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第十三話「犬と狼」

 午後も過ぎ、夕方にさしかかるころ、ウィルが階下の世界ビロウステアーズの一番広い空間――もっぱら食堂として使われている使用人ホールを訪れると、奥の漆喰塗りの白壁の角、木製の長テーブルの端にぽつんと銀髪の少女が座っていた。
 黒い女中服のお仕着せを着て、ぴんと背筋を伸ばしたソフィアがなにかを口にしている。

「あ、ようやく起きたね。疲れはとれた?」

 ウィルは食堂の入り口からそう声をかけた。

「あんな快適なベッドで眠ったのは生まれて初めてだ。おかげですっかり寝過ごしてしまった」

 檻から解放されたソフィアは熟睡していたようで、こちらを振り向くと、寝癖で銀色の髪が跳ねているのが見えた。 
 ソフィアはすぐに視線を手元に戻す。
 木のテーブルの上には、赤いシチューが入った白いお椀が置かれ、その横の白いレースのナプキンの上には十枚くらいの薄切りの食パンらしきものが積まれていた。
 よほど腹が減っていたのか、手に掴んでいた白いロール状の塊を、二、三口でぺろりと口のなかに放り込む。

「すごい食欲だね」

 ウィルは、掃除の行き届いた、きいきい鳴る食堂の木の床を踏みながら近づき、長机を挟んだソフィアの対面の腰掛けた。この間に、食パンの山が二枚減った。

「ああ。なんだか猛烈にお腹が空いて、ひとり遅い昼食をとらせてもらっている。――いやもう夕食前か」

 窓から入る西日を受けて銀髪は一層艶やいて見えた。
 ソフィアの肌にも、なんだかぷくぷくと無性につつきたくなるような張りが出ている。
 少女は、いそいそと次に食べるパンの準備にとりかかる。
 ほぐした鶏肉をトマトで煮詰めたものらしい――使用人たちの賄い飯だろう。スプーンでよそい、薄切りの食パンの上に塗りつけて丸めてできあがりだ。
 ウィルもお気に入りで夜中に猛烈に腹が空いたときに、マイヤに作ってもらったことがある。
 夜中に起こしてしまったせいか、赤毛の少女は不機嫌そうに「夜這いかと思った」と呟きながら皿をどんと置いたのを覚えている。
 酸味のある香ばしい匂いがウィルの鼻腔を刺激する。思わず軽く鼻をひくつかせると、

「――こ、これはわたしがもらったものだ」
「取らないって」

夕食前で多少お腹が空いていたせいもあって、物欲しげな視線で見つめてしまったらしい。

「簡単な味付けなのに美味いだろ? 調理キッチン女中メイドの腕がいいんだ」

 一般に、料理人コックが主人や客人のための食事を作り、調理女中は料理人の手伝いと、使用人のための賄いを作る。
 もぐもぐと咀嚼しながら、ソフィアは素直にこくりと頷いた。
 調理女中が賄いを作るのに手を抜くと屋敷の使用人たちとの空気は険悪になることもあるのだが、マイヤの作る賄いは大層評判がいい。

「おい。新入り。それで飯は足りるか」

 当の調理女中のマイヤが、こんがり焼き色のついたブレッドを小脇に挟み、牛乳とヨーグルトの瓶をもって食堂の入り口をくぐる。

「お、ウィルもいたか」

 小柄な少女は屋敷の主筋を気安く呼び捨てにして、のしのしと軽快な足取りで床を鳴らしながら近づいてくる。

(ん?)

 マイヤはいつもと少しだけ髪型が違う。短い赤髪の右側を三つ編みにして垂らしている。
 ウィルはそれが似合うと思った。

「マイヤ。ありがとう。わたしは大食いなんだ」

 あれだけ力持ちならば、人より食事も必要なはずだろう。不思議だとは思わなかった。

「へへ。いいってことよ。リッタのやつ、今日はなんかぽーとしてて、妙に抜けててな。かっぱらってくるの簡単だったぜ」

 朴訥なしゃべり口のソフィアと、口の悪いマイヤは気が合うようだった。
 よく考えると、ここにいる、この三人の年齢は同じくらいだ。
 マイヤはパンとミルクをテーブルの上に置くと、ウィルの右隣の席を引く。
 少女は、椅子の上に片膝を立てて、ウィルのほうにもたれるように座った。
 白い長靴下で包まれたふくらはぎが露わになり、黒いスカートと簡素な飾り衣装のついたペチコートが捲り上げられ、白い布地がちらりと見えた。

