても職務怠慢と判断したのだろう。
 使用人の賄い飯を提供するのは調理女中の仕事である。
 おそらくは席を外していたリッタの代わりに、ジューチカが矢面に立たされているのであろう。

「たしかに以前よりご飯は美味しくなくなっています」
「ご主人さまが、マイヤさんを引き抜くから……」

 リサ・サリまで思わずぽつりと口にした。
 飯の不満とは恐ろしいものだ。どう処理しようかとウィルが頭を悩ませたところに、

「ご主人様――大事なお話があります」

 トリスがやってきた。
 聞いたことないくらい硬い声だったので、びっくりした。ウィル以上に、リサ・サリがぴんと背筋を伸ばしている。

「あなたたちはもういいわ。監視を続けなさい」
「は、はい」「はい!」

 リサ・サリがすっと左右別々の方向に去って行く。
 その二人の背後を女中長はじっと見つめていた。

「あの子たち、少し調子に乗りはじめていますね。ご主人さまがってはっきり上下関係をお示しにならないものですから――」

 トリスはため息をつくようにそう口にしたのだ。

「大事な話って洗濯場と調理場のめごとについてかな?」
「それよりもずっと重要度の高いお話です。ここではなんですので、あちらのお部屋に」

 促されるまま空き部屋へと入った。
 女中長は重い木の扉を閉める。ここならば誰にも聞かれる心配はないだろう。
 部屋の真ん中で、女中長と向かい合う。

「さきほど旦那様から、このお屋敷の運営費を減額するよう指示がきました」

 寝耳に水である。トリスの言葉はさすがに予想もしていなかった。

「え? ぼく先日奴隷市場で、ギュンガスとソフィアを買ったばかりだよ?」

 二人の奴隷を買うのに三五万ドラクマもはたいたのだ。
 ざっと平民三十五人分の年収相当である。

「ええ。旦那様は中央の政変で急なお金がお入り用になったのかと……。わたしも見通しが甘うございました。このままいくと、女中を解雇せねばなりません」

 トリスはそう言ってけんしわをよせた。
 女中を解雇――
 その言葉にウィルも衝撃を受けた。
 マルク領の屋敷に女の使用人が多い理由の一つは、男に比べて女の使用人が安いからである。
 その女の使用人ですら数を減らさねばならないのだから、よほどの危機に見舞われているのであろう。
 もしかすると今朝の食事が一品少なかったのも、人手が足りないだけでなく、そういう事情があったのかもしれない。

「減額になった金額は二百万ドラクマ――年間経費が三分の一カットです。大変に厳しい予算カットです。王都にいる執事と負担金額の分担について話し合いを続けておりますが、おそらく女中を三分の一から場合によっては半分まで減らす必要が出てきそうです」

 それも場合によっては半分も――
 たちまち職を失って途方に暮れる女中たちの姿が頭に浮かんだ。

「……ギュンガスを売り飛ばせないかな――」

 ウィルの口から、思わずそんな言葉が出た。
 三十四万ドラクマで買ってきたのだ。元は取れないかもしれないが、それなりの金額で売れそうな気がする。
 ウィルのギュンガスに対する扱いはかなりぞんざいであった。

「男の使用人の解雇については執事と掛け合わないといけません」
「あっ……そうか」

 マルク家の人事担当は、男と女で、執事と女中長に分かれている。
 一応、ギュンガスはウィルの直属で、ウィルに雇われている形式になっているが、事実上判断するのは伯爵の意向をはかる執事である。トリスでは権限が及ばないのだ。

「それに、あの男はソフィアの妹の捜索に必要になるでしょう」

 ウィルはううんと首をひねった。
 くやしいが、あの男が有能であることは今のところ疑いようがないだろう。

「年輩の女中から整理の対象としてリストアップしています。年をとっている分、給料もあがっていますから。年若い女中を解雇するのは、できるだけやりたくありません」

 年輩の腕のいい女中なら、多少条件は悪くなるかもしれないが、問題を起こしたわけでないことをきちんと説明して、推薦状さえ持たせてやれば、次の勤め口には困らないだろう。
 だが、特に年少の職業能力の未熟な食器洗いスカラリー女中メイドなどは、たちまち路頭に迷ってしまう。
 この年端も行かない少女たちには身よりがいない。立場的には昔のマイヤに近いかもしれない。
 親を疫病で亡くした二人は、将来、美人になることを見込まれてトリスに拾われたのだ。ウィルはそう確信している。
 伯爵家の女中長は、慈善事業で女中を雇うほど甘い性格をしていないが、屋敷に連れてきた責任は感じているようであった。

