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第十話「客間女中」

(なんでこんなところに?)

 次にトリスが案内したのは、女中メイドたちの使う便所であった。
 幼年時代の遊び相手は女中たちであったが、トイレまで付いて行って困った顔をされて以来、ここには立ち寄らないようにしていた。
 便所が臭うのは当たり前だが、ウィルの使っている主人用の便所とは違い、なにか特有の異臭のようなものが混ざっている感じがする。

「申し訳ありません。このような場所にご案内して。ここでお待ちを――」

 指示されたとおり、ウィルがそっと柱の陰から中の様子をうかがうと、手洗い場で背を丸めた、客間パーラー女中メイドの後ろ姿が見えた。
 黒いスカートのすそからは白いレースのフリンジが顔を出している。脇腹から白い刺繍の入った手袋が見え隠れしている。
 客間女中には屋敷を訪れる客人の取り次ぎ係という役割があり、屋敷の表側に出る機会が多いこともあって、ほかの女中より服装が少し華やかだ。

「フローラ、具合はいかが?」

 トリスがそう尋ねると、金髪の巻き毛の女性が振り向いた。
 背はウィルと同じかほんの少し低いくらい。胸は大きすぎず小さすぎず、ほどよく膨らみ、腰まわりはやや細いかなと感じさせる――つまり、とてもスタイルが良い。

「……う。トリスさま。もうちょっとこうしていたら楽になると思います。お客さまですか?」

 客間女中のフローラは息も絶え絶えで、見るからに青い顔をして、つらそうに下腹のあたりを抑えている。
 巻き毛の金髪を洗面器に入れてしまったのか毛先が濡れていた。ほつれて白い横顔に数筋張りついている。
 一瞬、ウィルは、フローラが妊娠してお腹を押さえているのかと勘違いしたが、女中長ハウスキーパーの様子から察するに違うようだ。
 フローラは、ほどよく華やさかと愛想の良さをあわせ持つ女性で、昨日はきゅうに来たときは、元気そうに見えたのに一体どうしたのだろう。

「いいえ。ウィル坊ちゃまに、三時のお茶の時間ティー・タイムを頼みたいのだけれど、大丈夫かしら?」
(えっ、ぼくに?)

 ウィルは急に自分の名前が挙げられたので驚いた。
 接客はフローラの仕事であるが、主人のウィルへのお茶出しは、トリスや直属の部下である蒸留部屋スティルルーム女中が行なうことが多い。
 何かを期待する視線を向けるフローラに、

蒸留部屋スティルルームの子たちは、いま別の仕事をお願いしていて手が離せないの」

 トリスはそう告げた。
 フローラはつらそうにりゅうを歪めたあと、

「はい。分かりました」

 血の気のない顔でそう答えた。
 いかにも重そうな足取りで、物陰に隠れているウィルに気づく様子もなく、茶葉を取りに蒸留部屋へ向かった。
 フローラの姿が見えなくなった頃合いで、

「あなたたちは、どこかで時間を潰してらっしゃい――」

 ふいにトリスがそう呟いた。すると、

「「はい。トリスさま」」
「うわ!」

 唱和するような声がウィルの背後から聞こえ、ウィルは飛び上がった。
 いったい、いつからいたのだろう。
 柱の影に隠れていたウィルの、さらにその背後に小柄な双子が気配を殺して立っていたのである。
 蒸留室スティルルーム女中メイドのリサ・サリである。
 二人は、女中長の補佐役としてお茶の管理とお菓子作り、そして薬品づくりなどを担当している。
 この双子は、四年くらい前に、奴隷市場でトリスが買ってきた奴隷であった。東方の出身で、人買いに攫われたという。
 耳が隠れる程度の黒髪のショートで、結構可愛い顔をしているように思うのだが、前髪だけがもとが隠れるほど長く、目の表情がさっぱり分からない。
 せめて前髪を上げてくれたら、見分けがつくのではないかと思っているのだが、それだけは首を振って拒むのだ。
 仕方がないので、リサ・サリと呼びかけるようになった。
 背はソフィアと同じくらい、スレンダーな身体つきをしている。胸も同じくらい――つまり二人ともぺったんこであった。
 どちらがどちらか見分けがつかないほど、瓜二つの双子は、前髪の下をわずかに赤く染めて――東洋的なぐさなのだろうか、はにかみながらおをして左右別々の方向に散って行った。