「パンツ見えてるよ」
「へ。サービスだ。見せてるんだ」

 マイヤはウィルの肩にぐりぐりと赤毛の頭を押しつけてきた。
 催促されたかのように、ウィルはマイヤの頭を撫でてやった。
 赤い髪はほんの少しだけ湿っていた。少女の白い襟元のうえのうなじが香る。

(あれ、良い香りが……)

 水浴びでもしてきたのだろうか。
 マイヤの捲り上げた袖からは、にょきっと、白い腕が露わになっている。
 こうやって、しなだれかかられると、まるで夜の街で働きはじめたばかりの少女のような、初々しい蓮っ葉さが匂ってくる。

「マイヤはちゃんと屋敷の人たちの面倒を見てあげるから偉いよね」

 少女の赤毛の頭を、優しく撫でてやる。
 マイヤは言葉遣い自体は粗野だが、輪に溶け込めない女中メイドに積極的に話しかけたりと、なにかと面倒見がいい。

「おまえの面倒も見てやるよ」

 そうマイヤは言い放つと、ひょいっと腰をあげると、ウィルの脚の間に尻を押し込んだ。
 少年の股間の先端を、思わぬ形で同世代の少女の尻が柔らかく押しつぶす。
 それに声をあげる間もなく、マイヤは少年の右手を掴み、自身の白いエプロンの胸の上へ導いた。
 ささやかな乳房の膨らみが、少女自身の瑞々しさも相まって妙に艶めかしい。
 この少女は、ウィルの初めての友人である。小さいころは、お互いに裸を見せ合ったこともある。
 だが、友人と見なしていた少女から、このような積極的なアプローチをかけられるとは想像していなかった。
 明らかにマイヤは勝負に出ている。
 どくどくと女の小さな心臓が激しく鼓動する音を指先に感じる。

(……あ、思ったより胸があるんだ)

 意外にウィルは冷静だった。
 フローラのような女性として成熟した乳房の膨らみに比べるべくもないが、ソフィアよりは少しだけ胸が大きい。
 だが、あきらかに男に揉みほぐされていない青い果実だ。
 ウィルがゆっくり味わうように胸を揉みはじめた途端、マイヤの挑むようにこちらを見上げていた青い瞳が、驚愕に揺れた。
 少女の吊り目がちの、くりくりとした瞳がさらに大きく見開いている。
 ウィルが驚かないことにショックを受けているようだ。

「なあ。もうウィルはソフィアを抱いたのか?」
「ぶっ。ごほっ、ごほっ…………」

 よりによって、マイヤは目の前でパンを頬張っているソフィアを指差した。
 ソフィアは喉を詰まらせ、どんどんと薄い胸を叩きはじめる。

「うーん。ソフィアは身持ちが堅くてね」

 銀髪の少女は牛乳をごくんと飲み込んで、深く息を吐いたあと、

「わたしは、まだ清らかな身でいたいんだ」

自分に話題が振られるのを避けるように、いそいそと食事を再開した。
 その返答に目を輝かせたのがマイヤである。

「へ! お供の女ひとり落とせないなんて、だらしねえな! か、代わりにオレが相手をしてやるよ!」

 どうしたものかとウィルが沈黙を続けていると、マイヤはすっと目を伏せ、

「………なあ……オレじゃ駄目なのか。ちょっとはチャンスがあるかと思ったんだけど。さっきもおまえオレの尻を触ったよな。それとも興味も無いのにお情けでオレの尻を触ってくれたのか?」

そう声を詰まらせながら聞いてきたのだ。

(いや、お情けって……)

 いまさら触ったのがトリスだと言うわけにはいかないだろう。
 青い瞳は少し湿っている。かなりの勇気を振り絞ったアプローチだったようだ。
 ウィルは、指先で少女の淡い胸の感触を確かめながら、女中長の言った言葉を思い出していた。

『女とは深く入り組んだ何重もの堀をもつ城です。征服するには、女の外堀も内堀も全て埋めてしまえばよろしい』

 孤児院で育ち、マルク家に拾われたのマイヤのことは良く知っている。幼なじみのように育った女である。
 彼女が大切にしているものは、頭の片隅に残る孤児院の思い出、マルク家で育った思い出、いまの仕事や女中たちとの関係、そして何よりも、ウィルとの関係だろう。
 一方的に独占して、自分に縛りつけてしまって何の問題も起きない女だった。
 問題は、ウィルにその覚悟があるかだけだ。これをトリスはどこまで計算していたのだろう。