「すみません。仕事の続きがありますので、ひとまず、これで失礼します」

 トリスは頭を下げて退出する。
 さすがの女中長も、顔から疲労の色が透けてみえた。

   ‡

 昼、二階にある執務室に、側付き女中のソフィアと従者ヴァレットのギュンガスを呼んだ。
 それどころではないのだが約束である。ソフィアの妹の捜索も同時に進めないわけにはいかない。
 トリスは忙しいはずだが背後に控えてくれていた。
 煤汚れた姿から、銀色の髪をき、女中服に着替えたソフィアを見て、ギュンガスはぴゅうっと口笛を吹いた。

「ソフィアの双子の妹の名前はマリエルだったね」

 ウィルが確認すると、ソフィアはこくりと頷いた。

「そっくりなんだよね?」

 再びソフィアは頷く。
 改めて、ソフィアと同じ姿をした少女がもう一人いるというのが、不思議な感じがした。
 目の前の銀髪の少女の腹の上に昨晩射精をしたのだ。

「そもそも本当に生きているのですかね?」

 疑問の声を発したギュンガスを、ソフィアはきっとにらむ。

「わたしには生きていることが分かる」
「……そう断言する根拠があるんだね」

 ウィルがくと、ソフィアは頷いた。

「銀狼族の神巫かんなぎは、少しくらい離れていても意思を伝達できる」
「……意思を伝達って念話テレパシーのようなもの?」

 念話が使えると吹聴している高位の司祭もいるが、ウィルは眉唾ものだと見なしていた。

「そう思ってもらって問題ない。わたしはであり、双子の姉でもあるので、特に神巫との繋がりが深いのか、だからなんとなく妹が生きていることが分かるんだ」

 ウィルは少女の折れそうなほど細い腕を見ながら、

(すごい。もうなんでもありだな――)

 呆れるやら感嘆するやら、そんな表情を浮かべていた。

「なんとなく生きてる、ね――ウィリアム様、こんな与太話を信じるんですかい?」

 ギュンガスは、ソフィアの言葉を鼻でわらってみせた。
 まあ、無理もないだろう。
 奴隷市場で初めて会ったとき、ウィルもそう思ったのだから。
 ソフィアが「やっていいか」とくばせしてきたので、ウィルは頷いた。
 視線一つでここまで意思の疎通ができるのは、昨晩肌を合わせているせいかもしれない。
 といっても、具体的にソフィアが何をするつもりなのかは分からないが――
 ソフィアはおもむろにギュンガスが座っているソファーの後ろに腰をかがめ、四本あるうちのソファーの足の一本を掴むと、「ん?」とげんそうに眉をひそめるギュンガスを、

「い、いい――!?」

 片手だけでソファーごと持ち上げて見せた。
 足の一本だけでギュンガスの重さを支えているため、ソファーの木のフレームがいやな軋み音を立てている。
 ギュンガスは円蓋に描かれた天井画にぶつかりそうになって腰を低くしていた。
 たしか父親が描かせた有名な画家の手によるものである。

「うお、神が目の前にあらします!」
「その天井画……傷つけるとギュンガスの首が何人分か飛ぶよ!」
「――ひええ。分かった。分かりました! 降参です。下ろしてください!」

 ギュンガスは両手を挙げながらそう叫ぶと、ソフィアは、ゆっくりとソファーを下ろした。
 少女の細い手首だけで持ち上げているのを知って、ギュンガスはさらにぎょっと目を見開いた。
 どんな力持ちでも、そんな持ちかたで大人一人の乗ったソファーを持ち上げることはできない。