「二人揃ってるの久しぶりに見た……」

 ウィルはそう呟いた。
 リサ・サリは、同じ仕事をしているはずなのに、なぜか二人同時に見かけることがほとんどないのだ。

「あとで、あの双子にも会ってやってくださいな」

 ウィルは頷いた。なにかウィルに関わる用事を申しつけるつもりだろう。

「フローラは、かなり青い顔をしていたけれど、給仕なんかやらせて大丈夫なの?」

 外から来た客の相手をさせるのではなく、ウィルに茶を出すだけだから大変ではないだろうが、ひどく体調が悪そうに見えた。
 なにをやるにしろタイミングが悪いように思える。

「あんまり大丈夫ではありませんね。ほら」

 トリスはそう言うと、ところどころ赤錆のついた、膝元くらいの高さにある金属製の缶の蓋を摘み上げた。
 ウィルは、げんな表情をしながら近づいて覗くと、――そこには赤黒いものの付着した大量の茶色い布が積み上がっている。

「うっ」

 次の瞬間、ウィルは両手で鼻を押さえながら、思わず後ろによろけた。
 嗅ぎなれない臭いのもとはこれであった。

(臭ッ。なにこの臭い?……)

 いままで嗅いだことのない猛烈な臭気がウィルの鼻をついていた。
 青乾酪ブルー・チーズに血を混ぜて発酵させずに、腐らせたような……。うまく喩えようがない。
 思わず便所の壁に身体をぶつけると、缶から覗く一番上の布で、赤いゼリー状のものがグロテスクに揺れた気がする。
 そのとき、ようやくウィルは、女性のナプキンが山積みになっているのだと思い至った。
 一番上ということは、おそらくフローラが――
 ウィルはこれまで女中に対して、銀のお盆の上に持ってくる紅茶やお菓子、髪から漂うかすかな柑橘系の香り、お日様の匂いのするエプロンなどといった、気持ちの良いイメージばかりを描いていた。
 生理現象なので仕方がないにしろ、女のべつの一面を見せつけられた気分である。
 奴隷市場の臭いも強烈だったが、あれはひらけた空間に不潔な臭いが漂っているので、なんだかんだ言って、それなりに慣れるのである。
 一方、生理用品の悪臭は清潔なお屋敷の一角に凝縮しているので、どうしても慣れられそうにない。さきほど厨房で胃袋を刺激されていたこともあり、そのギャップから本気で吐き気を覚えた。


「すみません。女の生理とはこういうものなんです。わたしたちは慣れていますが殿とのがたにはきつかったですね」

 ようやくトリスが蓋を閉めてくれた。

「女の生理の周期から、だいたい四人に一人は生理中ということになりますね。うちには四十人から女中がいますから十人は生理中ということです。十人も生理中の女がいれば、フローラのように、毎日必ずだれかは顔色を悪くしていることになります」

 しみじみ女性は大変だと、体調を崩しているフローラのことを心配するウィルに、トリスは人の悪い笑みを向けてきた。

「こうやって顔色が悪いときに、少し優しくしてあげれば、女なんてすぐに身体を許しますよ。フローラが部屋に来たら、せいぜい優しくしてあげてください」

 ウィルは、同じ女であるトリスが、生理の周期まで利用して、女の弱みにつけこむ手段を男に教えるというのはアリなんだろうかと、やや呆然とした。
 自室に戻りソファーに腰をかけて待っていると、やがて扉がノックされた。
 開かれたドアの向こうに見える客間女中の服装は華やかで、黒いお仕着せの前を覆う白いエプロンの縁だけでなく、手袋までしゅう飾りで彩られている。

「お茶を持って参りました」

 白いポットとカップを載せた銀のトレイを持って、こちらに歩み寄ってくる今日のフローラの足取りは、どこかおぼつかない。自覚のない夢遊病者のように、黒いスカートの裾から覗く白いレースのフリンジが不安定に揺れていた。
 接客を担当する金髪の女中は、ふらつきながら低いテーブルの上にお盆を置くと、いつものように赤いじゅうたんに片膝を突く。黒地のスカートの裾から白い靴下が顔を覗かせ、上品な色香をかもし出していた。
 カップに注がれた紅茶の香りが、部屋の空気にいろどりを添える。