「マイヤ。――たぶんぼくは、どこかの令嬢と政略結婚をすると思うよ」

 ウィルがそう言うと、マイヤはちっと舌打ちをして、いらいらと赤毛の眉をひそめた。
 ウィルは、おそらく自分の結婚相手は父親の伯爵がある日突然、決めてくるであろうと漠然と考えていた。
 いまのウィルに逆らうすべはない。

「そりゃ分かってるさ。ウィルはお貴族様なんだから。だけど男なんだからヤれる女がいないと溜まるだろ? オレのお尻まで触るくらいなんだからよ。オレは一発やらしたからって面倒な女になるつもりはないぜ」

 それくらい分かれよと言わんばかりだった。

「マイヤ。ぼくは面倒な男なんだ。長いつきあいだから、ぼくの独占欲の強さは知っているよね? 本当の本当にいいの?」
「ど、どういう意味さ? ひゃ――」

 ウィルは今度は自分から、エプロンの脇に両手を滑り込ませる。
 指先の感触で黒地の布の上から、手のひらで淡い乳房をぎゅっと掴んでみた。

「い、痛ッ――」

 少女はくっと眉を跳ね上げて、思わずといった感じでそう呟いたあと、なんでもないとばかりに慌てて口を押さえた。

(あ、強くしすぎた)

 今度は青い芯をつぶさないように、やわらかく握る。

「あぁ……ん」

 そうすると、自然に出てきたという感じで、赤毛の少女が色っぽい声をあげた。
 次の瞬間に少女は、はっと息を呑み、うなじを紅潮させる。恥ずかしそうなそぶりを見せながらも、力を抜いて小さな背中を預けてきた。
 一方、二人の向かい側で我関せずとばかりに、ソフィアは黙々と食事を続けている。

「いったん僕のものにしたら二度と手放すつもりはない。ぼくだけのものにするよ」

 すると、少女は急に押し黙り、柔らかく首をねじって振り向くと、くりくりとした瞳で、ウィルの顔をじっと見上げてきた。

(う……)

 ふいにマイヤが、にへらと人の悪い笑みを浮かべた。

「ははぁーん。つまりウィル、おまえはオレを自分の犬にしたいんだな。自分のそばに置いて何でも言うことを聞かせたいんだな?」

 ウィルは図星を突かれて、ぎくっと肩を震わせ、

「……ッ! 痛てえ!」
「ご、ごめん」

つい、マイヤの両の乳房をつねりあげてしまった。

「……駄目かな?」

 ウィルは、おそるおそる訊ねてみた。
 なにせ相手は、ウィルの一番の旧い友人である。
 こちらの身勝手な欲望を見透かした幼なじみの女中は怒るだろうか、それとも泣くだろうか。
 マイヤは少年に乳房を掴まれたまま、吐息が直にかかる至近距離まで顔を近づけてきた。

「オレとおまえの仲だろうが。どうしてもっと早く言ってくれないんだ!」

 さも水臭いという話しぶりだった。
 そのままマイヤは顔を寄せると、ウィルの下唇をかぷっと噛んでみせた。

「うっ」

 甘い痛みが走る。

「え? ということはマイヤはずっと僕と一緒にいてくれるの?」
「おうとも」

 マイヤはウィルの胸板に頬ずりした。

「オレはおまえの犬だ。だいたい、犬が家出してどこに行くってのさ」
(そうかなあ……)

 どこに行こうとも、この少女は逞しく生きていく、ウィルにはそう思えてならない。

「でもな」

 マイヤはウィルの胴に両手を回す。

「犬を飼うにも責任が伴うんだ。毎日頭を撫ででやらないといけないし、散歩にも連れて行ってやらないといけない。歳をとって臭くなっても世話を続けないといけないんだぞ」

 年をとってというくだりがとても現実的リアルである。
 赤毛の少女がはじめたのは条件闘争だった。

「あ、うん」

 かろうじてウィルは頷く。

「マイヤは歳を取ったら、ぼくの言うことを聞いてくれなくなったりするかな?」
「そりゃ、おまえ次第だ。おまえがおまえのままでいてくれるなら何の問題もないぞ。心配するな」

 主人をおまえ呼ばわりする少女の外掘を埋めるのは、もう本人との共同作業だった。

「ほら。むかし屋敷で飼ってたペロのことを思い出して見ろ。構ってくれるだけで尻尾が千切れそうになってたぞ。おまえ最期まで優しかったしな」

 ペロは、昔からマルク家で飼われていた大型の番犬でウィルによく懐いていた。
 歳を取るにつれ歯も抜けてしまい、番犬としての用を果たせなくなったときに、そのころまだ屋敷に住んでいた伯爵はもう捨ててしまえと命令したものだ。
 しかし、ウィルは屋敷の裏の森で老犬を匿い続けた。
 犬を飼っていることは、屋敷の使用人の誰もが知っている公然の秘密だった。
 やがて天寿を全うして死んだペロのお墓を作っているウィルに、屋敷の使用人を代表してトリスが深々と頭を下げた。
 いまにして思えば、屋敷の使用人たちは、老犬に自身の老後の姿を重ね合わせていたのかもしれない。