「――やれやれ頭の固い男だ」

 ソフィアは呆れるように呟いた。

「馬鹿みたいに力の強い女だとは思っていたが、まさか、ここまでとは――」
「ややこしくなるから黙ってたけれど、結局、ギュンガスのくれた鉄格子の鍵は使わなかったんだ。ソフィアが自分でこじあけた――」
「えっ。あの猛獣用の鉄格子を?」

 ウィルはこくりと頷いた。
 カーテンでも開くように、鉄格子をゆがめる少女――あれは衝撃だった。

「わたしはそんな危険な猛獣を飼っていたのか――」
「おまえに飼われていたつもりなどない! だいたい、あんな牢屋いつでも逃げられたんだ」
「それなら一千万ドラクマでも安いな……。言ってくれれば、もっと良い条件で。ん……待ってください。ということは、なんですか。本当に予言の力が実在すると」
「ぼくも直接この腕力を見せられるまでは、予言のほうも信じなかった。ソフィアがぼくを待っていたのも予言の力によるものらしい」

 だんだんとギュンガスの鼻息が荒くなってきた。

「ふうん……なるほど。予言の力ですか。そいつは面白い。面白くなってきたァ! もし予言が実在するならば、それを利用してマルク家の勢力を拡大することもできそうですな。王家にとって代わることすら不可能でないかもしれません」

 そして赤毛の男は俯いて、なにやら考えはじめる。
 きっと良からぬことを次から次へと頭のなかに思い描いているのだろう。
 そういえば――とウィルは思い出す。
 ソフィアは『神の力を私利私欲のために使ってはならない』と言っていた。
 案の定、横に立つソフィアの姿は口を開こうか、掴みかかろうか迷っているようだった。
 ウィルが咄嗟に、腰まで銀髪の流れ落ちる――その下の尻を撫でると、ぞぞぞっとソフィアは背を震わせた。
 毛を逆立てていた猫を後ろから脅かしたかのように、ソフィアは混乱の表情を浮かべる。

(ギュンガスは欲得づくで使うしかないよ……)

 ウィルは、そう、ぼそりと少女の耳元で囁くと、少女はしばし固まったあと、気勢ががれたかのように頷いた。
 ギュンガスは、やる気が出てきたのか、さきほどまでが嘘のように、てきぱきと順を追って情報の整理をはじめた。

「――まず、マリエルを攫った商人について詳しく教えてください」
「自分の目で見たわけではないのだが、妹を攫ったのはドブレと名乗る従軍の商人と聞いた。身体的特徴としては中肉中背。立派な黒いカイゼル髭の片目。眼帯をつけているそうだ」

 ソフィアがそう言うと、ギュンガスは「ドブレ。まず、――偽名ですね」と断じた。

「軍隊に従軍するような商人で、わたしが知らない名前があるはずがない。奴隷の仕入れルートは奴隷商人の生命線ですから」

 さすが蛇の道は蛇というべきか――

「商人の外見的特徴は参考になるだろうか」

 ウィルがそう問うと、

「難しいですね。偽名を使っていたということは、人から知られたくないということですよ。髭はってしまえばいいし眼帯をつけていたからといって、片目とは限らない。変装の可能性がある」

 と答えた。
 ここでウィルは考えた。
 予言の言葉のとおりに進むとすれば、ソフィアがウィルのもとに身を寄せたということは、いずれ妹のマリエルを見つけるための手がかりが見つかるはずなのだ。
 知恵を絞って当たりをつけるしかないだろう。

「世の中の変化から調べるしかないね。未来が分かるということは、マリエルを手にした勢力は急拡大すると思う」

 ウィルがそう言うと、

「ふむ。ならば急激に成長した中流階層の成り金を片っ端から調査しましょう」

 とギュンガスはそう答えた。
 ひとことで中流階層と言ってもピンキリである。たとえば近年の急激な工業化の波に乗った中流階層の上層の新興成り金ともなると、その財力は上流階層以上となる。マルク伯爵家を凌ぐ莫大な収入を得ていることさえ珍しくはない。