「ありがとう」

 ウィルの言葉に、金髪の客間女中は軽く微笑ほほえみかけてきた。
 だが、その頰は引きっている。金髪がほつれて数筋、ひたいに張りついていた。
 客間女中の襟元のリボン飾りは日によって色が違い、ウィルの目を楽しませてくれるのだが、いま汗を吸った白いリボンに締め付けられたきゃしゃな首回りは、いかにも苦しげである。
 フローラがお茶を置いたタイミングを見計らい、ウィルはさっと女中の額に指を伸ばした。

「あ。お、お坊ちゃま! な、なにを」
「うーん、熱があるね」

 本当に気をつけたほうがいいなというくらい熱っぽい感じがして、ウィルは溜息をついた。

「今日は仕事をもう休みなさい」

 ウィルはフローラの青い目を見据えながら静かに命令をした。

「え、と、トリスさまにお仕事をおおせつかって――」

 フローラは混乱した。頭が働いていないようである。
 いままでウィルが屋敷の使用人の仕事の割り振りに口を挟んだことはない。

「伯爵が王都にいる間、屋敷の責任者はぼく」

 嘘である。
 なにかあったときに伯爵から叱責されるのは、きっとトリスであろう。
 フローラの両肩に手を置いて、いままで自分の座っていたソファーのほうへと押し潰すと、

「あっ」

 フローラはつま先を放り上げ、黒いスカートのすきから白いストッキングで包まれたふくらはぎが見えた。
 戸惑うフローラをそのままにして呼び鈴を鳴らす。

「トリス!」

 ウィルの手はソファーの後ろからフローラの肩のまえに置かれている。
 フローラの鎖骨にウィルの指の先がわずかにかかっている。それを、ちらちらとフローラは気にしていた。
 まもなくトリスがやってきた。

「なんでしょうか」
「フローラの体調が悪い。今日は休ませろ」

 決定事項を知らせる口調で淡々とそう告げた。
 フローラはびくっと肩の上のウィルを見上げた。
 一応、腐っても貴族家の人間だ。
 その気になれば命令することに慣れた人間の声を発することもできる。
 ウィルは階下の世界ビロウステアーズに馴染みすぎて、使用人から愛されてはいるものの、気安さの裏返しでどこかで軽んじられていた部分があったかもしれない。

「わたしの管理が甘うございました。申し訳ありません。ご主人さまの仰せの通りにいたします」

 よっぽどトリスの返答にぎょうてんしたのか、ウィルの手のしたでフローラが肩を跳ねた。
 呼び方まで「ウィル坊ちゃま」から「ご主人さま」に変わっているのだから無理もないかもしれない。
 ただの言葉の違いだが、その言葉の響きのニュアンスとして、どこかトリスのウィルに対する忠誠心を感じさせるものがある。

「フローラ。ご主人さまから、今日はもう休んでもいいと許可が出たのですよ?」

 トリスは聞き分けが悪いとばかりにそう言った。

「あ――はい。すみません。では」

 立ち上がろうとしたフローラの膝はがくがくと揺れていた。
 休んでいいと言われて、いったん気を抜いたら、足元のこらえが効かなくなったのだろう。

「きゃっ!」

 案の定、バランスを崩した。
 ウィルはフローラの身体を腰のあたりから掬いあげてやる。

「あ、ああ……。す、すみませんッ!」

 フローラはウィルの腕の上に背筋を反らしている。眼下ではフローラの胸のほどよい膨らみが上下している。
 フローラは慌てて力を入れようとするが、腰が抜けてしまったのか、うまく力が入らないらしい。
 そのまま脇の下と、お尻の下に手を回し、フローラの身体を横抱きにした。
 フローラの体格はウィルとそう変わらないが、これでもウィルは男である。
 持とうと思えば、自分と体格の変わらない女の身体ひとつくらい抱き上げられる。
 ウィルはフローラを抱き上げたまま自分のベッドへと向かう。

「あっ……あの……」

 そしてフローラを静かにベッドに横たえた。フローラは茫然とウィルのほうを見上げている。

「夜までここで休みなさい。いいね」

 ウィルが優しく命令すると、

「そ、そんな恐れ多い!」

 フローラは反射的にそう答えた。
 この金髪の客間女中は下級貴族の出身で、礼儀作法を厳しくたたき込まれているのだ。
 そこに銀のトレイを持ったトリスが口を挟む。

「フローラ。ご好意には素直に甘えなさい」
「――は、はい」

 そう言われて、ようやくフローラは主人のベッドの上で身体の力を抜いた。

(ぼくが言っても聞かないのに、トリスの言うことには素直に従うんだよね……)