「ぼくは一生マイヤをそばに置きつづけるよ」
「――よっしゃ! たったいまからオレは生涯おまえの犬だ。オレを躾けてくれ。なんでも言うことを聞くぜ!」

 赤毛の少女は勢い込むように一生の誓いを立ててしまった。

「マイヤ。意味分かって言ってる?」

 目の前の少女は、自分の大切な幼なじみだ。
 はたしてこれで本当に良かったのだろうかと心配にもなる。

「ああ。だってそれって女版の従僕フットマンみたいなもんだろ」
(あれ? あれれ?)

 なんだかウィルは分からなくなってきた。
 従僕は、命令があるまで主人のそばに行儀良く待機し、主人が馬車に乗れば徒歩で伴走する文字通りの健脚のフットマンだ。
 王都に住む伯爵のもとには、八人の従僕が仕えている。
 いずれもドーベルマンのように背が高く見栄えする。従僕は、主人の犬のような存在と考えられなくもない。

「だって、ウィルは一生言うことをきく犬がほしいんであって、殴るための奴隷がほしいわけではないんだろ?」
「あ、うん。それはたしかに」

 先日、ウィルは奴隷市場に足を運んだ。
 そこでは人が家畜のように扱われており、目を覆わんばかりの有り様であった。
 ウィルには女を鎖で引きずったり鞭で叩く趣味はない。
 抱き合う少年少女をよそに目の前で淡々と食事を続けている銀髪の美少女も、奴隷市場でマルク家に買われてきた。

(従僕かあ……向いているかもなあ)

 従僕は、主人に近しい立場であるため、ほかの使用人から主人の内偵スパイとして告げ口しやしないかと警戒される。
 マイヤなら機転も利くし、波風を立てることもなく、気がついたことをウィルに教えてくれるだろう。
 マイヤは女なので従僕という立場にはおけない。そのためソフィアと同じ側付きウェイティング女中メイドという立場に置くのがよいかもしれない。
 ちらっとウィルは一瞬ソフィアのほうを見た。
 本来、主人であるウィルの世話をするはずの銀髪の少女は、マイヤに世話をされて黙々と食べ続けている。
 ごくごくと本当に美味しそうにヨーグルトを飲んだ後、ぷはーと唇を拭う。
 気持ちは分からなくもない。マルク家の乳製品は、酪農ミルク女中が手塩をかけたもので、とても質が高い。

「もうオレはおまえ以外を主人にするつもりなんてないからな。一生だ。一生。絶対にそこは譲らない」

 マイヤは断固としてそう言い募る。

「あ、うん。えっと、ぼくはマイヤを……その……抱くつもりなんだよ?」

 やや恐る恐るそう訊ねた。幼なじみに対して気は引けるが、そこははっきりさせておかないといけない。

「当然だろ。女をわざわざ自分の犬にするのだから当然性交セックスも込みだ。性交がないと犬になんかなってやんねーぞ」

 気がついたらペットの取り扱い説明書を手渡されて、責任の重さを実感させられているような気分である。

「この屋敷に来る前、孤児院の院長先生がよく言ってたナァ。上の口も下の口もあんじょう食わしてくれる男を掴まえなさいって」
(な、なんて院長だ――!)