「どうやって?」

 ウィルは薄々感づいて、嫌そうな顔をしながら手段を問うた。

「ここに格好の餌があるではないですか」
「餌――?」

 嫌な雲行きになってきたと思った。

「ご存じのとおり、金を手に入れた中流階層が次に求めるものは成功者としての名誉であり、上流階層の仲間入りを果たすことです。彼らが喉から手が出るほど欲っするものは爵位と貴族家の伝統です。彼らは貴族の生活様式ライフスタイルを何から何まで真似ようとしているのですよ。縁談を餌に誘い出しましょう」

 ギュンガスはウィルの知っていることをくどくどと説明した。
 特に縁談というくだりに、ウィルは本格的に顔をしかめる。

「蟻の巣に砂糖を投げ込むのは賛同しかねます」

 そこで、いままで壁の花のように気配を消していたトリスが口を挟んできた。
 トリスはトリスで、いま考えることがいっぱいあるのだろう。

「こちらから縁談という名目で呼び出すと、万が一、力のある大金持ちが食いついたら、針を外すのが一苦労ですよ。先方はどれだけ足蹴にされようが、こちらの差し出した手を放しませんから」

 トリスの言葉にウィルはこくこくと頷く。
 相手のめんを傷つけずに縁談を断わるのはとても面倒なのだ。当方から誘いをかけたのなら、なんらかの埋め合わせが必要になるだろう。

「ですが、そうでもしないと忙しい新興成り金たちを呼び出すのは難しいですよ」
「彼らの興味をひく催しをすればよいのです。内覧会オープンハウスを開きましょう。彼らは貴族を真似たくて仕方がないのですから、真似させてやればよいのです。幸いマルク家の使用人は質が良いことで知られています。彼らはマルク家の女中を欲しがるでしょう。これぞと目をつけた中流階層には女中を譲り渡してもよいのではありませんか」

 この時代に、明確な中流階層の定義というものがある。
 ――それは最低一人以上の女中を雇っていることだ。
 そのため、薄給の教師や王国の公務員ですら、生活を切り詰めてまで、孤児院から女中を一人雇い入れるくらいなのである。

「女中たちの近況がどうなっているか連絡を保ちましょう。新しいお屋敷でちゃんと幸せに働いているか気になりますもの。もちろんここまで手厚く手助けするのですから幾ばくかの手数料はいただきます」

 トリスはふふっと笑う。
 それがトリスの金策であった。

「なあ。ウィル。一体何の話をしているんだ?」

 ソフィアが不思議そうにそう問いかけた。

「いまぼくの外堀が着々と埋められているところなんだ。近日、屋敷にお客さんが大挙して押し寄せるらしい。ぼくはパーティーなんか嫌いだっていうのに」

 伯爵家の子息ともなると、ときどきやりたくないこともやらねばならない。
 マルク家にとってメリットがあって、それによって屋敷が円滑に回るなら、ウィルに断わるという選択肢はないのであった。

「ご主人さまに内覧会のホスト役をお願いすることはどうしても不可欠ですが、まずその前に――」

 トリスの言葉にウィルはドキリとした。

「緩みかけた屋敷の女たちの心を主人の元へ引き戻さねばなりません。屋敷の女中が心の底から主人を慕い、主人に忠誠を尽くすことで、中流階層の羨む貴族家の屋敷というものが成立するのです。言って聞かないならば身体で分からせるしかありません。まずはご主人さま、屋敷の女中たちを意のままに動くようおしつけくださいませ」


◇ 屋敷の女性一覧 ◇
女中長   1人 (トリス◎)
蒸留室女中 2人 (リサ△・サリ△)
洗濯女中  6人 (第一:ジュディス)
         (第二:イグチナ・ブリタニー△・シャーミア)
         (第三:アーニー・レミア)
料理人   1人 (リッタ)
調理女中  3人 (ジューチカ)
皿洗い女中 2人 (ニーナ・ルノア)
酪農女中  3人
客間女中  1人 (フローラ△)
家政女中 12人
雑役女中  8人
側付き女中 2人 (ソフィア△・マイヤ◎)
    計41人
お手つき  2人 (済◎、途中△)




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