 ウィルは子どもっぽく、ほんの少しだけ口を尖らせた。
 フローラは手でぽんぽんとベッドに触れると、

「あ、わあ。ベッド。ふかふか」

 そう嬉しそうに呟いた。
 マルク家の女中は待遇が良いことで有名で、下働きの女であろうとも綿の布団が与えられる。
 しかし、さすがに主人筋の使う上質のベッドで眠ることは初めてだろう。
 そこで、すかさずトリスが釘を刺した。

「この待遇が当然であるなんて決して勘違いはしないこと、いいですね」
「わ、分かりました」

 トリスはベッドの脇にあるサイドテーブルに、長い飲み口のついた透明の水差しと、粉薬の詰まった茶色い薬瓶を何本か置いた。
 女中長の重要な仕事の一つが、薬の調合である。

「生理痛止めを飲めば、ずいぶん楽になるでしょう」

 白く細長い指で、半透明のオブラートの上に、細いスプーンで粉薬を手際よくよそった。
 そして、それを手慣れた手つきでくるくると包んだ。

「女中を甘やかすと言い出したのはご主人さまですから。さ――」

 薬のフィルムと水差しがウィルの手に渡された。
 ウィルは、ベッドの枕元から少し離れた縁に腰を下ろし、「あーんして」とフローラに薬を差しだした。

「なんだか恥ずかしいです」

 フローラは少し顔を紅潮させながらこくりと頷き、小さいが品よく整った唇を上下に開いた。

(なんか妙に楽しいな)

 世話を焼かれるいつもと立場が逆である。
 フローラはじっとウィルの指づかいを見つめていた。
 フローラの舌の上にオブラートで包まれた薬を載せる。
 それから、透明の水差しをフローラに含ませた。ごくごくっと細く柔らかい喉が鳴り、嚥下していく。

「お姫様になったようです」

 フローラは、鼻の先を布団で隠し、澄ましていれば貴婦人に見えなくもない上品な顔をぽっと赤らめた。

「ま、どうせ体調悪いときだけだよ。元気になったらまたガンガン働いてもらうからね」

 ウィルがそう言うと、フローラはくすくすと笑った。

「さ、お眠り」

 ウィルはそう言いながら、フローラのけんの少し上のあたりをゆっくりとでてやる。
 フローラも最初はくすぐったそうに金色の眉根を震わせていたが、やがて慣れたのか気持ちよさそうに受け入れた。

「ウィルお坊ちゃまの指って長くて綺麗。まだお小さいのに男の人って感じがします……」
「む。お小さいは余計だよ……背だってフローラを追い越してるのに」

 ここまでエスコートしてあげているというのに、なんという言いぐさか。
 ウィルは半ば本気でふんがいしていた。
 意地になって、しばらくフローラの眉間のあたりをしつように撫で続けていたら、金色の柳眉が安らいできた。
 そして、落ちるように、すうっと寝息を立てはじめた。

「あれ。眠っちゃった」

 自分でやっておいて、まさか、こんなに簡単に寝入るとは思わなかった。

「ええ。みんざいも混ぜましたから」

 トリスは本当に何気ないほどさらっと言ってのける。
 藪医者がよく使う阿片チンキを混ぜないだけ、まだ良心的かもしれない。ウィルはそう思うことにした。

「もう数時間は起きませんよ。ちょっと味見してみますか」
「え?」

◇ 屋敷の女性一覧 ◇
女中長   1人 (トリス◎)
蒸留室女中 2人 (リサ・サリ)
洗濯女中  6人
料理人   1人 (リッタ)
調理女中  4人 (マイヤ)
皿洗い女中 2人
酪農女中  3人
客間女中  1人 (フローラ)
家政女中 12人
雑役女中  8人
側付き女中 1人 (ソフィア△)
    計41人
お手つき  1人 (済み◎、途中△)


◇ 用語解説 ◇
屋敷を訪れた客人の接客や給仕をする女中職。屋敷の表側に顔を出すため、エプロンのレース飾りなど他の女中よりも服装が華やかである。
容姿に優れた未婚の女性が就く仕事とされている。裏方的な性格の強い女中職のなかでは例外的に人目に触れるせいか結婚して辞めてしまうことが多い。



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