 ウィルは思わず吹き出した。だがある意味、孤児の少女に送る、これ以上適切な助言はないかもしれない。

「さあオレを抱いてくれ。新品だぞ。ぴちぴちの処女だぞ」

 マイヤは身を投げ出すように抱きついてきた。

「おとと……」

 椅子ごとひっくり返るかと思ったが、少女の身体は軽かった。
 幼なじみの少女の肩は華奢である。肉づきもまだまだ薄い。
 さきほど思う存分身体検査をしたフローラあたりに比べると、発育が不十分さは見るも明らかだが、目の前で食事をしているソフィアと同様に青い果実の魅力というものがある。
 少し吊り目がちに、ぱっちりと開いた大きな瞳、幼いときにトリスの目利きにかない屋敷に連れてこられただけあって、顔の造作はとても整っている。
 ただ美少女なだけではない。細い足で大地を踏みしめて生きる少女の逞しさのようなものを感じる。
 おまけに一番古い友人ときたものだ。
 王立学院に通っていた間に、少年は何人か貴族の友人を作ったが、やはり一番の古く身近な親友となればマイヤになる。
 ウィルは、友人を性のはけ口にすることに興奮を覚えていた。
 マイヤとの友情は大切にしたいが、それとは別にこの赤毛の親友の肉体を隅から隅まで思う存分蹂躙したいという気持ちもある。
 赤毛の少女は、そんなウィルの願望を叶えるかのように、喜んでウィルの支配を受け入れ、身体を捧げてくれると言っているのだ。
 あとは男を迎え入れたことのない処女地に一歩足を踏み出すだけ。
 だが、ここでウィルはマイヤの肩に両手を置いて、そっと距離を作った。

「言いにくいんだけど……マイヤ、トリスに避妊薬をもらってこないといけない」
「なんだと……トリスは?」
「外出中。たしか薬の原材料の買い出しに行っていると思う」
「リサ・サリは?」

 簡単な用事なら、蒸留室スティルルーム女中メイドが肩代わりすることができる。

「一緒」

 薬の買い付けのときに、トリスはあの小柄な双子姉妹を付き添わせる。
 マイヤはまるで目の前にからのトレイを置かれた犬のように、悲しげに目を丸めた

「ちくしょう。最初の主人の命令は、『待て』かよ! ぐぐ……」

 少し癖のある髪を左右に振り、白い歯を剥き出しにして、悔しげに唸ってみせた。
 だが、突然ぴたりと止まり、

「ま、しゃーない。それに。もうオレはウィルの物だし。ひゃっほう!」

そうあっけらかんと言った。
 そして、足元で微睡む犬のように、ごろんと再び丸めた背中をウィルに預けた。

「昔、並んで落書きをしていた仲なのに、まさか、こうなるとは予想もしていなかったな」
「そうか? ずっとオレはこうなればいいなと思っていたぞ。オレは相合い傘書いてたしな。おまえは一人、ヘタクソな動物の絵ばっかり彫ってたけど」

 マイヤはそう言って、右側に垂らした髪の三つ編みをくるくると指で回した。
 それを聞いて、なんだかウィルはくすぐったく感じる。

「あ、やべ! もう行くわ。オレ、実は今日、仕事さぼりまくってたんだわ。そろそろリッタのやつがキレちまう」

 名残惜しそうにウィルの身体から体温を離す。
 そして、ソフィアがきれいにさらった食器を手際よく片手で積み上げると、マイヤは反対の腕で陽気に手を振ってから、食堂を去って行った。
   ‡
 マイヤが去った後も、ソフィアは余韻を楽しむかのように黒い女中服の胃の辺りを手でさすっていた。
 瑣事などどうでもいいと言わんばかりで、そのまま眠ってしまいかねない。

「あー、こほん」

 ウィルは思い切って尋ねてみることにした。

「ソフィア。嫌だった?」
「なぜ?」

 ソフィアは不思議そうに首を傾げた。

「あ、いや。目の前でマイヤと抱きあってたからさ」

 ウィルはなんだか後ろめたくなって、しどもどとした。

「わたしの故郷でも強い男はより多くの羊を抱えられるだけの牧地ぼくちを支配している。男は当然、力の許す範囲で女の数を増やすだろう。そういうのは自然の摂理ではないか」

 窓から入る光を気持ち良さそうに顔に受けるソフィアは、なんだか遅い日向ぼっこをしている獣を連想させた。
 毛並みの良い動物のように銀髪が柔らかく輝いている。
 マイヤが飼われた犬なら、ソフィアは野性の狼だろう。

(――あ!)

 ふいに、ウィルは、むかし自分が漆喰の壁に掘っていた動物が何だったかを思い出した。
 稚拙すぎて誰も判別できなかった四つ足の生き物。
 記憶のなかの落書きが急に血肉を得て、いきいきと躍動しはじめる。
 幼いころのウィルは、いまよりずっとやんちゃであった。
 物心つくにつれ次第に矯正されていったが、思慮分別のない無鉄砲ぶりには、あのトリスですら手を焼くほどであった。
 まだ育児室ナーサリー・ルームでトリスと一緒のベッドで寝起きしていたころの話である。
 今よりもさらにずっと手脚は短いが、視線はずっと上方に据えられている。
 それはウィルの心象風景である。
 大きな羊の背に器用に跨がった少年の、甲高い笑い声が大空へと抜けていく。
 マルク領の北には広大な草原が広がっている。
 遊牧民にとっては命の糧であろうが、マルク家にとっては利用価値の低い、誰のものかも曖昧な草原である。
 夏の草原は素晴らしい。
 見渡す限りどこまでも広がる緑の絨毯。それを包む空はどこまでも蒼く澄んでいる。
 涼風が大地をねぶりあげ、天地と我が身が一体となる。
 だが、少年の指の力では羊の毛を掴みきれない。
 脱脂前の羊の毛は意外に滑る。
 少年は羊の背から転がり落ち、無邪気に笑い転げながら、柔らかい草地の丘の上に手足を投げ出した。
 そのまま高く澄みきった天空と陽の匂いのする大地に身を委ねる。
 ふと少年が瞳をあけたとき――見上げる視界を、ぬっと大きな生き物の姿が埋めていた。
 ひと噛みで大人の頭蓋骨でも砕きそうな、堂々たる体躯の草原のステッペンウルフである。
 立派な顎をもつ獣が、爛々と輝く琥珀色アンバーの瞳でウィルの顔を覗き込んでいた。
 恐れを知らない幼いウィルは、この綺麗な瞳の生き物に、ついとばかりに、懐に入っていた干し肉を差し出した。
 それは飼っていた屋敷のペロにあげるための餌である。少年はこの綺麗な獣と友達になりたかった。
 だが、施しは受けないとばかりに、狼はウィルの顔をひと舐めしたのだ。
 偉大な獣は、丘の上で周囲を睥睨し、空に向かって背を反らし、天地の狭間で遠吠えをあげる。
 びりびりと少年の鼓膜を揺るがし臓腑から背筋へと、地響きのような威圧が突き抜ける。
 やがて、この草原の狼は逞しい四肢を駆って一陣の風となったのだ。

(あのあと羊が一頭帰ってこなくて、ものすごく怒られたんだけどね……)

 軽く溜息をつきながら、なぜ奴隷市場で一目見て、ソフィアに惹かれたのか理由を思い出した気がした。
 少年は昔から誇り高い生き物が大好きだった。
 どうしても自分の手から離したくないと願うならば、銀狼族の娘のことを良く知らなければならないだろう。
 そういえば犬は、狼を飼い慣らして家畜化したものだと聞くが――

神巫かんなぎ神子みこというのは、ぼくたちには馴染みがないのだけど、どういう存在なの?」

 ウィルは訊ねてみることにした。
 遊牧民特有の無頓着さと、独特な几帳面さをあわせ持った少女は、大事な話とばかりに居住まいを正した。

「神巫とは神から授かる予言によって道を指し示し、神子とはその実行役となって、戦士たちをまとめる役割のことだ」

 ソフィアの年齢はウィルと変わらない。
 腕や肩は頼りないくらいに細い。一族をまとめるには若すぎる気がした。

「ということは、君たち双子が銀狼族の村の指導者だったの?」
「いや、神巫のマリエルは予言をするだけで、村の政治に関わることはない。神子のわたしも村の男たちを指揮できるのは、長老たちが許可したときに限られていた」

 ソフィアはそこで、ぎりっと白い歯を噛みしめた。

「村の長老たちとはうまく行かなかったの? 非協力的だったとか……?」

 ウィルが恐る恐る訊ねると、

「非協力的なんて生やさしいものではない!」

ソフィアが激昂して右手の平をばんと目の前に打ち付けたのだ。
 その途端に木製のテーブルが、びしっと大きな音を立てて振動し、分厚い一枚板にヒビが入る。

「うわ……!?」

 ウィルは思わずテーブルの厚みを確認した。

(うひゃあ。相変わらず凄いな……)

 厚さ十センチくらいはある。
 華奢な少女が、座った姿勢のまま平手打ちして破壊できるようなものではない。

「くっ、し、痺れる……。す、すまない。つい興奮して……」

 テーブルを強く叩きすぎたのか、赤く色づいた手の平を反対の手で押さえている。
 じーんと痺れるのだろう。
 幸い、手当が必要なほどの怪我ではないようでウィルも安心した。

「も、もうじき治まるから、ちょ、ちょっと待って……」

 銀狼族の娘は涙目になっていた。
 いくら力は強くても肉体的な強度まで備わっているわけではないようだ。

(自分の力の強さも忘れて、強く叩きすぎてしまうって、ソフィアって実は案外……)

 ウィルがそう思いかけた矢先、

「ああ!」

少女がウィルの顔を指差した。

「いま、わたしのことを愚か者だと思っただろ!」
「い、いやあ……」

 どうリアクションをしてよいか分からず、笑ってごまかした。

「こほん。話を戻そう。彼らは最後の最後まで自分たちの権威を守ろうと、足を引っ張ることしか考えていなかった」

 ソフィアは苦虫を噛み潰していた。
 どうやら銀狼族の村にもいろいろと事情があるようだった。

「あるとき神巫が予言をしたんだ。――長老たちを皆殺しにしないと村を守れないって」

 急に話が冷えた。
 そう言ったときソフィアの琥珀色の瞳が宝石のように無機質に輝いた。ウィルの背筋に寒気が走る。

「……や、やったの?」
「――それができなかったから、村を失い、いまこうしている」

 ソフィアは長い長い溜息をついた。
 正直、ウィルはソフィアが思いとどまってくれたことに心底ほっとしてしまった。

「兵士は何人くらいいたの?」
「二百人だな」

 その返答を聞いて、ウィルは思案する。
 ――二百という戦力はとても数が少ない。
 だが、銀狼族は、そのたった二百という数で、王国の何千人もの軍隊を何度も退けたという。

「もしかして全員、騎射ができる?」
「そのとおりだ」

 騎射とは、馬の上に跨がったまま矢を射ることで、かなりの高等技術に当たるだろう。
 古代、遥か東の大国において、二千の歩兵が一七騎の騎馬兵を襲撃しようとして、逆に壊走した記録が残っている。
 しかも、この一七騎は精鋭というよりは本国に帰還する、ただの連絡兵であったという。
 いくら追っても逃げ水のように遙か地平線の遠くまで逃げてしまうし、追い疲れて足が止まっているところを戻ってきて弓で射かけられると堪らない。
 銀狼族のたった二百の騎馬兵も、北の荒野では無類の強さを誇っていたに違いない。おまけに怪力無双の神子に、予言の神巫までいるのだ。
 ウィルは、ちらっと目の前の銀髪の少女の様子を窺った。

「負けたのは新式の施条銃ライフルド・マスケットのせい?」

 ウィルの質問に、ソフィアは悔しそうに、ぐっと下唇を噛んで、子狼のようにひとしきり唸った後、うなだれた。
 ウィルはどうして銀狼族が負けたのか調べられる範囲で調べた。

(特にうちは草原に接しているからね……)

 個人的に興味があったという以外にも、辺境領を預かる貴族の端くれとして無関心ではいられない。
 特にマルク領で一番大きな町ロムナは遊牧民との交易によって成り立っている。遊牧民との争いは身近な脅威なのである。

「そうだな。直接の敗因は長老が金銭に転んだことだが、そもそもあの銃がなければここまで劣勢に立たされることはなかった。弓より遠くから狙われるのだから、いままでの奇襲戦法がまるで通じなくなった。まともに戦えたのは、それ以上に強い弓をひける私くらいだったな」

 新式の施条銃は、銃身内に螺旋状の溝ライフリングが彫られており、それが荒野を逃げる騎兵を射落とせるだけの精度を与えたのだろう。
 時代は急速に変化しつつあった。
 弓矢から、弾丸と火薬の時代へ――
 英雄の時代から、物量と兵站ロジスティックの時代へ――
 この一騎当千の神子も、時代の流れとは無縁ではいられなかったようである。

「予言と言っても、どんな状況でも勝てる方法を教えてくれるわけではないんだね」

 ウィルがそう訊ねると、ソフィアは途端に難しい顔をした。

「神巫の予言はとても融通が利かない。いつ予言してくれるかも分からないし、内容も曖昧な部分が多く、とても不親切なのだ。だが、後から振り返ると百発百中で当たっていることに気がつく。神巫の残した一篇の詩の行間を読むようにあれこれ神託を探らないといけない」

 神与しんよの力とはそういうものなのかもしれない。そうウィルは思った。
 人間の思うままに使うことができるなら、それは神から授かった奇跡などではなく、王国の新式の銃のように人間の技術であろう。

「奴隷市場で待っていたソフィアは、予めぼくが来ることを分かってよね。なんて予言されたの?」

 そう言うと銀狼族の少女は、意外なくらい大袈裟にびくっと肩をすくめた。

「わ、分かった。教えてやる」

 ソフィアは視線を天井に向けて、勿体をつけた。

「鉄の檻に囚われて……とりあえず……主を定めるべし。遠からず……破瓜を知らぬ身は神巫へと繋がらん」
「とりあえず?」

 古めかしい予言の文言のなかで、その言葉が不自然に浮いていた。

(もうちょっと嘘は上手くつこうよ……)

 少女の琥珀色の瞳が泳いでいる。
 ウィルは見逃してやることにした。

「遠からず?」

 それがいつになるかはウィルにとって非常に重要である

「い、いや何でもない」

 慌てたように、ソフィアは言葉を濁した。

「えっ、それだけ?」

 いつ、どこで、だれの虜囚になって、どこで待っていたら良いかなど、まったく何も指定されていない。
 なんとなく自分の腕から神々に操られているマリオネットの糸のようなものが伸びているのを想像してしまった。

「さきほども言ったとおり予言というものは実に不親切だ。自分が最善だと思う方法を選択するしかない。わたしはおまえが妹を探す手助けをしてくれることを期待している」

 黄金に輝く瞳がじっとウィルに注がれた。

「約束は守る――明日以降、今後の段取りを話合おう」

 ウィルがそう言うと、ソフィアは瞳を大きく見開き、少し鼻を詰まらせた。

「どうしたの?」
「い、いや、なんでもない。ありがとう。感謝するぞ!」

 ソフィアはウィルの手を掴むと、ぶんぶんと上下に振る。
 本当に嬉しそうだ。
 重なった小さな手の下には、分厚い木のテーブルの割れ目が顔を覗かせている。

(熊に手を握られているようなものかも……)

 ウィルは苦笑を浮かべる。
 そこで話し合いが一段落したのか、ウィルはソフィアの肌を遠慮無くじろじろと眺めはじめた。
 ウィルは、目の前で、午睡を楽しむように、窓から注ぐ陽の光を銀色の髪に受けていた、この毛並みのよい美しい獣に触りたくてしかたなかった。
 たとえ平手打ち一つで分厚い木のテーブルを破壊するような少女であったとしても。
 このあたり、いかにトリスに性格を矯正されようとも、三つ子の魂は百まで変わらない。
 自分の命の危険よりも、好奇心や欲望のほうを優先させるきらいがある。

「まあ、とりあえず早く屋敷に慣れてよ」
「買われてきた身だ。自分の与えられた仕事は果たそう。――だが」

 ソフィアはそこで言葉を切る。

「草原こそがわたしの帰るべき故郷なのだ。だから、わたしは妹を取り戻した後は草原に帰るつもりでいる」

 銀髪の少女は妥協の余地がないようにそう言い切った。
 奴隷として買われてきた身分なのに、いずれ主人のもとを離れると言っているのだ。
 たしかに、いまのソフィアの腕力があれば押し通ることもできるだろう。だが、破瓜を迎えたとき、その力は失われているはずなのだ。
 馬鹿正直であるが、一陣の風のようにすがすがしい。
 少年は、昔一度だけ間近に見た草原の狼が自分のもとを去っていく、そんな既視感デジャヴを覚えた。
 そんな少女に、

「ソフィア。今晩ぼくの部屋に来て。――意味は分かるよね?」

ウィルは、はっきりとそう告げたのだ。

「マイヤとするんじゃなかったのか?」

 ソフィアは目を見開き、自分の体を抱きしめた。

「マイヤともするけれど君ともする。ああ。もちろん。約束通り、君の処女はとっていてあげる」

 屋敷に慣れてもらうことはもちろんだが、少しずつ少年と肌を合わせることにも慣れてもらいたかった。

「……う。まあ。それなら、――なんとか」

 ソフィアは、ほっと桃色の唇の間から吐息を吐き出した。

「ぼくとするのはそんなに、いや?」

 ウィルがそう訊ねると、ソフィアは肯定とも否定ともつかない複雑な表情で首を傾げた。

「わたしとて子どもではない。もともと長老たちの娶せた男と臥所ふしどをともにしないといけない年齢なのだ。いまさら貞操など惜しむつもりもない」

 この少女は、男が力の許す範囲で女の数を増やすことを、自然の摂理と言い切っている。
 もともと貞操観念はドライなのかもしれない。


◇ 屋敷の女性一覧 ◇
女中長   1人 (トリス◎)
蒸留室女中 2人 (リサ・サリ)
洗濯女中  6人 (第一:ジュディス)
         (第二:イグチナ・ブリタニー△・シャーミア)
         (第三:アーニー・レミア)
料理人   1人 (リッタ)
調理女中  4人 (マイヤ△)
皿洗い女中 2人
酪農女中  3人
客間女中  1人 (フローラ△)
家政女中 12人
雑役女中  8人
側付き女中 1人 (ソフィア△)
    計41人
お手つき  1人 (済み◎、途中△)




第十三話「犬と狼」へのコメント:
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